ホナス・トゥルエバ”Los exiliados romanticos”*マラガ映画祭2015 ⑦2015年04月23日 14:37

   トゥルエバ一家の期待を背負って「青春の夢を叶える」映画を撮る

★もたもたしているうちに去る17日、既に映画祭は開幕してしまいましたがマイペースで。ホナス・トゥルエバは、父フェルナンド、母クリスティナ・ウエテ、叔父ダビ、それぞれ全員ゴヤ賞受賞者とスペイン映画界でも指折りの毛並みの良さを誇っています。父親は既にオスカー監督、『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』がラテンビート2013で上映されたのを機に初来日しております。母親はトゥルエバ作品を一手に引き受けている辣腕プロデューサー、叔父は“Vivir es fácil con los ojos cerrados”で昨年念願のゴヤ監督賞他を受賞しました。

フェルナンド・トゥルエバの記事はコチラ⇒2013

クリスティナ・ウエテの記事はコチラ⇒2014112日/213

ダビ・トゥルエバの記事はコチラ⇒2014130日/26

 


  Los exiliados románticos ホナス・トゥルエバ 2015 スペイン 青春ドラマ 70

製作:Los Ilusos Films

監督・脚本:ホナス・トゥルエバ

キャスト:ビト・サンス、フランセスコ・カリル、ルイス・E・パレス、レナタ・アントナンテ、イサベル・ストフェル、ミレン・イサ、バイナ・ジオカンテ

 

解説:これといった動機もなく三人の若者は冒険旅行に着手する。ある者は青春最後の背水の陣を敷こうじゃないかと言うが、一方他の者は男性性の衰退を嘆いている。つまりそれほど重要とは思えないことどもだ。そうこうするうちに、彼らは彼ら自身も驚くような或るミッションをもった快い束の間のアモールに遭遇、それは彼らに生きる喜びを感じさせるだろう。

 

監督紹介&フィルモグラフィー

ホナス・トゥルエバJonas Rodriguez Huete 1981年マドリード生れ、監督、脚本家、俳優。叔父ダビ・トゥルエバの“La buena vida”(96)に高校生に扮して出演。2000年、ホナス・グローチョの名前で短編コメディ“Cero en conciencia”(14分)で監督・脚本家デビュー。以後脚本家としてビクトル・ガルシア・レオンの“Más pena que Gloria”(2000)と“Vete de mí”(05)に監督と共同執筆(当時の恋人がバルバラ・レニー、長編第1作に出演している)、父フェルナンドの“El baile de la Victoria”(09)でも脚本を父と共同執筆し、ゴヤ賞の脚色賞に親子でノミネートされた。本作は「スペイン映画祭2009」で『泥棒と踊り子』の邦題で上映され、その後アカデミー賞スペイン代表作品にも選ばれた。リカルド・ダリンとアリアドナ・ヒルが出演していた。日刊紙「エル・ムンド」のブログに映画評を執筆、監督と‘Dirección Cinematográfica’の教師の仕事を両立させている。

 

                         (“Los ilusos”撮影中の監督)

 

★監督・脚本を手掛けたのは:

2010 Todos las canciones hablan de mí”第1作、コメディ、ゴヤ賞新人監督賞ノミネーション

2013 Los ilusos”第2作、サンセバスチャンやロンドン映画祭上映、トゥルーズ(スペイン)映画祭で「金のバイオレット」賞を受賞ほか、ノミネーション多数

2015Los exiliados románticos”第3作、マラガ映画祭2015正式出品

 

トレビア

Los Ilusos Filmsは、監督自身が設立した製作会社、本作がデビュー作です。ということは母親が代表者の「フェルナンド・トゥルエバP.C.S.A」を頼らなかったわけだから、これはなかなかいいね。監督によれば「軽妙なタッチが見どころの映画を作りたかったが、登場人物も取り巻く状況も重苦しい。肩の凝らない、ドラマチックな展開も盛りこまず、見せかけだけの期待も持たせず、だってそれが人生だからね。少なくとも人生の断片を描こうとしていたら、これは友情についての映画を作っていたことに気づいたんです」と。ロドリーゴ・ソロゴイェンのStockholm13)やホルヘ・ナランホの長編デビュー作Casting13)と似通ったテーストの青春友情ドラマのようです。昨夏12日間で撮影したローコスト作品ながら、夏公開も決定しております。

Stockholm”はマラガ映画祭2013で監督賞他を受賞した作品。webで資金援助を呼び掛け、集まった資金で製作した。作品紹介記事はコチラ⇒2014617

Casting”もマラガ映画祭2013に正式出品、複数で男優賞・女優賞を受賞したコメディ。

 


若者3人のプロフィール:ビト・サンスVito Sanz は“Los ilusos”に脇役で出演、トゥルエバ作品は2度目、他に短編やTVドラにも出演している。今回初めて主役の一人に選ばれた。


フランセスコ・カリル
Francesco Carril は“Los ilusos”の主役に起用され、期待に応えてブエノスアイレス・インディペンデント・シネマフェスティバル2013とトゥルーズ(スペイン)映画祭でベスト男優賞を受賞している。


ルイス・E・パレス
Luis E. Parésは、ルイス・ロペス・カラスコの“El futuro”(13
)に脇役で出演、共同脚本にも加わっている。共演者イサベル・ストフェルIsabelle Stoffelは、“Los ilusos”や“Todos las canciones hablan de mí”などトゥルエバ作品に出演している。 


                                
                

  

(続)マヌエル・マルティン・クエンカの『不遇』2014年07月02日 14:27

★セルバンテス文化センターで『不遇』(Malas temporadas)の「上映とトーク」があり参加しました(627日)。改めて見直してみると見落としが多いこと、前回(611日)レオノール・ワトリング扮するラウラの夫ファブレについての記述が少なかったこと、狂言回しの<マリアーノ>に触れなかったこと、テーマも絞らなかったので少し追加いたします。

 

★前回触れなかったファブレの立ち位置、結構重要だったマリアーノ、マドリードに押し寄せるラテンアメリカ、旧ソ連邦、アフリカからの移民問題、上映会ではそこに焦点を当てて見てきました。まず、マリアーノはマリアーノ・ロドリゲス(ハバナ1912~90)、シュルレアリスモ、フォービスム(野獣派)の画を描いたキューバの画家でしょうか。ホセ・マリアーノ・マヌエル・ロドリゲス≂アルバレスと長たらしく単に<マリアーノ>で通っていました。雄鶏を好んで描いた画家で豊かな色彩が特徴です。映画のなかではファブレの母親の肖像画を描いたことになっていて、それがちらりと映る。ここはフィクションですが、もしかしたらモデルになるような女性がいたのかもしれない。 

         (写真:好んで雄鶏を描いたマリアーノ・ロドリゲスの作品

 

★本作にはルネ・ポルトカレロ(ハバナ1912~85)という画家も1回だけファブレとカルロスの会話のなかに出てきます。彼は「20世紀のキューバの画家」といえば必ず言及される人。翻訳が待たれながら難解を理由に主著さえ訳されていない詩人ホセ・レサマ=リマとも友人関係にあり、彼を中心にした詩誌『オリヘネス』のグループの詩人たちと繋がっていた。キューバを離れずハバナで亡くなりましたが、あのキューバでカミングアウトしていたというから自他共に許す実力者だったのでしょう。「ポルトカレロの絵画をメキシコの収集家が入手して自分のギャラリー・リストに入れている」とカルロスに言わせている。これはキューバの文化財の海外流失が始まっていたことを暗示しているのだろうか。共同脚本家アレハンドロ・エルナンデスがキューバ人、ファブレ役のフェルナンド・エチェバリアもキューバの俳優で、最初デザインや絵画を学んでいたから、こういう事情に詳しいと考えられ信憑性がありそう。マリアーノとポルトカレロの二人はハバナのサン・アレハンドロ造形芸術学校 Escuela de Artes Plásticas de La Habana San Alejandro共に学んでいる友人でした。 

           (写真:バロック風の色彩豊かな絵を描いたポルトカレロの作品

 

★映画では、上述したようにマリアーノはファブレの母親の肖像画を描いたことになっている。ファブレは「マリアーノは仕上げに2ヵ月かけ、母は1日4時間も同じポーズをとらされた」とカルロスに説明する。ここで母親の写真と画が映り、ファブレが保証が失効しているマリアーノの絵画を欲しがる理由が単なる収集目的でないことが鮮明になる。さらにあの革命で持てる財産を「コミュニストたちに没収された」こと、その中にはマリアーノの絵画も含まれていたことなどが分かってくる。「仮に美術館に展示するとしても、誰も個人蔵の絵画を没収すべきでない」とファブレは語気鋭く言う。カルロスは無言で聞いている。

 

カルロス、贋作される愛と友人関係

★ファブレが亡命キューバ人カルロスと繋がるのは、合法非合法を問わず絵画ビジネスを通してです。ファブレはカルロスがマリアーノの画の話を持ち出したことで急接近してきたようで入手を依頼する。「私は君が取り返してくれるという言葉を信じている。それに私たちはビジネス抜きで既に友人だ」とファブレは言うが、カルロスは単にビジネスだけで繋がり、友人らしく振る舞うのは贋作です。ファブレが欲しがっているマリアーノの画は、保証がほとんど失効しているから危険なしろもの、それでキューバにいて入手を画策しているカルロスの兄弟に危険が迫っていることも分かってくる。

 

★冒頭の密輸品らしい葉巻の受け渡しシーンで「マリアーノはどうなっている」というカルロスのセリフがのっけから飛び出した理由が、ここで初めてわかる。冒頭シーンの「これはちゃんと保証済みだ」という物品が絵画であることは分からないので、この段階でマリアーノの正体を推測できる観客は多くないと思う。分かるのはカルロスがファブレに物品を届けるシーンまで待たねばならない。それはファブレの待ち焦がれていたマリアーノの画ではないから、ここでもファブレが「マリアーノはどうなっている」と尋ねるわけです。「現在、画は貸出中で美術館に戻ってくるまで埒があかない」と、カルロスは今回も入手できなかった理由を説明する。

 

 
(写真:愛のない夫婦、ファブレとラウラ)

★ファブレはリッチでインテリジェンス豊かな男ではあるが、事故前のラウラの過去の幻影を追い求め、無償の愛を捧げるが愛は得られない。子供の父親になることもラウラに拒絶される。一年前からいわゆるコキュなのを友人だと信じていたカルロス本人から告白されるまで気がつかない。ラウラはカルロスが自分を求めていると思いたいがカルロスはラウラを愛していない、カルロスが愛を贋作するのは亡命地マドリードで生き延びるためである。ラウラはそれを心に刻みつけてこれからを生きるしかない。電話の声でしか登場しないマイアミ在住のルイサが飛行学校の教師の仕事があると知らせてくる。カルロスはそれにすがるが事実かどう怪しい、元恋人らしいルイサはカルロスを呼び戻したいだけかもしれない。三角四角のただ不毛の愛が存在しているだけだが、カルロスは片道切符でマイアミに発つしかない。

 

★アナを中心に展開しているように見えるが、カルロスの存在なくしてアナ=ゴンサロ母子とミケルは出会えないし、ファブレとラウラとの三角関係も成立しない、いわばカルロスは登場人物の接着剤的存在と言っていい。ミケルと同房だったパスクアルを含めて、すべての登場人物と接触するのはカルロス一人であり、ここらへんに共同脚本家アレハンドロ・エルナンデスの思い入れが感じられる

 

光を見つけるアナ母子、ミケルの再生

★この映画は登場人物を取りまく現実を裁こうとしているわけではない。ヨーロッパに押し寄せる難民問題とか、チェチェン紛争とか、スーダンのダルフールにおける民族浄化とか、革命の後遺症とか、21世紀初頭の世界の暴力が出てくるが、もっと個人が抱え込んでいる小さな問題を私たちに引き寄せて描こうとしている。それは誰でも多少はもっている自己欺瞞であり、<不遇>から抜け出すには過去に拘って止まっていてはいけないのに、それぞれ袋小路に入ってしまっている。人生はいつも順風満帆とはいかない、いい時もあれば悪い時もある、しかし生きるに値するのが人生だ、ちょっと止まって自分の心の声に耳を傾けたら別の道が開けることだってあるんだ。セカンド・チャンスは必ずあるよ、そういうメッセージを私たちに届けたかったんだと思う。

 

 
                                  (写真:不登校を決心するゴンサロ)

★アナは最初、息子ゴンサロの不登校(日本の引きこもりとは違う)を受け入れられない、君の仕事は勉強だ、私は忙しいのに食事を作り君のために一生懸命に難民救済の仕事をしている。なのにどうして? 現実に向き合わなくてすむように自室に閉じこもる息子に寄り添えない。これを契機にして仕事は行き詰る。担当しているイブラムの弟のロンドンでの死亡、ロシアからの移民オルガは無実の罪で収監されている息子ニコライを助けて欲しい、しかし彼は7人のレイプと4人殺害の罪で服役していた。アナは嘘をつかれていたと逆上するが、オルガは政府や軍部のデッチ上げで事実ではない。第二次チェチェン紛争の真っただ中、罪を贋作しているのは母親か権力者か映画は語らない。ただ「息子を助けるのは母親しかいない」というオルガの一言にアナは絶句する。そうゴンサロを救い出せるのは自分しかいない。

 

(写真:光が見えないアナ)

★ミケルも難民の一人なんだと思う。6年間の服役で塀の外の「正常な世界」の規範が分からなくなっている。かつてはチェスの王者、何度も世界チャンピオンになったカルポフ**とも打ち合ったことがあるほど輝いていた。今の自分の<不遇>を他人のせいにしているが、ゴンサロを救うために教え始めたチェスが、結局自分を救うことになる。弱者が弱者を共に救いだすというパラドックス。ゴンサロから「どうして刑務所に入っていたの」と訊かれて、「今は何の罪でかは重要じゃない」と答える。ミケルの再生が予告されてメロドラマは終わる。

 

ファブレ役のフェルナンド・エチェバリアは、キューバのオルギン生れ、映画・舞台俳優のほか、芸術大学ISAInstituto Superior de Arte)演劇学部で演技指導の教師をしている。生年がはっきりしないが2010年に53歳という記述を信用するなら逆算して革命前の1957年ごろと思われる。1972年、オルギンの州立造形芸術学校でデザイン、絵画、彫刻などを学び始める。1976年、国立芸術学校の演技科を専攻、卒業。カルロス・ゴメス率いる Compañía de Teatro El Público に参加、チェーホフの『かもめ』、シェイクスピアの『リア王』、ロルカの『観客』に出演(197894)、映画デビューはマヌエル・オクタビオ・ゴメスのLa tierra y el cielo1973)。代表作にルイス・オリベロスPata negra2000、西≂キューバ)、ダニエル・ディアス・トーレスCamino de edén2006)、テレドラ出演など。因みにパスポート偽造で荒稼ぎしているレオポルド(レオ)はオルギン生れに設定されていた。「1万ユーロだが同じキューバ人だから8000でいい」など逞しいキューバ人。 


**アナトリー・カルポフ1951~)はロシア(旧ソ連邦)ズラトウース生れの世界チャンピオン(1975859398)。本作では実名で登場する人物として他にヴァーツラフ・ハヴェル1936~2011)がいる。日本にも来日したことのあるチェコスロヴァキアの最後の大統領にして、 チェコ共和国初代大統領。戯曲家でもあって、「カフカ賞」や「アストゥリアス皇太子賞(コミュニケーションと人文科学)」(1997)を受賞している。

 

★監督は本作の前にドキュメンタリーを撮りたかったが、製作者を説得させられなかったという。2001年の「911」アメリカ同時多発テロで幕開けした21世紀、第二次チェチェン紛争(19992009)、スーダンのダルフールにおける民族浄化(2003)などをさりげなく取り入れているのは、クエンカ監督の意思のようだ。カルロスに「パイロットだが、オレンジ農園の散布が仕事で軍隊ではない」、やましい気持ちがあるので「ビルには突っ込まないよ」と冗談言って、却って係官の不信を買ってしまう。盛り沢山の印象も受けるが、画面構成の巧みさ、沈黙と視線の重要性は、新作『カニバル』にも通底している。

 

新世代が描くエクアドル映画あれこれ2014年04月03日 15:46

★エクアドルの映画と聞いて思い浮かぶのは、セバスチャン・コルデロの『タブロイド』(2004、公開2006)ぐらいでしょうか。「東京国際映画祭2009」で上映されたコルデロの『激情』(Rabia)は、監督こそエクアドルでしたが、製作はスペイン=コロンビア=メキシコでした。エクアドルには今年で13回を数える「クエンカ国際映画祭」というのがありますが、ラテンアメリカ諸国の中でもとりわけ発達途上国の一つです。クエンカは植民地時代の建造物や街並みの保存状態がよく、歴史地区として世界遺産に登録されている都市です。

 

★ご紹介するのは30歳になったばかりのフアン・カルロス・ドノソのデビュー作Saudade2013)です。映画の舞台は、ハイスクールに通う17歳のミゲルの目を通して描いた≪エクアドル1999年≫、経済危機に陥って銀行閉鎖になったエクアドル、経済だけでなく政治的にも激震が走った時代です。エクアドルの監督が第1作に選ぶテーマは自伝的な要素が色濃いと言われていますが、多分ミゲルには監督本人が投影されているのではないでしょうか。脚本や製作に携わっているのも処女作の特徴と言えます。

(写真はSaudadeのポスター、ミゲル役のパンチョ・バケリソ・ラシネス)



フアン・カルロス・ドノソ
Juan Carlos Donoso Gomez 1983年グアヤキル生れ、エクアドルの首都はキトですが、グアヤキルが最大の都市です。2007年キトのサン・フランシスコ大学で映画&テレビ科、副専攻として哲学を卒業。同大学は映画製作に関わる優れた人材を輩出することで定評があり、新人発掘の宝庫といわれています。彼は政治的には左翼的、芸術的な雰囲気の家庭環境で育ち、これは本作を撮る動機付けになっている。現在お気に入りのアーティストはメキシコのガブリエル・オロスコ、「もし彼のアートが政治的でないなら、すごく退屈だ」と、ある地方紙のインタビューに答えている。日本でも天才アーティストとして若い層にファンが多そうですが、彼のアートを政治的と捉えているかどうかは分かりません。(写真はドノソ監督)

 


アルゼンチンのルクレシア・マルテル監督のワークショップに参加した。マルテルは『沼地という名の町』『ラ・ニーニャ・サンタ』『頭のない女』、いわゆるサルタ三部作といわれる作品が紹介されております。さらにメキシコのダミアン・アルカーサルのワークショップにも参加、アルカーサルは上記の『タブロイド』やアンドレス・バイスの『ある殺人者の記録』の主役を演じた俳優として日本でも知名度が高い。チリのパトリシオ・グスマン監督のドキュメンタリーの授業、ブラジルの脚本家メラニエ・ディマンタスの教えを受けるなどの経験を積んだ。

クエンカ出身のタニア・エルミダの第2En el nombre de la hija2011)の編集に参加、ドノソの師でもあるイバン・モラ・マンサノのSin otoño, sin primavera2012)のプロジェクトにも参加している(IMDbにはアップされていない)。前者はローマ映画祭2011でアリス・イン・ザ・シティを受賞、ハバナ映画祭などにも出品された。後者はサンパウロ映画祭やワルシャワ映画祭にノミネートされた評価の高い作品。

ドノソは2012年にカンヌ映画祭のフィルム・マーケットに参加できたことがチャンスだったと語っています。またエクアドルでも35ミリからデジタルへの移行が始まって、資金の少ない若い監督にも門戸が開かれた。「この変化がなければSaudade の製作は不可能だった」とも語っています。脚本の草稿は9回書き直し、推敲に6年間を費やしたとか。Saudade国立映画審議会(長編部門)のプロダクション賞受賞とラテンアメリカ、スペイン、ポルトガルのシネアストに与えられるイベルメディアからの9万ドルの資金をもとにして製作された。37日に国内で公開され観客の人気を呼んでいる。8ヵ国の映画祭に招待され、トゥールーズ・ラテンアメリカ映画祭でも上映された。(写真は映画のワンシーンから、一番右がミゲル)

 


★もう1作品が観客の期待を集めていたセサル・イスリエタの空想科学映画Quito 20232013)。しかし館内は失望と落胆に満たされたようです。ドノソの舞台は1999年と過去、こちらは2023年と未来を描いたはずが、まるで1970年代か80年代の軍事独裁時代のキトだった。22万ドルの資金をかけて製作されたのに、観客動員数が封切り3週目でたったの1万人と憂慮すべき結果に終わった。軍事独裁を終わらせようと反乱を起こしたグループの物語、二転三転したフアン・フェルナンド・モスコソの脚本に問題があったのかもしれません。映画は何よりも≪ホン≫が大事なのです。

(写真はQuito 2023撮影現場から)

 


★まだ半年後の企画ですが、立教大学ラテンアメリカ研究所主催の「エクアドル映画週間」の開催がアナウンスされました。

日時:2014106日(月)~10日(金)、18302000

場所:池袋キャンパス7号館17102教室

肝心の上映作品は未定です。字幕も予定しているとのこと。

 

カミロ・ルスリアガのLa Tigra1989)、セバスチャン・コルデロのデビュー作Ratas, ratones, rateros1999)か『タブロイド』、タニア・エルミダのデビュー作“Que tan lejos2006)かEn el nombre de la hija、イバン・モラ・マンサノのSin otoño, sin primavera、勿論フアン・カルロス・ドノソの本作も期待したいところです。


『無垢なる聖者』 マリオ・カムス②2014年03月11日 13:59


    カンヌをうならせたラバルとランダのデュオ

 

: フランシスコ・ラバルトとアルフレッド・ランダが「カンヌ映画祭1984」で、主演男優賞を揃って受賞した。カムス監督もエキュメニカル審査員スペシャル・メンションを受賞しました。

: まだ最高賞はパルムドールではなくて(1990年から)、グランプリと言われていた。これがヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』、監督賞が『田舎の日曜日』のベルトラン・タヴェルニエ、国際批評家連盟賞にテオ・アンゲロプロスの『シテール島への船出』などが受賞した凄い年でした。

 

: 価値ある受賞ですが、ランダもイバンの狩りのお供で「狩猟犬」の演技までやらされるとは思わなかった()

 アルフレッド・ランダは製作者のフリアン・マテオスから「パコは君がやれ」と言われ、どんな役かシナリオも読まずに「ハイ」と即答した。パコになりきるためエストレマドゥラ訛りのアクセント練習をしたが、結局そんなことは些細なことになったと。役作りに熱心なタイプですが、自然体がいいということですかね。

: 彼は牛追い祭で有名なパンプローナ(ナバラ州、1933)生れ、マジメだから必要と考えたんでしょ。

: サンセバスチャンで法律を学んだ後、マドリードに出て舞台に立ったり、吹替え声優の仕事をしたりした。映画デビューは1962年のホセ・マリア・フォルケのAtraco a las tres、この映画はスパニッシュ・コメディの成功作の一つ、翌年ガルシア・ベルランガの代表作El verdugo(仮題「死刑執行人」)に墓掘り人役で出演するなど、役者として幸運な滑り出しをしています。

 

: ホセ・ルイス・クエルダの『にぎやかな森』(1987)では主役を演じています。

: 3桁になる本数の映画に出演していますが主役が多い。当時コメディアンとして彼ほど貴重な存在はなかったということでしょうか。「第2回スペイン映画祭1989」の上映作品、同じ邦題で1990年に公開されました。同年公開されたアルモドバルの『欲望の法則』(1987)もこの映画祭の上映作品です。

 

 
 

 

: さて、パコは子供たちを学校に行かせたい。折りも折りドン・ペドロから「長くよく働いてくれたから」と母屋のある荘園の守衛に抜擢される。

: 藁ぶきのローソクの家から電気のつく家に引っ越せることになり、あそこなら子供たちを学校に行かせられる。特に賢いニエベスを早く学ばせたい。ところがドン・ペドロはニエベスを女中として使いたい。パコ夫婦の望みは雇い主の一言であえなく絶たれてしまう。

: 60年代当時、辺境の地では親の世代が無識字なのは分かるとして、子の世代もろくすっぽ教育を受けてない。日本では中学卒業で仕事につくのは、もはや少数派、東京五輪開催が1964年と考えると、その段差に絶句する。もう一人の受賞者フランシスコ・ラバルの「ミラーナ・ボニータ」が耳から離れません。

 

: キャスティングに難航したのが、このアサリーアスとレグラの兄妹役と言われています。フランシスコ・ラバルはブニュエルに可愛がられていたようで、「おじさん、おじさん」と呼んでいたとか。『ナサリン』(1958)、メキシコからヨーロッパに回帰した第1作品『ビリディアナ』(1961)、『昼顔』(66)などに出演、ブニュエル映画に出演した数少ないスペイン俳優です。

: ブニュエルは1984年には既に鬼籍入り(83729日)、生きていたら「おじさん」も喜んでくれたことでしょう。ゴヤ賞が始まっていれば二人とも主演男優賞受賞間違いなしでした。

 

: ラバルは1926年ムルシア生れ、アサリーアスは60歳ぐらいの設定ですから、だいたい同年齢を演じたことになります。内戦が勃発したとき10歳、両親とマドリードに移住、内戦終結後の1939年に早くも家計を助けるため働きだしています。昼間働き夜間中学で学んだ苦学の人でもあった。映画界に入ったきっかけは、内戦後に設立された映画スタジオ「チャマルティン」の電気技師のアシスタントをしていたとき、ラファエル・ヒル監督の目に留まってLa pródiga1946)に出演したからでした。晩年の彼からは想像もできない凄い美青年でした(写真参照)。

 


: 内戦を生き延び、フランコ時代を生き延び、生涯でエキストラやテレドラを含めると200本を超す作品に出演しています。

: ランダと同じく、彼については切り売りみたいな紹介はしたくないので、ゴヤのボルドーでの最晩年を描いたサウラのGoya en Burdeos1999未公開、仮題「ボルドーのゴヤ」)の紹介を予定しているので、そちらに回したい。

: ゴヤ賞2000で涙の主演男優賞を初めて受賞した作品、マルベル・ベルドゥがアルバ公爵夫人になった。翌年死去したので、数あるゴヤ賞授賞式でも思い出深いものがあります。

: 何はともあれブニュエル、サウラ、アルモドバル、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニやルキノ・ヴィスコンティ、フランスのクロード・シャブロル、ブラジルのグラウベル・ローシャなどに起用された。彼ほど国際的な活躍をしたスペイン俳優を私は知りません。

 

: 忘れてならないのが、カムス監督の『蜂の巣』(1982)出演、翌年ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した折りには、日本では「マリオ・カミュ、蜜蜂の巣箱」と紹介されたそうですね。

: カミロ・ホセ・セラの同名小説、ノーベル賞受賞は1989年、まだ受賞前だったから仕方ありません。作家本人もカメオ出演しています。前出のリカルド・フランコの『パスクアル・ドゥアルテ』も、セラの『パスクアル・ドゥアルテの家族』の映画化でした。この映画祭にはフランコ監督も来日しています。映画をスクリーンで見る機会はなさそうですが、両方とも翻訳書が出ていますから、まずそちらから。

 

     テレレ・パベスの≪目の演技≫に涙

 

: また脱線しました。ラバルは一応おしまいにして、レグラ役のテレレ・パベスに行きましょう。彼女はスペインでは押しも押されもせぬ現役大女優ですが、『無垢なる聖者』のレグラ役は正にハマリ役と言っていいですね。

: 日本では、ヘラルド・ベラのLa Celestina1996)の娼館の主セレスティーナ役が有名。人気爆発のペネロペ・クルスが出演したせいか、未公開ながら『情熱の処女~スペインの宝石』の邦題でビデオ&DVDが発売された。

 

B: ペネロペ以外も当時の旬の人気俳優をズラリと揃えた目の保養になる映画でした。パベスはこの老売春斡旋者役でサン・ジョルディ女優賞とスペイン俳優連盟女優賞を受賞しました。

: ゴヤ賞にはマリベル・ベルドゥがノミネートされ、彼女は候補者にもならなかった。やっと今年アレックス・デ・ラ・イグレシアのLas brujas de Zugarramurdi で「五度目」の正直、念願のゴヤ賞を初ゲットした。既にゴヤ賞2014助演女優賞欄で少し紹介しておりますが、ちょっと追加いたします。1939年ビルバオ生れの74歳、本名はテレサ・マルタ・ルイス・ペネーリャ、生れこそビルバオですが育ったのはマドリード。

 

: 彼女の一族はスペインでは芸術家一家として有名です。

: 祖父が作曲家のマヌエル・ペネーリャ・モレノ、政治家の父親ラモン・ルイス・アロンソと母親マグダレナ・ペネーリャ・シルバの三女、長女がエンマ・ぺネーリャ(1930)、次女がエリサ・ルイス・ぺネーリャ(芸名エリサ・モンテス1936)、テレシータ・シルバが叔母で、エンマ・オソレスは姪にあたる。

: 系図を作成しないと()。要するに親戚一同女性陣は女優なんですね。エンマ・ぺネーリャは、ガルシア・ベルランガのEl verdugo1963)で処刑人の娘を演じた女優さんです。

 

: パベスの映画デビューは12歳、そのガルシア・ベルランガが撮ったNovio a la vista1953、仮題「一見、恋人」)でした。苗字パベスは、母方の祖母エンマ・シルバ・パベスを継いだそうです。それぞれ一族が名前で混乱しないよう区別するための工夫とか。

: アレックス・デ・ラ・イグレシアがゴヤ監督賞を受賞した『ビースト、獣の日』(1995)の他、『みんなのしあわせ』(2000、ゴヤ助演ノミネート)、『800発の銃弾』(2002)、『気狂いピエロの決闘』(2010、ゴヤ助演ノミネート)などにも出演しています。

 

: 女性にしては体形ががっしりして声がかすれていることで損をしています。製作側からは性格も自尊心が高く気難しく扱いにくい「うるさ型の女優」と敬遠されがちです。

: 映画でもドン・ペドロが夫のパコより妻のレグラに一目置いて気を使って怖がっていた()


: しかしデ・ラ・イグレシアに言わせると、頭が良くて演技力はバツグンと太鼓判。本作でも一旦帰郷したキルセがマドリードに去るシーン、だんだん小さくなっていく息子の背中を夫婦は無言で見送る。「どうぞ泣いて下さい」という映画じゃないのに、ここにくると必ず涙腺がゆるんでしまう。二人のベテラン勢の目の演技には降参です。キルセが光に向かって旅立つテーマ的に重要なシーンでもあった。

: フランコ時代の目に見えない変化を捉えたシーンです。

: デ・ラ・イグレシアは、あまり知られていないことだが人を「笑わせる才能」に富んでいるとも言ってます。二人は性格が似ているのかもしれません。新作Las brujas de Zugarramurdiではカルメン・マウラともども魔女役に扮する由、今年もっとも公開が待たれる映画です。

 

     描きたかったのは「人間、風土、パッション」

 

: 支配階級・金持ち・悪人VS下層階級・貧乏人・善人、など二項対立の描き方がプロトタイプという印象があります。

: 強者と弱者の描き方ですね。しかし最後に強者は死をもって敗北する。強いから生き残れるわけではない。「吊るされる」に値する強者のエゴイズムを描かなければ、観客は納得して映画館を出られませんよ()

: 散見する「社会の底辺に生きる人々を描いた作品」という紹介の仕方はどうでしょうか。

: 「底辺とは何ぞや」、定義は難しい。この役をやることでフアン・ディエゴは観客から憎まれたそうですから、役者冥利に尽きるというものです。

 

: イバンに女房を寝取られそうなドン・ペドロは、退屈のせいで頭痛持ちの妻プリータを陰では「女狐」と吐き捨てている。

: ドン・ペドロは、イバンの妻が一緒に来なかったことで余計に不安がつのっている。イバンの家庭も崩壊しているのですね。大地主とはいえ侯爵家のイバンには勝てない、女房を叩くこともできない、フラストレーションの固まりになって二人を憎んでいる。

 

: この悲劇的な物語の核は、敵対する、憎み合っている二つの世界が隣り合って存在していること、アサリーアスのパッションとイバンのパッションが異なっていることです。

: スペインの「パッション」には、大きく分けて情熱と受難という二つの意味があり、多分両方の意味を含ませていると思います。デリーベスはこの小説の構想は「人間、風土、そしてパッション」を描くことから生れたと語っています。

 

: 一貫してリアリズムで進行しますが、センチメンタリズムとは無縁です。

: アサリーアスもイバンも二つの世界のシンボルとして登場している。アサリーアスは侯爵家の娘ミリアムに「ミラーナ・ボニータ」が可愛いから見せたい。うなり声を上げるラ・ニーニャ・チカも「ミラーナ・ボニータ」だから見せたいのですが、それはミリアムの世界では理解できない。

 

: 象徴的なのは、ぐずっている少女をアサリーアスが抱くと静かになる。無垢なる二人はテレパシーで繋がっている。それでアサリーアスのシラミが少女にたかって、レグラはシラミ取りをする羽目になる。

: リリシズムが全編を横溢するなかで、笑いを誘う数少ないシーンです。キルセが兵役についている間に一人は「天使のような死に顔」で旅立ってしまい、もう一人も町の精神病院に入れられてしまう。ここで暮らすのはパコ夫婦だけになる。

: 荘園の守衛を解雇され、倒壊しそうな元の藁ぶきの家に戻っている。

: 映画は何も語りませんが、このような重要な変化を見過ごすとテーマを見失ってしまう。ここ辺境の地を流れる地下水も少しずつ変化している。「社会の底辺に生きる人々を描いた」作品ではあるが、それを描くことが主題ではないということです。

 

: アントン・ガルシア・アブリルの音楽もフォルクローレを取り込んだ個性的なもの、あの「アサリーアスのテーマ」が流れてくると不安になってくる。

: 効果的に挿入されています。『無垢なる聖者』というと、このギーギーと「ミラーナ・ボニータ」を思い出してしまいます。

 

: 撮影のハンス・ブルマンの美しい風景描写、巧みなロングショットとクローズアップ、きらびやかさと薄暗さの場面展開も印象的でした。

: 光(純白)と闇(漆黒)の切り替えですね。ブルマンは1937生れで、カムス監督と同世代。カムスとのタッグは1973年のLa leyenda del alcalde de Zalamea以来10作ぐらいあり、勿論『蜂の巣』も、ゴヤ賞ノミネートのLa rusa1987)、最新作といっても2007年だがEl prado de las estrellasも撮っている。カムスは引退しても、ブルマンはペースこそスローダウンしているが現役です。

B: アメナバルの『テシス』や『オープン・ユア・アイズ』も彼が撮っている。スペインだけでなくキューバのトマス・グティエレス・アレアの遺作「グアンタナメラ」、フアン・カルロス・タビオの『バスを待ちながら』やEl cuerno de la abundanciaなども手掛け、凄い仕事量です。

 

: さてシンガリは監督紹介、1935年サンタンデール生れのカンタブリアっ子。最初法学を専攻していたが映画に方向転換、1956年に国立映画研究所に入学、第1El borracho1962)は卒業制作として撮った短編です。まず脚本家として出発、カルロス・サウラの『ならず者』(1959)の共同執筆者の一人。またアルゼンチンのアドルフォ・アリスタラインの『ローマ』(2004)、ピラール・ミローの“Beltenebros”(1991)なども手掛けています。

 


: マリオ・カムスといったら文芸路線の監督というイメージが強い。やはり国際的に認められた『蜂の巣』と『無垢なる聖者』に尽きるのかな。

: そんな。文芸路線の監督には違いありませんが。テレビ・シリーズも数多く手掛けており、なかでペレス・ガルドスの小説の映画化『フォルトゥナータとハシンタ』は、1981年にTVシリーズに与えられるテレビ・パフォーマンス金賞を受賞した。フォルトゥナータに扮したアナ・ベレンもベスト女優賞を受賞しています。2007年を最後に撮っていないせいか、2011年に75歳でゴヤ栄誉賞を受賞してしまった。

 

    カムスの代表作品&受賞歴

1964  Young Sánchez マル・デル・プラタ映画祭1964スペシャル・メンション賞受賞。イグナシオ・アルデコアの小説の映画化

1968 Volver a vivir  商業的に成功した映画

1970  La cólera del viento 商業的に成功した映画

1972 La leyenda del alcalde de Zalamea ロペ・デ・ベガの小説の映画化

1975 La joven casada  商業的に成功した映画

1975  Los pájaros de Baden- Barden イグナシオ・アルデコアの小説の映画化

1978  Los días del pasado 

1982 La colmena 省略

1984 Los santos inocentes 省略

1985  La vieja música 

1987  La casa de Bernarda Alba ガルシア・ロルカの小説の映画化

1987  La rusa  ゴヤ賞1988でハンス・ブルマンが撮影監督賞にノミネート

1992  Después del sueño 

1993 Sombras en una batalla  ゴヤ賞1994オリジナル脚本賞受賞/シネマ・ライターズ・サークル作品賞・脚本賞受賞、カルメン・マウラが主演女優賞ノミネート、ETAのテロを扱った映画

1996  Adosados モントリオール映画祭FIPRESCI賞受賞/シカゴ映画祭脚本賞受賞

1997  El color de las nubes  サンセバスチャン映画祭OCIC賞受賞

2002  La playa de los galgos 

2007 El prado de las estrellas シネマ・ライターズ・サークル賞2009、監督賞及びオリジナル脚本賞ノミネート

★ノミネーション及び脚本賞は多数につき省略しているケースがあります。

 

『無垢なる聖者』 マリオ・カムス①2014年03月10日 18:19

★かれこれ30年前の映画になりますが、古さを感じさせません。多分「私の20世紀スペイン映画ベスト50」を選ぶとしたら迷わず入れます。今回アップする気になったのは、2月のセルバンテス文化センター土曜映画会で上映されたこと(英語字幕入りとあったが無かった)、テレレ・パベスがゴヤ賞助演女優賞を貰った際にもっと紹介したかったが断念したことが頭にあったからでした。本作のレグラ役は彼女の持ち味を生かした、まさに適役と言えます。

 

   Los santos inocentesThe Holy Innocents

製作:フリアン・マテオス

監督・脚本:マリオ・カムス

脚本:アントニオ・ラレタ、マヌエル・マトヒ  

原作:ミゲル・デリーベス(1881年刊の同名小説)

撮影:ハンス・ブルマン

音楽:アントン・ガルシア・アブリル

 

キャスト:アルフレッド・ランダ(パコ‘エル・バホ’)、テレレ・パベス(パコの妻レグラ)、フランシスコ・ラバル(アサリーアス、レグラの兄)、ベレン・バリェステロス(長女ニエベス)、フアン・サンチェス(長男キルセ)スサナ・サンチェス(次女ラ・ニーニャ・チカ、チャリート)、アグスティン・ゴンサレス(ドン・ペドロ)、アガタ・リス(ペドロの妻ドニャ・プリータ)、フアン・ディエゴ(セリョリート、イバン)、マリー・カリーリョ(侯爵夫人)、ホセ・グアルディオラ(ハラのセリョリート)、マヌエル・サルソ(ドン・マヌエル外科医)、ぺピン・サルバドール(司教)他 

 

データ:製作国スペイン・スペイン語 1984年 ドラマ 107分 撮影地(エストレマドゥラ州のアルブルケルケ、バダホス、サフラなど) スペイン19844月公開 日本19865月公開

受賞歴:カンヌ映画祭1984ベスト男優賞にフランシスコ・ラバルとアルフレッド・ランダが受賞、エキュメニカル審査員スペシャル・メンション賞をマリオ・カムスが受賞。ほかシネマ・ライターズ・サークル賞(西)作品賞受賞など。

 


プロット:パコとレグラの夫婦はニエベス、キルセ、チャリートの子供3人と、ポルトガルの国境いエストレマドゥラの大地主の小作農として、慎ましく、不平も言わず従順に働いていた。末っ子は精神に障害があり寝たきりの天使だった。夫婦の唯一の願いは、自分たちのような惨めな境遇から抜け出せるよう残る二人の子供たちに教育を受けさせること、そのためならどんな屈辱にも耐えようと思っていた。そこへ近くの荘園から年ボケを理由に暇を出されたレグラの兄アサリーアスが転がり込んできた。彼も幼児のように無心なイノセントの人であった。彼の唯一の楽しみはキルセが見つけてきたコクマルガラスのヒナを育てること、「ミラーナ・ボニータ」(可愛いコトリ)と可愛がっている。

雇い主ドン・ペドロ夫妻に子供はなく、妻プリータは侯爵家の狩猟狂のイバンと不倫の仲である。大土地所有者の侯爵家をヒエラルキーの頂点にして、上の階級が一方的に命令し、下の階級がそれに黙々と従う。ここエストレマドゥラでは、1960年代初頭にも拘わらず未だに古びた封建制度が脈打っており、人間性の喪失を引き起こす社会的不平等がまかり通っている。ある日のこと、イバンが癇癪紛れに<ミラーナ・ボニータ>を撃ち殺したことから、突然思いもよらぬ悲劇が起きてしまう。(文責:管理人)

 

     1984年、第1回東京スペイン映画祭開催の興奮

 

: この映画祭はかれこれ30年前に開催され、ポスト・フランコ時代の新作10が上映されました。正確には1117日~30日まで渋谷東急名画座、なかで『無垢なる聖者』が一番新しい映画でした。

: ゴヤ賞栄誉賞受賞のハイメ・デ・アルミニャン紹介記事に少し触れていた映画祭ですね。彼の『エル・ニド』(1980)が上映されたとありました。

: 映画祭邦題は『巣』でしたが、87年公開時に『エル・ニド』と改題されました。『無垢なる聖者』

はそのままの邦題で公開され、勿論とっくの昔に廃盤になっておりますがビデオも制作されたのです。

 

: セルバンテス文化センターでは、カタカナ起しの『ロス・サントス・イノセンテス』として紹介されていたので非公開と思っていた人が多いのではありませんか。今月上映されているサウラの『歌姫カルメーラ』は公開時の邦題になっていて、字幕英語入りとあり混乱します。

: プロが作成している冊子ではありませんし、英語字幕もあるかどうか()。今回本作をご紹介するにあたり日本語のデータベースを検索しましたが、本映画祭で作成されたカタログの間違いも含めて踏襲されておりました。例えば、侯爵夫人Marquesa公爵夫人Duquesaとなっていたのは少し問題かな。格式が大きく違いますし、Marquésは「辺境の地を支配する貴族」が原義ですから、公爵のはずがありません。

: 時代はかなり前になりますが、宮廷画家ゴヤのパトロンだったアルバ公爵夫人は、時の王妃マリア・ルイサと軽薄な張り合いをしたほどの女性、その権力は絶大でハンパじゃありませんでした。もともと公爵はヨーロッパでは公国の君主でした。

 

: 映画祭に話を戻すと、正式には「第1回」は付いておりません。1989年に再びスペイン映画祭が開催されたので区別する必要から84年を「第1回」、89年を「第2回」としたのです。1984年にはこの映画祭の前に「スペイン映画の史的展望<19511977>」という映画祭が京橋の国立フィルムセンターで開催されていたんです。これは画期的な企画でまさに日本での「スペイン映画元年」と言っても何処からも文句は出ません。フランコ時代の映画23が纏まって上映されたのです。それも全作英語スーパー付きのニュープリントだったそうです。しかしこの映画祭については別個に紹介する必要があり、別の機会に譲りたいと思います。

 

: つまり第1回スペイン映画祭上映作品は、ポスト・フランコ時代の10作、残り8作にはどんなものがありますか。

: 例えば公開作品でいうと、先の2作と『エル・スール』(エリセ)、『血の婚礼』(サウラ)を含めて4本、公開にならなかったほうに力作があるので羅列すると、『パスクアル・ドゥアルテ』(リカルド・フランコ)、『クエンカ事件』(ピラール・ミロー)、『庭の悪魔』(マヌエル・グティエレス・アラゴン)、『黄昏の恋』(ホセ・ルイス・ガルシ)、『夢を追って』(フェルナンド・コロモ)、『ミケルの死』(イマノル・ウリベ)の6本です。『クエンカ事件』のピラール・ミローは、治安警備隊の残酷な拷問シーンを描いたことで1カ月ほど収監される事態になった話題作。また『黄昏の恋』はスペイン映画として初のオスカー受賞(1983)作品、いずれ粒ぞろいの11本をご紹介する機会を持てたらと考えています。

 

: 80年代前半のスペイン映画界の勢いが感じられますし、その後の各監督の活躍を考えると凄いラインナップ、スペイン映画史に残る作品ばかりです。やはり未公開作品には一種の共通項があり、公開は無理だったろうという印象を受けます。

 

     小説では子供が4人だった

 

: さて『無垢なる聖者』は、かなり忠実に映画化しているということですが、小説ではキルセとチャリートのあいだにロヘリオという男の子がいる。6章立てで、1章アサリーアス、2章パコ、エル・バホ、3章ラ・ミラーナ、4章狩猟助手(El secretario)、5章パコの怪我(El accidente)、6章犯罪(El crimen)です。第4章で初めてイバンが登場します。

: 映画は、ニエベス、キルセ、パコ<エル・バホ>、アサリーアスの順、その度にフラッシュバックがあるから4回行ったり来たりして、ちょっと戸惑うでしょうか。テーマはそのままに映画的な再構成をしたということですね。

 


:  映画は冒頭にアサリーアスの象徴的な映像が映し出され、それからクレジットが出てくるという当時としては洒落た導入の仕方です。物語はキルセが兵役を終えてサフラの駅に仲間と降り立つシーンから始まる。今はサフラの工場で働いているニエベスに帰郷のメモを書いて、つまり字が書けるようになっている、二人はサフラで会う。フラッシュバックの期間が短いですが服装や物腰から混乱することはないと思います。

 

: シネ・トークで「この映画の時代はいつごろですか」と質問がありました。まさか60年代とは思わなかったでしょう。小説では時代とか場所とかは特定していないとか。

: ただ第2回バチカン公会議が出てきて、これが1962年から65年にかけてあったので60年代初頭と分かるようです。場所はポルトガル国境沿いの南部地方、風景描写からエストレマドゥラと特定できるようです。20年前とはいえ場所を特定したくなかったのかもしれません。映画でははっきり地名が鉄道の駅舎があるサフラ、他にサフラに近いビリャフランカやアルメンドラレホなどが出てきます。

 

: 日本では敗戦により農地開放が行われ大土地所有制は解体されましたが、スペインでは60年代にもあのような大荘園が存続していたとは驚きです。

: 侯爵夫人が2階バルコニーに出てきて、使用人たちの「侯爵夫人、万歳!」の祝福を受けるちょっと信じられないシーンが出てきます。

: 夫人が手を挙げて応えるしぐさは、国民の歓呼に応えるフランコ将軍に似ていて皮肉っぽいシーンです。

 


: このカサ・グランデと呼ばれる大邸宅は、お祭りや狩猟の季節にだけ使用される。今回はハラのセニョリートの聖体拝領を侯爵家の礼拝堂で執り行うのが主目的なのか、司教のほかオルガン奏者もやってくる。それで使用人の女房たち総出の大掃除やら使用する銀食器磨きとなる。

: 狩猟しか興味のないイバンに「あんな辛気臭い宗教曲を聞かされると頭痛がしてくる」と言わせている()

: 支配者側は自分たちに有利にはたらく教会権力は歓迎だが、一面ウンザリもしていたんですね。

: 礼拝堂といっても教会並みの豪華さで、当時の大土地所有者の「金力」には驚きます。

 

: お金は唸るほどあった、何しろ搾れるだけ搾っているのですから。荘園で働く小作人を一列に並べさせ、一人ひとり近況を聞いて小銭を渡し、お互いの上下関係を更にはっきりさせている。

: にこやかに応対する侯爵夫人の「見せかけの温情」も皮肉っぽいですが、将来領主となるだろうハラのセニョリートからもオダチンが渡される。一種の「帝王学」ですが子供から小銭を恵まれるなんて屈辱的です。

 

: 司教はたらふく食べているからだいたいまるまる肥っている。庶民が何とか三度の食事ができるようになったのが1950年代に入ってからと言われていますが、映画ではとてもそのようには見えない。

: スペインで最も貧しい土地がここエストレマドゥラです。

: ブニュエルのドキュメンタリー『糧なき土地 ラス・ウルデス』(1932Las Hurdes, tierra sin pan)ほどじゃありませんけど。ラス・ウルデスはエストレマドゥラの最北端カセレス県に位置し、現在でも平均所得が最も低いところです。ブニュエルはこのドキュメンタリーのイザコザでスペインに居られなくなり亡命を余儀なくされる。フランコ以前の映画、スペインが「ピレネーの向こうはアフリカ」と言われた時代でした。(続く)

 

 

"El metodo" マルセロ・ピニェイロ2013年12月19日 13:45

El método”(”The Method”)

★セルバンテス文化センター「土曜映画会・上映とトーク」(531日)に参加したときのメモをベースに構成したものです(英語字幕で上映)。本作出演のナタリア・ベルベケ来日を機に纏めてみましたが、来日トークでは脇役というせいか本作への言及はありませんでした。

 

監督・脚本:マルセロ・ピニェイロ

脚本:マテオ・ヒル、ピニェイロ(ジョルディ・ガルセランの戯曲El método Gronholmを脚色)

製作国:アルゼンチン、スペイン、イタリア  

プロダクション:ヘラルド・エレーロ、フランシスコ・ラモス 

撮影:アルフレッド・マジョ  編集:イバン・アレド  美術:ベロニカ・トレド

 

キャスト:エドゥアルド・ノリエガ(カルロス)、ナイワ・ニムリ(ニエベス)、エドゥアルド・フェルナンデス(フェルナンド)、パブロ・エチャリ(リカルド)、エルネスト・アルテリオ(エンリケ)、カルメロ・ゴメス(フリオ)、アドリアナ・オソレス(アナ)、ナタリア・ベルベケ(モンチェ)

 

データ:言語(スペイン語・フランス語)ドラマ 115分 2005年 撮影地マドリッド

受賞歴:2006年、ゴヤ賞(脚色賞マテオ・ヒル、マルセロ・ピニェイロ、男優助演賞カルメロ・ゴメス)、カタルーニャ映画観客賞(男優賞エドゥアルド・フェルナンデス)、スペイン映画脚本家サークル賞(脚色賞マテオ・ヒル、マルセロ・ピニェイロ、男優助演賞カルメロ・ゴメス)、スペイン俳優組合賞(女優賞アドリアナ・オソレス、男優賞パブロ・エチャリ)、その他ノミネート多数。

 

プロット:国際通貨基金(IMF)&世界銀行サミット開催当日の朝、マドリードの路上は反グローバリゼーションのデモ隊の波で騒然としていた。一方、多国籍企業デキア社では中間管理職採用試験の最終面接が行われようとしていた。あと一息まで辿りついた候補者は7人、インテレクチュアルだが腹をすかせたネクタイ着用の狼たちの闘いが始まろうとしている。「グロンホルム・メソッド」というフェアープレーでないゲームとは何か、厳しい生き残りをかけて地上35階フロアーで繰り広げられるライバル蹴落とし劇の幕が開く。(文責:管理人)

 

     「グロンホルム・メソッド」とは何か

 

2005年の作品ですからネタバレを気にしなくてもいいね。かなり心がザワザワするアンフェアーな心理ゲーム劇です。

:マドリードでサミットは開催されていませんから、導入部のドキュメンタリー手法を取り入れた日刊紙ABCのアップやテレビニュース報道、街角の貼り紙「FMI(西)」反対のビラはつくりもの、編集が大変だったのではないか。

:イバン・アレドが受賞は逃しましたが、2006年ゴヤ賞や映画脚本家サークル賞のベスト編集賞(Mejor Montaje)にノミネートされていますね。

 

:メソッドが始まってからは殆ど密室劇になりますが、なるほどこれは戯曲の映画化だなと感じます。

:密室劇の金字塔といえばシドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』、これも最初は舞台劇、それをテレビドラマにしたのを映画化した。こちらは原作者がどれにも関わったので大きな違いはない。しかし本作はかなり内容が違うらしいです。演劇の初演は2003年カタルーニャ国立劇場、タイトルは「グロンホルム・メソッド」です。登場人物も女性1人男性3人の4人、結末も異なり、原作者ガルセランは不満だったようです。

:小説の映画化も同じですが、不満でない原作者というのは珍しいです。

 

(写真:4人の登場人物)

:監督は先にガルセランの同名戯曲Kamchatka2002)をかなり自由に翻案して映画化しており、それの影響があるかもしれない。Kamchatkaは原作が戯曲だったとはとても想像できません。本作はガルセランが「作品のアイデアは現代の寓話として生れた」と語っているように寓話性がより高く、原作はもしかしたらシリアス・コメディなのかもしれません。

:いずれにせよ演劇と映画は同じになりえないのだから、OKを出したら白が黒でない限り不満でも仕方がないのでは。それでナタリア・ベルベケは秘書役だから7人には含まれない。

 

:見せかけはコケティッシュだが実はしたたかな曲者なんですね。それが映画の進行とともにだんだん分かってくる。彼女はハッとするような美人じゃないけど何本か見ているうちに味のある女優であることが分かってくるタイプです。

:ゴヤ賞を筆頭に受賞やノミネート歴でも分かるように、アルゼンチンやスペインでは話題になったようですね。

:こういう密室劇は派手な動きがないだけに演技者が決め手になります。主役はノリエガのようですが、それぞれが持ち味を生かして人物像をくっきりさせている。ゴヤ賞男優助演賞はカルメロ・ゴメスですが他の映画賞ではエドゥアルド・フェルナンデスやパブロ・エチャリが選ばれています。

 

:さて「グロンホルム・メソッド」とは何か。リーダーとしての適性や能力を評価する「アセスメントセンター・メソッド」が背景にあるようですね。

1930年後半にハーヴァード大学臨床心理学者のヘンリー・マレーが作成したメソッド、昇進昇格時の審査に用いられ、今後必要とされる能力の有無を予測的に評価するメソッド。リーダーとしての適性や可能性をシミュレートする。60年代にはIBM、スタンダード石油、GMなどが採用、1973年に第1回アセスメントセンター・メソッド国際会議が開催されるまでになった。

 

60年代には12個所だったのが現在では世界1000個所以上の機関が採用しているという。それをパロディ化したのが「グロンホルム・メソッド」というわけですね。この7人の中にデキア社のtopoが潜りこんでいる。つまりスパイですね。そのスパイを炙りだせという課題が科される。

:まずスパイ以外は疑心暗鬼になる。グロンホルムは汚いゲームのメタファーでしょうね。現代のマキャベリズム、皮肉を込めた新自由主義でもあるかも。各人厳しい社会での生き残りをかけて、目前のライバルを退けようと戦っている。しかしそれぞれ個人と戦っているように見えて、実は現実と虚構、真実と嘘というモンスターと戦っているようです。

topo =英語字幕 mole、モグラ、盲人の意味だが、映画ではスパイ)

 

     ストレス・テストに耐えられる勝利者は誰?

 

:パブロ・エチャリが演じたリカルドであることは半ば以降だいたい観客にも分かってくる。すると導入部分のリラックスしていたリカルドの朝のシーンが生きてくる。それに対してゴメスの緊張ぶりが際立っていました。

:誠実な良心の持主から消えていく。カルメロ・ゴメス→アドリアナ・オソレス→エルネスト・アウテリオと退場していく。3人は生き残ったライバルたちのリズムに追いつけない。何故なら残留者はリミットを弁えないからです。最初から生き残り3人組は分かるようになっています。

 

(写真:7人の登場人物)

:ノリエガ(カルロス役)はケンブリッジ大学卒業後、コロンビア大学のマスター号を取得したエリート、2003年ナイワ・ニムリ扮するニエベスとチュニス会議で知り合い、しかも深い仲だったという設定。18か月ぶりの再会というわけです。

:二人は英語は勿論のことフランス語も堪能、秘かに勝利者は自分だと確信しています。後半フランス語も披露しますが、ここら辺はコメディタッチです。演劇にもあるシーンなら場内は笑い声に包まれたことでしょうね。映画のほうも後半はかなり笑えますね。

 

:エドゥアルド・フェルナンデス(フェルナンド役)は、マッチョ・イベリコ、イベリア半島のマッチョであるが、pajeroオナニー男で、カルロスに剥きだしの敵意を燃やす。

:ちょっと損な役回りでしたが、カメレオン役者の名に恥じず上手いですね。ナイワ・ニムリは可愛い顔して残酷ぶりを発揮する役柄には打ってつけ、彼女のキイワードは鏡、ここでは複雑な役柄を豊かに演じていました。

:特に最後のシーンは、一瞬の迷いが命取りになることを見せつけられる。最後の勝利者も達成感よりむしろ苦汁を味わったような印象でした。

:元恋人でも安易に人を信じてはいけません()。最後のゴミで埋まったマドリードの街路に消えていく疲れ果てた後ろ姿が寒々としていた。観客も疲れましたね。

 藁売り人の意味だが、ラプラタ地域ではオナニーをする男、またアルゼンチンでは意気地なしの意味もある。)

 

:どんな状況のもとに置かれても、倫理とか道徳とか恥とかを捨てなければならない社会に暮らすのは経済的に豊かでも楽しくない。デキア社のオフィスはビルの35階、あまりに高層なので下界の喧騒とは縁がない。

:ウエはグローバリゼーション、シタはアンチ・グローバリーゼーションという対比というか断絶が面白い。このあとに起こったリーマンショックを経験した私たちにとって考えさせられる映画です。ピニェイロ監督の次回作Las viudas de los jueves2009)は、200112月に起きたアルゼンチンの金融危機、国家破産をテーマにしたものですが、政治的社会的なテーマが多い粘り強い監督です。『木曜日の未亡人』という邦題で2010年にDVDが発売されています。

:常にアルゼンチンの現実にコミットしており、先述のKamchatka70年代から80年代にかけての軍事独裁時代を糾弾している映画で、題名の「カムチャツカ」はユートピアのメタファーでした。

 

(写真: 『木曜日の未亡人』の記者会見をするピニェイロ監督)

:『木曜日の未亡人』は、アルゼンチン中堅俳優総出演という感じの映画でちょっと総花的、エチャリやアウテリオも参加している。字幕入りで見ることができる長編第3Cenizas del paraiso1997Ashes fromParadise)が『ボディバック 死体袋』という分かりにくい邦題で2000年にVHSが発売されました。

:一番話題になったのは当時イケメン男優として人気絶頂だったノリエガとレオナルド・スバラグリアがコンビを組んだPlata quemada2000Burnt Money)ですね。スバラグリアは、『木曜日の未亡人』にも出ていた。

 

:東京国際レズ&ゲイ映画祭2001で『逃走のレクイエム』として上映、第1回ラテンビート2004では『炎のレクイエム』と改題されました(まだラテンビートの呼称ではありませんでしたが)。実話をもとに書かれた小説の映画化、先に小説を読んでいた人は物足りなかったようですけど。事実は小説よりも奇なりが実感できる。最新作Ismael2013)には、マリオ・カサス、ベレン・ルエダ、セルジ・ロペス、フアン・ディエゴ・ボットなど人気の若手からベテランまでのスペイン勢が名を連ねています。間もなくスペインで公開、情報が待たれます。

『ソリチュード:孤独のかけら』ハイメ・ロサーレス2013年11月08日 14:21

『ソリチュード:孤独のかけら』“La soledad

★この記事の本体は、かつてCabinaブログ20081230日)にコメントしたものを再構成したダイエット版です。カビナさんの作品紹介・コメントが面白いのでソチラにもワープして下さい。

★イマジカBSと変更される前の「シネフィルイマジカ」の直輸入映画として2008年に放映された作品、劇場未公開です。現在では番組の性格もポリシーも変わってしまっているので、今後の再放映は期待できません。アーロン・フェルナンデスの『エンプティ・アワーズ』で本作をご紹介したこともあり、またスペイン映画の多様性を楽しんで頂けたらと現時点でのコメント付きで再登場させました。

 

(写真:ゴヤ賞授賞式のハイメ・ロサーレス)

監督: ハイメ・ロサーレスJaime Rosales

脚本: ハイメ・ロサーレス、エンリク・ルファスEnric Rufas

プロデューサー:ホセ・マリア・モラレスJose Maria Morales、ハイメ・ロサーレス、リカルド・フィゲラスRicardo Figueras

撮影監督:オスカル・ドゥランOscar Duran

製作:スペイン、2007年、ドラマ、126

 

主な受賞歴

2008年スペイン、シネマ・ライター・サークル賞(ハイメ・ロサーレス)

2008年ゴヤ賞作品賞・監督賞(ロサーレス)、助演男優賞(ホセ・ルイス・トリージョ)

2008年サン・ジョルディ賞作品賞(ハイメ・ロサーレス)

2008年スペイン俳優連合賞主演女優賞(ペトラ・マルティネス)、新人女優賞(ソニア・アルマルチャ)

    

プロット:アデラ、11か月の男の子をもつ離婚した若い母親、レオン近郊の生れ故郷の小さな町で父親と暮らしていたが、元夫や父親の反対を押して新しい人生を求めてマドリッドに移住する決心をする。アントニア、夫と死別したあと雑貨や食品を扱う小さなスーパーを経営し、新しいパートナーと暮らしている。成人した3人の娘はそれぞれ家を出て暮らしているが何かと母親を頼っている。マドリッドを舞台に直接出会うことのない二人の女性とその家族の人生が語られ、大きな事件とささいな日常のなかで、二つの死がエモーショナルに描かれる(管理人文責)。

 

   キャスト紹介

ソニア・アルマルチャSonia Almarcha(アデラ)

ペトラ・マルティネスPetra Martinez(アントニア)

マリア・バサンMaria Bazan(エレナ、アントニアの長女)

ミリアム・コレアMiriamCorrea(イネス、アントニアの次女)

ヌリア・メンシアNuria Mencia(ニエベス、アントニアの三女)

ホセ・ルイス・トリージョJose Luis Torrijo(ペドロ、アデラの元夫)

ヘスス・クラシオJesus Cracio(マノロ、アントニアのパートナー)

リュイス・ビリャヌエバLluis Villanueva(カルロス、イネスの同居人)

フアン・マルガリョJuan Margallo(アデラの父親)

ルイス・ベルメホLuis Bermejo(アルベルト、エレナの夫)

ペプ・サイスPep Sais(ドクター)

アドリアン・マリンAdrian Marin(ペペ、スーパーの店員)

 

    ハイメ・ロサーレスはスペイン映画界の異分子

 

A: 音楽なし、ゆっくりしたテンポ、長回しの二分割画面、緊張を強いられて疲れてしまう映画でしょうか。漫然と受け身で見ていたら眠り込んでしまう()

B: 世代も立場も異なる二人の女性の人生を二分割画面を使って同時に描いていくというのが、見る前の知識としてあって、それで二人が同じ画面に二分割されて登場するのかと思っていました。

A: そう、ハンス・カノーバの『カンバセーションズ』(2005)に描かれたようなデュアル・フレームの使い方。元恋人たちが友人の結婚式で偶然十年振りに再会する。今の二人とかつての二人、口から出るセリフと本当の気持ちのズレを巧みに二分割画面におさめていた。本作のように複雑ではないが、お互いの心理状態をレントゲン写真を撮るように描いている点では同じです。

 

(写真:左画面がアデラ、右画面はニエベスとアントニア)

B: 主人公のアデラとアントニアが同時に登場するのは、たぶん1カ所しかない。

A: 第4章の冒頭部分、左画面にアデラが公園らしきベンチに座っている。右画面には娘のニエベスとアントニアがブロック塀の前のベンチにいる個所です。ニエベスが雑誌を買いに席を立つと二人が画面に取り残される。アデラがタバコを吸いだすと、アントニアがそちらを見る、アデラもアントニアのほうに顔を向ける、すると真ん中の分断線が突然消えたような錯覚に陥る。

B: 本作は、第1章アデラとアントニア、第2章都会、第3章大地、第4章バックグランドノイズ、エピローグと5つに分かれている。終盤近いこともあって印象に残っています。


A: 二分割画面については改めて触れるとして、まずロサーレス監督の輪郭から始めましょうか。1970年バルセロナ生れ、もう額が広くなってますが、監督としては若いほうですね。子供のころは科学者になりたかったそうです。経営学を学んだ後、絵画、音楽、写真の分野に興味をもち、遠回りして映画に辿り着いた。常に映画と無関係な分野にも関心があるらしく、幅の広い勉強家みたいです。

B: 第1作は “Las horas del dia” (2003)で、本作が2作目と寡作です。どんな作品ですか。

 

A: 簡単に言うと、世間からは恵まれているフツウの人と思われている、つまり家も仕事も恋人もある若者が、ある日突然、駅構内のトイレで見知らぬ男を殺す話です。「誰でもよかった」殺人です。

B: そして、今回は自動車爆弾テロで赤ん坊が死ぬ話。

A: 第3作目、昨年9月のサンセバスチャン正式作品 “Un tiro en la cabeza” では、ETAグループのテロリストが治安警察隊員を殺害します。勿論、3作目は未見なのでコメントできませんが、被害者でなくテロリスト側の目線で描いてあるということで、紆余曲折がありそう。

(管理人:自然に聞こえてくる町の騒音とかピストルの発射音以外、登場人物たちが喋っているセリフはすべて消してある。無声映画とも違う手法で撮られていて、映画祭でもセンセーションを巻き起こした問題作です。)

 

B: ロベール・ブレッソンの作品を思い起こさせるという批評がありますが。

A: 個人的にはハネケやカウリスマキ、ロメールの仕事に似てるかなと感じました。ブレッソンは大げさな演技を嫌い、余分なものをそぎ落として映像を極力簡素化したことや、音楽やプロの俳優を起用しない、監督になる前に画家、写真家だった経歴も似ています。ヌーベル・バーグの監督たちに影響をあたえた監督として、オールドファンには忘れられない人。最近ではあまり放映されませんが、紀伊國屋からDVD-BOXが出ています。

B: ロサーレス自身もブレッソンを尊敬する監督の一人に選んでいます。

 

A: 他にゴダール、アントニオーニ、ベルイマン。スペインではエリセの『エル・スール』、イバン・スルエタの ”Arrebato” (1979)。カイエ・デュ・シネマの同人たちが熱狂的に支持したニコラス・レイの『大砂塵』、忘れるわけにいかない作品としてデ・シーカの『自転車泥棒』を挙げています。『大砂塵』の原題は ”Johnny Guitar” で、ペギー・リーの歌う主題歌「ジョニー・ギター」は日本でもヒットソングになりました。

B: 監督のアウトラインがおぼろげながら見えてきましたので、デュアル・フレームに話を戻して登場人物の≪孤独≫に迫りましょう。                    

 

     二分割画面で進行するユニークな映像

 

A: まず第1章「アデラとアントニア」で、手際よく二人の主人公が紹介されるが、物語はアデラに比重がかかっています。

B: 全体のおよそ3分の1が二分割画面と紹介されていますが、半分ぐらいあった印象です。

A: それは1台の固定カメラで撮影している場合でも、画面が垂直線、つまり柱、窓枠、ドア、桟などで執拗に仕切られているからじゃないですか。出だしの「LA SOLEDAD」というタイトルが消えると、北スペインらしき山並みを背景にした牧場が現れ、のんびり牛が草を食んでいる。真ん中に1本、何のポールか分からないが立っていて、のっけから画面が分断されています。

 

B: カメラが室内にあって戸外にいる人物を撮っているときでも、真ん中に太い窓枠があって、観客が近づくのを邪魔している印象。声は聞こえてくるが後ろ向きなので表情は読み取れない。

A: 最初にアデラが息子のミゲリートと玄関から入ってくるシーン、入口のある右側はカメラが室内に設定されているが、左側の居間を撮るカメラは屋外にある。それでカメラの眼は窓から部屋の中を覗き見するようになっている。両方ともロングショット。電話がかかってくるとアデラは右端から出ていき、遠回りするような感じで左端から居間に入って来て受話器を取る。左はアデラの後ろ姿の全体像、右は正面向きのアデラのクローズアップ、ここで初めて顔がわかる。

 

B: 大体がこんな風ですね。モンタージュの大変さが伝わってきます。

A: もう一方の家族、アントニアには三人の娘エレナ、イネス、ニエベスがいる。字幕でイネスがニエベスを妹と言うシーンがありますが、スペイン語ではどちらにも訳せます。このニエベスに結腸癌が見つかって入院することになるシーン、看護師と一緒に親子が病室に入って来る。ここは1画面なのにドアや壁の仕切りが立ちはだかって、まるで3分割された感じです。

B: 電話のシーンでもアデラは両側に半開きになった開閉窓の窓枠と横桟の真ん中に佇んでいる。

 


A: ミゲリートを失ったあと、アデラが入浴する凄まじいシーン、バスローブに着替えたアデラがベッドにポツンと腰かけている。カメラは廊下から室内を映していて、手前に入口のドア、奥に外窓とカーテン、その向こうにベランダの柵、その先に向かいの家の窓枠と幾重にも分割されている。

B: 音楽もセリフもなくアデラも微動だにしないから、観客はおのずとアデラの孤独に引きずりこまれてしまう。こういうショットが多いから、たぶん二分割画面が実際よりも多い印象になる。

 

     優れた内面描写を見逃さないで

 

A: 場面展開もおもしろい。第1章から第2章「都会」への移行。アントニアがニエベスを残して病室から出て行くと、唐突にアデラがマドリッドの新居の下見をしている。見る側はその飛躍に戸惑う。全くの説明抜きに既にアデラがアクションを起こして都会に移動したことが分かる。ここでアデラとルームシェアすることになるアントニアの次女イネスとの出会いを入れ、二人の主人公の接点らしきものが暗示される(実際には出会わない)。

 

B: 普通二分割はシンメトリー的な位置に人物をおいて、垂直な軸で分断する。しかしロサーレスは意識的にメソッドを壊している。


A: 例えばアデラとパブロ、アデラが正面を向いているときはパブロは軸側の横向き、パブロが正面だとアデラは反対に横向き、この繰り返し。実際は向き合って喋っているのだが、もはや修復不可能なほど気持は離れている。二分した仕切りの陰で本当のバトルが進行している。

B: 長女エレナとイネス。二人の関係はこじれている。エレナが横→正面→横→正面に対して、イネスは完全にその逆方向。

 

A: ニエベスとイネス。良好とはいえないが、アンチ長姉では団結している。左側のイネスはやや左向き、右側のニエベスはやや右向き、ここは定石通りのシンメトリー。見た目にはソッポを向いて話しているように見えるが、実際はイネスが右でニエベスは左に座っているんですね。

B: 離れているようで離れていない、芸が細かいですね。

 

A: イネスとルームシェアしているカルロス。恋愛関係はなく上手くいっている。二人の場合、イネスが正面ならカルロスも正面、イネスが横向きならカルロスも横向き。

B: カルロスとアデラ。一緒に穏やかに食事をしていて、カルロスが傷心のアデラを慰めようと旅行に誘うシーン、左側にクローズアップのカルロス、右側にロングショットのアデラ、二人とも真ん中の軸方向の横向き。ややしつこく誘うカルロスにアデラが苛々し始めると、突然、例の正面→横→正面→横が始まる。

A: 二分割でセリフをカットするだけでなく、他人が心の中に踏み込んでくるのを拒絶している。枠が二つあることで、それぞれ自身の孤独の中に閉じこめるのに成功しています。

:観客にあまりサービスしない、地味で職人芸的な映画が、どうしてゴヤ賞のような大賞に選ばれたか不思議です。        

 

     スペイン男のトレードマークは≪アンチ・マッチョ≫

 

A: 今まで見てきたスペイン映画の枠組みから外れているけれど、実人生とは簡単でいて複雑なんだと感じさせる映画です。何が起ころうとも人生は続くんだし、仮に子供を失ってもね。全体にざらざらしてペシミスティックな筋運びなんだが、結局のところロサーレスはオプティミストなんじゃないか。遠近法を利用した二分割画面が、セリフのカットやゆっくりしたリズムの破調だけでないということです。アントニアの家族が初めて総出演するシーンで、「男の品定め」を始める。

 

B: 特に悪い人は出てこないが、総じて存在感の薄い鈍感な男性が多い。ペドロを演じたホセ・ルイス・トリージョがゴヤ賞新人男優賞を貰いました。けっこう難しい役柄ですね。

: アデラが積極的で自立心が強く、意志堅固で譲歩しないのに対して、ペドロは他力本願、自分勝手というわけじゃないが自分に点が甘く、離婚に至った原因が読めていない。

B: マッチョで名誉を重んずるというスペイン男は登場しない。

A: アデラは監督の分身なんだと思う。ペドロを筆頭に男性陣は概してずるくて責任回避的。ペドロは息子の養育費を払わないだけでなく、高額な借金を破廉恥にもアデラに申し込む。

 

B: 暴力男でないだけに始末が悪い。エレナの夫アルベルト、口数の多い妻に逆らわず、一見物わかりがいいように見えるが、それは微温的な生活を壊したくないだけ。姑のお金を当てにしてリゾート地の別荘購入にも躊躇しない。

A: 今時では珍しくないのかも。いちばんイライラさせられる男。エレナから「お腹についた肉」をそぎ落とすよう皮肉られていた。そしてアデラの父親、娘が心配で毎日電話をかけてくるが、実は寂しくて孤独に耐えられない。娘を呼び戻し昔のように御飯作ってもらって暮らしたい、ひとりでは暮して行けないタイプ。冒頭部分にアデラが言う「もうパパったら!」で一目瞭然。

B: これは日本でも多く見られるようになった優しい父親像。孫のミゲリートをだっこ紐で抱いていたでしょ、あれは一般的な光景なんだろうか。

 

A: アントニアの恋人マノロ、彼の願いは孤独を避けるために、ひたすら平穏を保とうとすること。用心深くいやいや思慮深く、自らはアクションを起こさない。

B: 遠まわしに「干しブドウ」と揶揄されていたけど。でも一番マトモなんじゃない。

A: あまり生活臭がなく得体のしれないのがカルロス。こういう男性増えてんですかね。

B: それぞれセリフも演技も自然で、地でやってるんじゃないかと錯覚するほど。スペイン人だって十人十色だけど、こう揃いも揃ってられちゃ、監督の目は男性に厳しい。

 

    何が起ころうが人生は続くんです

 

A: さて「女の品定め」、一番シンパシーを感じたアントニアから。世間によくある典型的な母親像です。娘たちの何かにつけ表面化する対立に悩んでいる。もう小さい子供ではないから、依怙贔屓なく公平であろうとするが、それが却って姉妹間の溝を深めてしまう。

B: 女優陣はゴヤ賞で誰もノミネートさえされませんでした。ノミネートされた女優陣の顔ぶれからペトラ・マルチネスが助演女優賞に選ばれてもおかしくなかった。名シーンとして、例えば第4章、長女夫婦が購入した別荘に初めて案内される車の中、頭金を出した自分に相談もなく物件が大きな家に変わっていたうえ、自分より先に婿の両親を案内していたことを知る。

 

(写真:車中のエレナ、アントニア、アルベルト)

A: 口数の少ないアントニアの目の演技には脱帽です。子供が結婚すると、たいていの親はこういう理不尽な洗礼を受ける。シナリオが実に行き届いています。長女は頭金ほしさに母親のマンション売却を迫る。「そうすればマノロと同じ屋根の下に住めるじゃない、願ったり叶ったりよ」。冗談じゃないよマッタク。他の娘たちの板挟みになりながら売却を決心したけど、本心からじゃない。

B: 得てして長女というのはどこでも自己中心的で権力志向の人が多い。

 

A: しかし母親に付き添いニエベスの担当医の説明を聞きに行ってくれるのは、イネスじゃなくてエレナ。長女としての責任感を持っているし、アントニアもどこかでエレナに頼っている。

B: マリア・バサンの押しの強さ、たっぷりした腰、太い二の腕、まさにハマリ役です。

 

A: ニエベス、理想の男性にレアル・マドリッドのゴールキーパー、イケル・カシージャスの名を挙げていて、がっしりタイプが好き。これは余談だが、バルセロナ生れの監督は、現在マドリッドに住んでいる数少ないバルサ・ファンだそうです。医者から禁止されてるタバコが止められない、この映画でタバコを吸うのは女性、なにかメタファーがありそう。癌が発見されてからは、死の恐怖から不安定で不機嫌だが、担当医から完治したと言われた時のパッと輝くような顔、あれ、ニエベスってこんなに美人だったかしら。

B: コントラストを鮮やかに演じ分けていた。ヌリア・メンシアはラモン・サラサールの『靴に恋して』(2002)に出ています。

A: ああいうアンサンブル・ドラマにチョイ役で出て、若い監督に発掘される。ギャラの高い大物俳優は物理的に起用できませんから、チョイ役でも結果を出すことが大切です。

 

B: ミリアム・コレアが演じたイネスが、形見分けのシーンで母親愛用の「リネンだけでいい」と言うシーン、なんか切ないね。総じてセリフは自然で飾り気がないが、特にここはいい。

A: 母親の使っていたリネンにくるまって寝たい、失って初めて知る親の愛情の大きさね。形見分けが争いにならず、却って姉妹が和解した雰囲気が伝わってくる。親の脛かじりでないイネスたち三人が一軒の家をルームシェアするのも、家族とは何かのメタファーを感じさせます。変化する家族の在り方も本作のテーマの一つです。ここにデンとある大型のアイロン台、これもメタファーです。

 

B: しんがりはアデラ。わが子を失って宿命論に屈したように見えながら、新たな道を見つけて歩き始める芯の強いヒロインを好演している。

A: 監督が「ソニア・アルマルチャは私への贈り物」と述べているように、成功の鍵はソニア起用にあるでしょうね。ここの二つの死のように、死は何の前触れもなく一撃のもとにやってくることもある。観客は突然断ち切られた二つの人生に、筋の通らない衝撃を受ける。でも残された人々の人生は続くんだと映画は言っている。

 

B: 人間に対する深い洞察力。夫婦の亀裂が愛の喪失だけでなく、ウラにお金が絡んでいることをちゃんと入れている。三姉妹のいざこざもお金絡みです。

A: 自然な雰囲気の中で過剰な演技を避けさせ、演技させてないように演じさせている。

 

B: こんな地味な作品がゴヤ賞受賞するなんて、やはりサプライズでしょうね。

A: ノミネートでさえサプライズでしたから、受賞となると尚更ね。一番驚いたのは監督自身かも。私も前評判でバヨナの『永遠のこどもたち』を本命と考えていましたから。

B: 5月のカンヌでも話題になったんでした。

A: しかしカンヌの後、夏に勝負を賭けて封切りにしたが、マドリッドでさえ2館だけだった。すべての資金を製作につぎ込んでいたから、マーケティングに回せるがお金が残っていなかったそうです。

 

B: 独立系の弱小プロの場合、事情はどこも同じです。

A: ところがノミネートされるや、特別上映会が企画されたり、学生や映画ファンを囲んでの討論会が催されたりした。「自分のようなマイナーな映画監督が特別のイベントをしてもらえるなんて、かつてなかったこと」と述べています。ノミネートだけでも意味があったわけです。

B: 受賞したら再上映館が30館になり、DVDが手に入らないという問合せでたちまち増刷、より幅広い観客のところに届けられたわけです。彼もDVD の役割の大切さをインタビューで語っています。

A: 物語は静かに進みますが、苛立ち、忍耐、病の恐怖、老いの不安、テロへの怒りが充満しています。この映画が訴えていることは、いずれ人は鏡に映った自分の姿に向き合い、「今の自分でいいの」と問いただす時が来るということです。


『エリ』”Heli”アマ・エスカランテ*第10回LBFF⑥2013年10月08日 16:08

『エリ』“Heli” アマ・エスカランテ*第10LBFF

★東京国際映画祭TIFFと共催上映になった『エリ』の紹介は難しい。「2013カンヌ映画祭最優秀監督賞受賞」や「カルロス・レイガーダスが製作参加」でホッとする。今回のLBFF作品紹介ではストーリーを割愛しておりますが、因みにご紹介すると:

LBFF作品紹介

「舞台はメキシコ・グアナフアト州にある小さな田舎町。住民の多くは貧しく、自動車組み立て工場の仕事か、麻薬密売組織の手先になるしか、生きる道がないような厳しい状況にある。そんな中、17歳の青年エリとその家族は、ある組織的な麻薬トラブルに巻き込まれていく…。麻薬密売組織と警察の癒着、貧困、暴力、経済格差といったメキシコ社会の暗部に鋭くメスを入れた衝撃の社会派サスペンス」

TIFF作品紹介
「メキシコの荒廃した地域で、17歳の青年エリは妻子と父、そして妹と淡々とした暮らしを送っていた。平凡な日々であったが、軍人生活に嫌気がさした妹の恋人が、押収品であるコカインを盗んだことで事態は急変する」

 

★カンヌ監督賞受賞の折の海外メディアの報道を総合すると、「単に社会暴力を弾劾しているだけの映画ではなく、心の琴線に触れる愛、性、青春そして希望について語られた家族の物語」、「ゆっくり流れる美しい映像と観客を不安にさせるロングショット」、「誰にもお薦めできる映画ではないが、もしソダーバーグの『トラフィック』やハネケの『愛、アムール』のような作品がお好きならお薦めです」などでした。目をそむけたい拷問シーン。警察汚職、に心を奪われていると、エスカランテの真のテーマを見落とすかもしれない。

 

 


           監督紹介

★監督、脚本家、製作者。1979年バルセロナ生れ、父はメキシコ人、母はアメリカ人、バルセロナで生れたのは偶然とか。メキシコのグアナフアトで過ごし、2001年カタルーニャ映画スタジオ・センターで学ぶため渡西、後ハバナのサン・アントニオ・デ・ロス・バーニョス映画学校でも学んだあと帰国。短編“Amarrados”2002)が翌年のベルリン国際映画祭に出品された。カルロス・レイガーダスの『バトル・イン・ヘブン』(2005)の助監督をしながら、ロッテルダム国際映画祭、サンセバスチャン国際映画祭の資金援助合計$60,000を受け、2005年長編『サングレ』でデビューする。以下作品紹介で。

 

   長編映画紹介

2005『サングレ』“Sangre” 監督・脚本・製作、メキシコ=仏、TIFFコンペティション出品。

受賞歴:ブラチスラバ国際映画祭・監督賞。カンヌ映画祭・FIPRESCI国際映画批評家連盟賞。メキシコ市国際現代映画祭・作品賞。テサロニケ映画祭・シルバー・アレキサンダー賞など。

2008『よそ者』“Los bastardos” 同上、メキシコ=仏=米、カンヌ映画祭正式出品作品、LBFF2009上映。

受賞歴ブラチスラバ映画祭・最優秀監督賞、学生審査員最優秀映画賞。シッチェス映画祭「新しい視点」最優秀映画賞。モレリア映画祭・最優秀映画賞。マル・デル・プラタ映画祭・最優秀ラテンアメリカ映画賞。リマ映画祭・国際審査員賞など。

2013『エリ』“Hali” 同上、メキシコ=独=仏=オランダ、2013LBFFTIFF共催にて上映。

受賞歴:カンヌ映画祭・監督賞受賞。


(写真:ベルガラ、監督、エスピティア カンヌにて)

  
  キャスト紹介

アルマンド・エスピティア(エリ)/アンドレア・ベルガラ(エステラ、エリの妹)/リンダ・ゴンサレス(サブリナ、エリの妻)/フアン・エドゥアルド・パラシオス(アルベルト、エステラのボーイフレンド)/ケニー・ジョンストン(アメリカ人指揮官)

*ケニー・ジョンストン以外は初出演です。彼はエスカランテの短編Amarrados他、長編3作に出演しており、助監督や撮影も兼ねている。

 

   トレビア

★カンヌ映画祭での成功後、ミュンヘン国際映画祭、カルロヴィ・ヴァリー映画祭、リオデジャネイロ国際映画祭、シカゴ映画祭などに出品されている。

★メキシコでは89日に公開された。公開に先立つ記者会見で「メキシコのイメージダウンになると思いませんか」という質問には、「いい質問だが、この国の現実だからね。イメージダウンにならないよう検閲してもらうべきでしたか」と答えています。「メキシコの若者には心が痛む。勝ち目のない戦いなのに希望を託して挑む姿を表現したかった」とも。巨人ゴリアテに小石で挑むダビデですね。

★メキシコ時代にブニュエルが撮った『忘れられた人々』(1950)やハネケの影響を受けているとも。『よそ者』は確実に『ファニーゲーム』(1997)の影響があります。

2014年米国アカデミー賞外国映画部門のメキシコ代表作品に選ばれました。

『ある殺人者の記録』”Satanas”アンドレス・バイス*第10回LBFF⑤2013年10月07日 12:49

★『ある殺人者の記録』(2007)は、レトロスペクティブとして上映されるアンドレス・バイスの長編デビュー作です。第3作『暗殺者と呼ばれた男』は、ミゲル・トーレスの小説El crimen del sigloを映画化したものですが、内容は大分変っているようです。勿論小説と映画は別のものですから問題ありません。こちらはマリオ・メンドサの同名小説の映画化ですが、小説も実話をもとにして書かれた。実際に起きた事件→小説→映画、それぞれ登場人物の名前が変更されたり、映画では削除されたりしておりますが、勿論これも問題ありません。

Mario MENDOZASatanásノルマ社、コロンビア、2002年刊

 


★両方とも実際に起きた事件を題材にしていますが、本作と『暗殺者と呼ばれた男』の決定的な違いは時代背景です。1986125日、首都ボゴタの高級レストラン≪ポッゼット≫で起きた事件が語られる。事件そのものより犯罪が起きる前の≪サタン≫の個人史と二極化したコロンビア社会が語られると言ったほうがいい。3本の柱をもつ群像劇。コロンビアで2007年に封切られた6年前の映画ですが、日本では初上映になりますからネタバレは避けねばなりません。もっとも邦題に≪殺人者≫とあるからプロットは若干ネタバレしています()

 

  受賞・ノミネート歴

2007年、ボゴタ映画祭最優秀作品賞受賞

2007年、ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭「金のコロン賞」ノミネート

2007年、サンセバスティアン国際映画祭ホライズンズ・ラティーノ部門、マルセラ・マルがスペシャル・メンション賞受賞

2008年、カルタヘナ映画祭コロンビア映画作品賞受賞

2008年、アリエル賞銀賞ノミネート  

 

  キャスト

ダミアン・アルカーサルDamian Alcázar(エリセオ)

ブラス・ハラミージョBlas Jaramillo(エルネスト神父)

マルセラ・マルMarcela Mar(パオラ、市場の売り子)

マルセラ・バレンシアMarcela Valencia(アリシア、暗殺者)

マルティナ・ガルシアMartina Garcia(ナタリア、エリセオの生徒)

イサベル・ガオナIsabel Gaona(イレーネ、神父の愛人)

テレサ・グティエレスTeresa Gutiérrez(ドーニャ・ブランカ、エリセオの母)

アンドレス・パラAndrés Parra(パブロ、パオラの友達)

ディエゴ・バスケスDiego Vásquez(アルベルト、同上)

以下脇役:エルナン・メンデス(マリオ、チェスの相手)/エクトル・ガルシア(タクシー・ドライバー)/ヴィッキー・エルナンデス(エリセオの隣人)/クララ・サンペル(ルシア、司書)ほか。

 

ダミアン・アルカーサルDamian Alcázar1953年メキシコのミチョアカン生れ。出演本数98本、もうすぐ3桁になる。日本では「アルカザール」と表記されている。メキシコのアカデミー賞といわれるアリエル銀賞を8回も受賞している超ベテラン。日本公開作品としては、カルロス・カレラの『アマロ神父の罪』(20022003公開)、これはメキシコで公開早々上映禁止になった作品。エクアドルのセバスチャン・コルデロの『タブロイド』(20042006公開、エクアドル=メキシコ合作Crónicas)は、サンダンス映画祭で評価されカンヌ「ある視点」部門に出品された。、劇場未公開だがDVDTV放映のワルテル・ドエネルの『青い部屋の女』(2002)では脇役の刑事役、ルイス・エストラダの犯罪コメディLa ley de Herodes1999)とEl infierno2010)では監督が金賞、アルカーサルが銀賞ほか、アリエル賞の殆どを攫ったが、ゴヤ賞はノミネートに終わった。『ある殺人者の記録』では二つの顔をもつ複雑な演技が求められた。
★ブラス・ハラミージョBlas Jaramillo1968年ボゴタ生れ、2007830日、腹膜炎の悪化により膵臓炎を併発急逝(享年39歳)。父親は画家ルシアーノ・ハラミージョ。TVシリーズ出演の後、本作で映画デビュー、代表作カルロス・モレノのPerro come perro2008Dog Eat Dog)の公開を待てなかった。カルロス・フェルナンデス・デ・ソトのCuarenta2009)が遺作となった。

 (写真:ブラス・ハラミージョ)

マルセラ・マルMarcela Mar1979年ボゴタ生れ。両親の意向でボゴタの国立劇場に登録した8歳の時から俳優の道へ。1998Sin limitesでテレビ界デビュー、テレノベラPura sangre2007)の主役に起用される。カルタヘナ映画祭(TVシリーズ部門)に出品されたTodos quieren con Marilyn2004)でコロンビアTV賞を受賞。映画デビューはTres hombres tres mujeres2003、仏コロンビア合作、言語スペイン語)、本作でヒロインのパオラに抜擢される。『コレラの時代の愛』(2007)、再びバイスの第2作『ヒドゥン・フェイス』(2011)、サンセバスティアン映画祭ホライズンズ・ラティーノ部門に出品された本作でスペシャル・メンションを受賞している。美人国コロンビアを代表する180センチという長身の女優。

マルティナ・ガルシアMartina Garcia1981年ボゴタ生れ、ボゴタのFundacion Estudio XXIに学ぶ。エクアドルのセバスチャン・コルデロのRabia2009Rage))出演後スペインに移り、マドリードのフアン・カルロス・コラソの俳優学校に学ぶ。TIFF2009コンペティション部門に『激情』の邦題で上映された折り、監督と製作者と共に来日Q&Aに参加している。映画デビューはPerder es cuestión de método2004)、アンドレス・バイスの本作に続いて第2作になる『ヒドゥン・フェイス』、最新作はフランスのミゲル・コルトワのOperación E2011、仏西合作)。農夫(ルイス・トサール)の妻役(5人の子持ち)を演じて成長ぶりを披露したが、コロンビアではいまだに未公開**

 

**ミゲル・コルトワのOperaciaón Eは、『ある殺人者の記録』と同じように実話を題材にした力作。テレビでは報道されないFARC(コロンビア革命軍)の実態を浮き彫りにしている。E20022月、FARCによってイングリット・べタンクールと一緒に誘拐されたクララ・ロハスの赤ん坊 Emmanuelの頭文字から取られた(二人は20087月に解放された)。母親がバスク生れというコルトワ監督は、過去にETA問題をテーマにした“El Lobo”(2004)“GAL”(2006)を撮っています。「ETAFARCの問題は自分にとって身近なテーマ」と語っている。

 

  トレビア

★エリセオの実名はカンポ・エリアス・デルガドCampo Elias Delgado、小説は実名で登場します。マルセラ・マルが演じたパオラは小説ではマリア、マルティナ・ガルシアが扮したエリセオの生徒ナタリアの実名はクラウディア、小説はマリベルでした。変更のなかったエルネスト神父は例外ということです。

★レストラン≪ポッゼット≫のシーンは、ボゴタの歴史保存地区カンデラリア(観光客の人気スポットがある地区)にある別のイタリアン・レストランで撮影された。

★キイワードは、デモクラシーとは名ばかりのコロンビアの階級社会と圧倒的な経済格差、ベトナム戦争の影、終わりの見えない内戦、親子の断絶、方向性の欠如、カトリック教会、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』、愛と性、復讐、お決まりの孤独・・など。

『暗殺者と呼ばれた男』”Roa”アンドレス・バイス*第10回LBFF④2013年10月03日 18:35

ボラーニョのドキュメンタリーで中座しておりましたがLBFFを再開いたします。

194849日、自由党党首ホルヘ・エリエセル・ガイタンが首都ボゴタで4発の弾丸を受けて殺害された。本作はいわゆる≪ボゴタッソ≫の謎に包まれた真相に迫るサスペンス仕立てのドラマ。現実に起こった事件だがフィクション。プロットはラテンビートに紹介あり。今回彼のデビュー作Satanásも『ある殺人者の記録』の邦題で初上映される。2作目La cara ocultaは昨年『ヒドゥン・フェイス』として劇場公開されから、長編は全て字幕入りで見ることができる。

 


  監督紹介

アンドレス・バイス・オチョアAndrés Baiz Ochoa:監督/脚本家/製作者、1975年コロンビアのカリ市生れ。コロンビアでは、アンディ(Andy/Andi)で親しまれている。ニューヨーク大学で映画監督および制作を学ぶ。Tisch School of the Artsで映画理論の学位を取る。卒業後フランスの映画監督ラファエル・ナジャリRaphael Nadjariの後援を受け、ホラーの短編4作を二人で製作する。ニューヨークを拠点にプロダクションCentro-Filmsで監督、製作、編集をする(200104)、同時期雑誌LOFTに映画評論を掲載。2007年カンヌ映画祭「監督週間」に短編Hogueraが出品され、国際舞台にたつ。セルヒオ・カブレラ、カルロス・ガビリアの後を継ぐ監督として期待されている。

お気に入りの映画監督:ハリウッド伝説に生きた監督ハワード・ホークス、ルイス・ブニュエル、ヌーヴェル・ヴァーグに多大な影響を与えたジャン・ルノアール、非ハリウッド系ニューヨーク派の旗手シドニー・ルメット、マーティン・スコセッシなど。老いてますます元気なスコセッシ以外は鬼籍入りしている。やはり自国の先輩監督の名前は出てこない、そんなもんです。

 

  長編フィルモグラフィー

2007Satanás『ある殺人者の記録』監督/脚本、コロンビア=メキシコ合作

2011La cara oculta『ヒドゥン・フェイス』同上、コロンビア=スペイン合作、サスペンス・ドラマ、2012ベルリン・ファンタジック映画祭出品、配給コムストック・グループ、20129月公開

2013Roa『暗殺者と呼ばれた男』同上、コロンビア=アルゼンチン合作

他に、『そして、ひと粒のひかり』の製作、短編5作、ミュージカル・ビデオ3作、ドキュメンタリー1作など。

 


  『暗殺者と呼ばれた男』キャスト

*マウリシオ・プエンテスMauricio Puentes(フアン・ロア・シエラ)

*カタリーナ・サンディノ・モレノCatalina Sandino Moreno(マリア・デ・ロア、妻)

*マリア・エルビラ・ラミレスMaria Elvira Ramírez(マグダレナ、娘)

*レベッカ・ロペスRebeca López(ドーニャ・エンカルナシオン、母)

*サンティアゴ・ロドリーゲスSantiago Rodríguez(ホルヘ・エリエセル・ガイタン)

*エクトル・ウジョアHéctor Ulloa(カメラマン)

*ニコラス・カンシノNicolas Cancino(エル・フラコ)/カルロス・マヌエル・ベスガCarlos Manuel Vesga(ビセンテ)他

*アルゼンチンからベテランのアルトゥーロ・ゴッツArturo Goetz(『ラ・ニーニャ・サンタ』LBFF2004、『幸せのパズル』2011公開)やセサル・ボルドンCesar Bordón(『頭のない女』LBFF2008)が出演。

 
★マウリシオ・プエンテスMauricio Puentes:俳優/舞台監督/製作者。1973513日(聖母の日)ボゴタ生れ、マウロ(Mauro)の愛称で親しまれている。子供のときから俳優になるのが夢で、現在ロア役で実現した喜びに浸っている。デビューは演劇畑から。演劇のワークショップに役者兼監督として多数参加、なかでもファビオ・ルビアノのOrnitorrincos”“Moscaが代表作。ルビアノが自分のマエストロであると語っている。映画デビューは、『暗殺者の聖母』の邦題で公開寸前に中止となったフランスのバーベット・シュローダーのLa Virgen de los sicarios2000)にチョイ役で出演。エドウィン・コルテスのSoy una invencion、エドガー・シエラ/アンドレス・セラーノの4 Gradosの他、アンドレス・バイスの3作品すべてに起用されている。テレビは麻薬王エスコバルをテーマにしたEscobal, el patrón del malほか。

*好きな監督はマーティン・スコセッシ、好きな俳優はトーマス・アルフレッドソンの『裏切りのサーカス』(2011)の主役、イギリスのゲイリー・オールドマンだそうです。占星術のファンでトランプ星占いも信じている由。

カタリーナ・サンディノ・モレノCatalina Sandino Moreno1981年ボゴタ生れ。ジョシュア・マーストンの第1作『そして、ひと粒のひかり』(2004、第1LBFF2004題「マリア・フル・オブ・グレイス」)で衝撃のデビュー、アカデミー主演女優賞ノミネート(受賞者はジェンキンスの『モンスター』主役シャーリーズ・セロン、演技のレベルが違いましたね)、ほかベルリン銀熊女優賞受賞を筆頭に34受賞、ノミネート24という多くの映画賞に輝いた。アントニオ・クアドリのEL corazón de la tierra2007The Heart of the Earth)の主役ブランカ役、マイク・ニューウェルの『コレラの時代の愛』(2007)やスティーブン・ソダーバーグの『チェ』2部作(200809公開)、今回上映される『マジック・マジック』出演は先述した通りです。

*女優として難しい年齢と言われる30代に入りました。本作では8歳の娘をもつ母親役、でも台本を読んで一発で出演を決めた。ハリウッドのキャリアが長いので迎えるコロンビア関係者は神経質になっていたが、「上手くフアンとマリアになれた」と夫役のプエンテスはインタビューに答えている。

サンティアゴ・ロドリーゲスSantiago Rodríguez:ジャーナリスト/TV司会者/コメディアン/俳優。1991年にコロンビア・エクステルナド大学(Universidad Externado de Colombia)のジャーナリズムと社会情報学科を卒業。コロンビアの日刊紙EL PAISの編集、EL TIEMPのコラムニストのかたわら、コメディMarried with ChildrenCasado con hijosなどに出演、人気TVシリーズColombia tiene talento の司会者として番組を成功させている。本作が映画デビューという変わり種だが、すでに知名度抜群の「新人」ですけど新人じゃないか。

 

  トレビア

★この映画は悲劇の英雄ガイタンの物語ではなく、歴史に埋もれてしまった悲劇の暗殺者ロア・シエラの物語です。バイス監督がどうしてコロンビアのヒーローでなく、暗殺者≪ロア≫を主人公に選んで映画にしたか。「切手にもなっているガイタンの視線からボゴタッソを描いたものは数えきれないぐらいある。反対に暗殺者ロアは謎だらけのうえデータは驚くほど少ない。その欠落部分を補ってロアの視線で描いたらどうなるか、それに興味があった」と。

★コロンビアではガイタンが暗殺された49日に劇場公開された。

El vuelco del cangrejo2009)に匹敵する力作(アルゼンチンの日刊紙La Nación評)。オスカル・ルイス・ナビアOscar Ruiz Naviaのコロンビア=フランス合作映画。2010年ベルリン映画祭フォーラム部門に出品、国際映画批評家連盟賞FIPRESCI受賞の他、ハバナ映画祭特別審査員賞、ブエノスアイレス映画祭スペシャル・メンション賞他を受賞した映画。

 

ラファエル・ナジャリと一緒に映画作りをしていたなんて驚きです。ナジャリは今年第14回目を迎える東京フィルメックス映画祭で『テヒリーム』(イスラエル、2007)がグランプリに輝いたユダヤ系フランス人の監督。テヒリームというのはヘブライ語で「詩篇」という意味です(作曲家スティーヴ・ライヒの声楽曲「テヒリーム」のほうが有名でしょうか)。『テヒリーム』はカンヌ映画祭コンペ作品で話題になっていましたし、彼の前作『アヴァニム』(2003)もフィルメックスで上映されていましたから最優秀作品賞受賞は織り込み済みだったかもしれない。受賞理由はテーマとなっている「方向性の欠如」、バイスのデビュー作に繋がっているかな。