フェルナンド・トゥルエバの「El olvido que seremos」*カンヌ映画祭2020 ― 2020年06月14日 17:23
コロンビアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセの同名小説の映画化

★第73回カンヌ映画祭2020は例年のような形での開催を断念した。マクロン大統領の「7月19日まで1000人以上のイベントは禁止」というお達しではどうにもならない。6月3日、一応オフィシャル・セレクション以下のノミネーションが発表になりました。開催できない場合は、ベネチア、トロント、サンセバスチャンなど各映画祭とのコラボでカンヌ公式映画として上映されることになりました。それでカンヌでのワールドプレミアに拘っている監督たちは来年持ち越しを選択したようです。赤絨毯も、スクリーン上映も、拍手喝采もないカンヌ映画祭となりました。
★フェルナンド・トゥルエバの「El olvido que seremos」(「Forgotten We'll Be」)は、コロンビアのカラコルTVが製作したコロンビア=スペイン合作映画、コロンビアはアンティオキアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセのノンフィクション小説「El olvido que seremos」(プラネタ社2005年11月刊)の映画化です。作家の父親エクトル・アバド・ゴメス(1921~87)の生と死を描いた伝記映画です。医師でアンティオキアのみならずコロンビアの人権擁護に尽力していた父親は、1987年メデジンの中心街で私設軍隊パラミリタールの凶弾に倒れた。1980年代は半世紀ものあいだコロンビアを吹き荒れた内戦がもっとも激化した時代でした。アバド家は子だくさんだったが作家はただ一人の男の子で、父親が暗殺されたときは29歳になっていた。

(主人公ハビエル・カマラを配した「El olvido que seremos」のポスター)
アバド家の痛み、コロンビアの痛みが語られる
★エクトル・アバド・ファシオリンセ(メデジン1958)の原作は、2005年11月に出版されると年内に3版まで増刷され、コロンビア国内だけでも20万部が売れたベストセラーです。先ずスペインでは翌年 Seix Barral から出版、メキシコでも出版された他、独語、伊語、仏語、英語、蘭語、ポルトガル語、アラビア語の翻訳書が出ている。21世紀に書かれた小説ベスト100に、コロンビアでは唯一本作が選ばれている。ポルトガルの Casa da América Latina から文学賞、アメリカのラテンアメリカの作品に贈られるWOLA-Duke Book 賞などを受賞している。

(アバド・ファシオリンセの小説の表紙)

(父と息子)
★タイトルの「El olvido que seremos」は、ボルヘスのソネット ”Aqui, hoy” の冒頭の1行目「Ya somos el olvido que seremos」から採られた。父親が凶弾に倒れたとき着ていた背広のポケットに入っていた。あまり知られていない出版社から友人知人に贈る詩集として300部限定で出版されたため公式には未発表だった。そのため小説がベストセラーになると真偽のほどが論争となり、作家の捏造説まで飛びだした。調査の結果本物と判明したのだが、スリルに満ちた経緯の詳細はいずれすることにして、目下は映画とかけ離れるので割愛です。

(ボルヘスのソネット ”Aqui, hoy” のページ)
★コロンビアの作家とスペインの監督の出会いは、カラコルCaracol TVの会長ゴンサロ・コルドバが仲人した。スペイン語で書かれた小説を映画化するにつき、先ず頭に浮かんだ監督は「オスカー監督であるフェルナンド・トゥルエバだった」とコルドバ会長。主役エクトル・アバド・ゴメスにスペインのハビエル・カマラを起用することは、作家のたっての希望だった。「父親の面影に似ていたから」だそうです。映画化が夢でもあり悪夢でもあったと語る作家は、出来上がった脚本を読むのが怖かったと告白している。手掛けたのは監督の実弟ダビ・トゥルエバ、名脚本家にして『「ぼくたちの戦争」を探して』の監督です。

(作家エクトル・アバド・ファシオリンセと監督フェルナンド・トゥルエバ)
★最初トゥルエバ監督はこのミッションは不可能に思えたと語る。その一つは「小説は個人的に親密な記憶だが、映画にそれを持ち込むのは困難だからです」と。しかし「二つ目のこれが重要なのだが、良い本に直面すると臆病になるからだった」と苦笑する。カラコルTVの副会長でもある製作者ダゴ・ガルシアの説得に負けて引き受けたということです。スペイン側は脚本、正確には脚色にダビ・トゥルエバ、主役にハビエル・カマラ、編集にトゥルエバ一家の映画の多くを手掛けているマルタ・ベラスコの布陣で臨むことになった。キャスト陣はハビエル以外はコロンビアの俳優から選ばれた。

(撮影中の監督とハビエル・カマラ)
★作家の娘で映画監督でもあるダニエラ・アバト、アイダ・モラレス、パトリシア・タマヨ(作家の母親セシリア・ファシオリンセ役)、フアン・パブロ・ウレゴがクレジットされている。母親も人権活動家として夫を支えていたエネルギー溢れた魅力的な女性だったということです。当ブログ初登場のダニエラ・アバドは作家の娘、主人公の孫娘に当たり、映画は彼女の視点で進行するようです。今回は女優出演だが、祖父暗殺をめぐるアバド家の証言を集めたドキュメンター「Carta a una sombra」(15)は、マコンド賞にノミネートされ、続くドキュメンタリー「The Smiling Lombana」(18)は、マコンド賞受賞、トゥールーズ映画祭ラテンアメリカ2019で観客賞を受賞している。バルセロナで映画は学んだということです。

(父エクトル・アバド・ファシオリンセと語り合うダニエラ・アバド、2015年)
★スタッフ陣も編集以外はコロンビア側が担当、撮影監督はセルヒオ・イバン・カスターニョ、撮影地は家族が暮らしていたメデジン、首都ボゴタを中心に、イタリアのトリノ(作家は私立のボリバリアーナ司教大学で学んだ後、トリノ大学でも学んでいる)、マドリードなどで行われた。モノクロとカラー、136分と長めです。音楽をクシシュトフ・キェシロフスキの『ふたりのベロニカ』や「トリコロール愛の三部作」を手掛けたポーランドの作曲家ズビグニエフ・プレイスネルが担当することで話題を呼んでいた。彼はトゥルエバの「La reina de España」(16)の音楽監督だった。プロダクション・マネージメントはイタリアのマルコ・ミラニ(『ワンダーウーマン』)と、コロンビア映画にしては国際色豊かです。
★本作はまだ新型コロナが対岸の火事であった2月1日、カルタヘナで毎年1月下旬に4日間行われるヘイ・フェスティバルHay Festival Cartagenaという文学祭で、作家と監督が出席しての講演イベントがありました。もともとは1988年、ウェールズ・ポーイスの古書店街が軒を連ねるヘイ・オン・ワイで始まったフェスティバルが世界各地に広がった。コロンビアではカルタヘナ、スペインはアルハンブラ宮殿で開催されている。現在は文学講演、サイン会、書籍販売の他、音楽や女性問題などのイベントに発展している。YouTubeを覗いたら150名の招待者のなかにマリベル・ベルドゥとか、作家のハビエル・セルカスも出席していました。下の写真は映画の宣伝も兼ねた講演会に出席した両人。フェスティバル期間中にトゥルエバの『美しき虜』が上映されていた。

(アバド・ファシオリンセとトゥルエバ監督、2月1日、アドルフォ・メヒア劇場)
★現在の中南米諸国のコロナ感染状況は、コロンビアを含めてレベル3(渡航は止めてください)だから滑り込みセーフのフェスティバルでした。スペインも渡航中止対象国ですから、サンセバスチャン映画祭(9月18日~26日)が予定通り開催できるかどうか分かりません。開催された場合はカンヌ映画祭公式セレクション作品としてワールド・プレミアされる可能性が高いと予想しています。
追加情報:英題でラテンビート2020のオープニング作品に選ばれました。
追加情報:『あなたと過ごした日に』の邦題で2022年7月劇場公開されました。
カンヌ映画祭2020の開催は秋?*監督週間&批評家週間は中止が決定 ― 2020年04月18日 14:24
世界は変わってしまった、ベネチア、サンセバスチャン各映画祭はどうなる?

★4月13日、マクロン大統領の封鎖措置延期を受け(5月11日まで)、音楽祭、映画祭などいかなるイベントも7月中旬まで開催することができなくなりました。目下の死者数15,000人以上ですから、ある程度予想されたことながら現実となりました。カンヌ映画祭併催の「監督週間」と「批評家週間」は中止が決定、肝心のコンペティション部門他、「ある視点」や短編、クラシック各部門は未定ですが、いつものような開催はできないことがはっきりしました。映画祭代表ディレクターのティエリー・フレモー氏はぎりぎりまでタオルを投げることに抵抗しています。「フィガロ」紙に「秋開催」をほのめかしていますが、秋はベネチア(9月3日~12日)、トロント(9月10日~20日)、サンセバスチャン(9月18日~26日)などが控えていますから、その兼ね合いはどうなるのでしょうか。

(カンヌのマークがペイントされているメイン会場パレ・デ・フェスティバル前を
愛犬と散歩する女性、3月18日)
★ 4月16日にフレモー氏が「フィガロ」のインタビューに応じ、「マスク着用で(映画祭会場の)階段を昇ることを含めて、いろんなフォーマットを考えているところです」と、秋9月開催に望みをつないでいるようですが、準備期間を考慮すると10月さえ厳しいのではないでしょうか。ベネチア映画祭との連携を視野に入れているようですが、イタリアの現状をみれば、こちらの開催もあやしくなっている。「コロナ危機が始まって以来、私たちはロカルノやサンセバスチャン、ドーヴィルなどを招待してやるプランも考えていた」と、唯の思い付きでないことを強調している。ドーヴィルはノルマンディ海岸の女王と謳われるリゾート地でアジア映画祭、アメリカ映画祭が開催されている。
★他の映画祭が採用を決定しているオンラインは考えておらず、映画は映画館で観るというカンヌ本来のポリシーに揺らぎはないと断言しています。そうでないとNetflixオリジナル作品などを排除している理由がなくなってしまうからでしょう。しかしながら「専門家たちの売買契約はデジタル・バージョンで6月22日から26日まで行いたい」との意向を示した。さらに6月末までコンペティション部門の作品選考を続行することがアナウンスされている。とにかく映画産業も生き残らなければならないから今後も模索は続くことでしょう。ペストの例を持ち出すまでもなく、ウイルスが世界を変えてしまったのは初めてではありません。ウイルスは根絶できない、ならば共存していくしか人類は生き延びることはできない。
★フランスの写真週刊誌「パリ・マッチ」が、ジョークでノミネーションをツイートした。先ず以前からカンヌ映画祭でプレミアが囁かれていたフェス・アンダーソンの「The French Dispatch」がノミネート、ソフィア・コッポラのアドベンチャー・コメディ「On the Rocks」、ナンニ・モレッティの3家族が繰りひろげるコメディ「Tre piani」、ポール・バーホーベンの「Benedetta」などが続いた。予告編が解禁されているアンダーソンの「The French Dispatch」を除くと、監督常連のビル・マーレイやティルダ・スウィントンなどが出演しているようだ。
★4月15日は本来ならコンペティション部門のノミネーション発表があるはずでした。一寸先は闇を実感させられることです。メイン会場となるパレ・デ・フェスティバルは、3月20日以来、ロックダウンで行き場を失ったホームレスの臨時宿泊先になっている。

(ホームレスの臨時宿泊所になったカンヌ映画祭メイン会場パレ・デ・フェスティバル)
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