『エル・クラン』 パブロ・トラペロを観る2016年11月13日 18:18

        アルゼンチンの脆弱な民主主義――モンスター家族のその後

 

  

 

★確かに衝撃的な内容ですが、1970年代後半の軍政時代の弾圧を知るアルゼンチン国民にしてみれば、それほど驚くような内容ではなかったのではなかろうか。もし驚愕したのであれば、それは社会でもや学校でも国民が自国の「現代史」を疎かにしていたことになる。軍政時代に反共を錦の御旗に国家がしたことを、民主化のせいで行き場をなくした個人が代行しただけともいえます。1980年初頭、軍事独裁政権の最後を支えていた人々の無責任と自由放任を利用できたからだといえる。この映画では3年間に4回実行された誘拐ビジネスとプッチオ父子とその実行犯の逮捕までが語られるのですが、重要なのは民主政権がウヤムヤにした軍事独裁政の総括、無関心に徹した国民、つまり名目だけの民主化でしょう。ここではモンスター家族のその後にスポットライトを当てたいと思います。

 

『エル・クラン』El clan”“The Clanの基本データ

製作:Kramer& Sigman Films / Matanza Cine / El Deseo / Telefe / INCAA / ICAA

監督・脚本:パブロ・トラペロ

脚本:フリアン・ロヨラ

撮影:フリアン・アペステギア

編集:アレハンドロ・カリーリョ

音楽:セバスチャン・エスコフェト

美術:セバスチャン・オルガンビデ

衣装:フリオ・スアレス

データベネチア映画祭2015監督賞(銀獅子)受賞作品アルゼンチン=スペイン、スペイン語、2015年、110分、伝記、スリラー犯罪物、撮影地ブエノスアイレス、配給元20世紀フォックス、公開:アルゼンチン2015813日、ウルグアイ93日、チリ924日、ペルー123日、日本2016917日(新宿シネマカリテ他)

 

   

 (左から、ピーター・ランサニ、監督、ギジェルモ・フランセージャ、ベネチア映画祭にて

 

キャスト:年齢は1985823日逮捕時のもの(公式サイトより)

ギジェルモ・フランセージャ(アルキメデス・プッチオ、元公務員・外交官、56歳、

  201384歳で没

ピーター・ランサニ(長男アレハンドロ、マリン・スポーツ用品店経営、地元ラクビーチーム

  Club Atletico San IsidroCASIカシ」の元選手、26歳、200849歳で没)

リリー・ポポビッチ(妻エピファニア、高校教師・会計学、53歳)

ジセル・モッタ(長女シルビア・イネス、美術教師、25歳、52歳で没)

ガストン・コッチャラーレ(次男ダニエル、通称マギラ、「カシ」の選手23歳)

フランコ・マシニ(三男ギジェルモ、?歳)

アントニア・ベンゴエチェア(次女アドリアナ、14歳)

ステファニア・コエッセル(アレハンドロの婚約者モニカ、幼稚園教諭、21歳)

その他、誘拐グループ(クラン)の実行犯、協力者たち

 

解説1980年代に4人を営利誘拐、多額の現金を手にした後に殺害していた「誘拐団プッチオ」の実話にインスパイアーされて製作された。首領アルキメデス・プッチオ並びにその家族は実在の人物であるが、映画の細部はフィクションである。プッチオ家はブエノスアイレス近郊サン・イシドロの高級住宅街にあり、道路に面した階下をマリン・スポーツの店舗にして、長男アレハンドロに経営を任せていた。人質を監禁していた地下室は外部に物音が漏れないよう密閉されていたが、昼日中の拉致、自宅監禁、拷問、殺害というプッチオ一族の凶悪な犯罪が、何故3年間も繰り返し可能だったのかが明らかにされる。しかしそれは軍事クーデタが勃発した1976年まで時間を遡っていくことになる。

作品&パブロ・トラペロ監督キャリア紹介は、コチラ⇒201587

ベネチア映画祭監督賞(銀獅子)の紹介記事は、コチラ⇒2015921

 

       コメディアン、ギジェルモ・フランセージャの蛇のような目

 

A: ラテンビートと重ならないよう封切り直後に鑑賞していたので、大分記憶が薄くなってしまっていますが、主人公アルキメデスを演じたギジェルモ・フランセージャの蛇のような目だけは忘れられない。

B: メキシコのA・キュアロンの『ルドandクルシ』08)、アルゼンチンに2個めのオスカー像をもたらしたJJ・カンパネラの『瞳の奥の秘密』09)で既に登場しています。コメディタッチの役柄が多かったから、本作のアルキメデス役に起用されたと知って驚きました。

A: 映画にしろTVドラにしろ殆どがコメディ、フランセージャ起用はトラペロ監督の慧眼です。コメディアンとしてアルゼンチンで知らない人はいないと言われているベテラン、1955年ブエノスアイレス生れだから、軍事クーデタが勃発した19763月には成人しており、大人の目で道路を走り回っていた戦車を見ているはずです。TVミニシリーズLos hermanos Torterolo1980、コメディ)デビューも間もなくでした。

 

B このクーデタは「起こるべくして起こった」と後に歴史家によって書かれるわけですが、誰も驚かなったというのも信じられないことです。

A: 民政といっても前も後ろもお粗末でしたから、突然知り合いが行方不明になっても関わりを怖れて「沈黙は金」を決め込むのは自然です。アルゼンチン社会にはびこっていたこの「無関心」が元凶です。前述の『瞳の奥の秘密』の時代背景は1976年クーデタの直前にあたります。本作は軍政から民政への移行期の198285年、3万人とも言われる行方不明者名を出した直後だけに、国民も拉致、監禁、殺害には慣らされていた時代でした。

B: 警察は通報を受けても捜索する気もないし、仮にプッチオ一家の犯罪を疑っていても逮捕しようとは思わなかったように思えます。

 

      民政化後のシークレット・サービス員の失業対策のひとつ?

 

A: アルキメデスは有能なシークレット・サービスの一員、軍事独裁政権では拷問のプロとして重宝がられていた。1982年のフォークランド戦争(319日~614日)の敗北を機に翌年総選挙が実施され、12月に民政化された。軍政時に幅を利かせていた軍幹部の多くが有罪となり、プッチオのような関係者は失業者となって生活の基盤を失ってしまった。同じ境遇の退職軍人や友人たちと一緒に始めたのがこの「誘拐ビジネス」でした。

 

B: このグループのリーダーだったのが企画立案者にして実行犯のアルキメデス、元の上司や官憲が半ば見逃していたのは、これが部下たちの一種の「失業対策」の一つだったと考えられます。

A: 第1回目の誘拐が軍政の終焉が予想されたフォークランド戦争後の1982722日、9日後身代金25万ドルを受け取ったあと殺害(要求額は50万ドルだったとも)、第2回目が198355日、10万ドル受領後殺害、所在不明だった遺体は4年後に発掘されている。

 

B: 驚くほどの大金ではないですね。被害者家族が払えるだろう金額を要求している。結局成功するのはこの2回だけ。長男が協力を拒否した1984622日の3回目は、誘拐途中に車から逃げようとした人質を慌てた仲間が胸に発砲、結果的に大事な金づるを死なせてしまい失敗する。最後の4回目でグループ全員が逮捕される。

A: この逮捕劇は、短編ドキュメンタリー“El Clan Puccio”を見ると、実際と映画では若干異なりますが、本作はドキュメンタリーではありませんから問題なしです。事件を握りつぶしていたらしい元上司も自分に累が及ぶのを懸念して庇いきれなくなったのではないか。軍政時に窒息させられていた人権活動家や労働組合の反撃が強まったこともありますが、将来性のあるビジネスとはいえませんから先は見えていたはずです。

 

B: 前3人は長男アレハンドロの友人だったり父親の知り合いだったりしたが、4人目のネリダ・ボリーニ・デ・プラドは葬儀社を経営していた実業家、家族が通報して警察も動かざるを得なかった。交渉を意図的に長引かせ、自宅軟禁も32日間という番狂わせになってしまった。

 

       

           (逮捕時の長男アレハンドロ、1985823日)

 

A: やっと身代金50万ドルで交渉成立、受け渡し現場に張り込んでいた警官に一網打尽となった。長男アレハンドロ3回目から実行には参加しておりませんが、自宅に一緒にいた恋人モニカの目の前で逮捕された。ボリーニ家の電話番号が書かれていた紙切れを所持していたことが逮捕の決め手となった。彼は拉致には協力しておりますが殺害には一切関与していない。それで最後まで罪を認めなかったようですが、父親から報奨金を貰っており無罪は通らない。現ナマの魅力は抗しがたいです。

        

  押しつけられた「家父長制」と歪められた「家族愛」の揺らぎ

 

B: 長男離脱のあと「家父長制」や「家族愛」にも揺らぎがみえ、瓦解は時間の問題だった。際立つのが母親エピファニアのモンスターぶり、長男が役立たずになったとみるや直ぐさま次男を呼び寄せる。不気味ですね。

A: 母親というのは本当に危険な存在です。彼女も逮捕されるが、証拠不十分で2年後に釈放される。80歳を過ぎた現在は、一時親戚に預けられていた次女アドリアナ(当時14歳)と暮らしている。父親と息子の相克、家族は助け合わねばならないという大義名分、これほど極端ではないが観客にも身近に起こりうることです。

 

B: 映画にも出てきましたが、長男はブエノスアイレス裁判所から移送中に係官の手を振り切って5階の回廊から飛び降り自殺をはかる。しかし運悪くというか2階部分の柔らかい屋根に落下、死ねなかった。これを含めて34回自殺を試みているという。

A: 刑務所内の精神病棟に収容され、2007年条件付きで釈放されたが、翌年49歳で没している。90年代初めの獄中結婚、1997年に仮釈放されるも犠牲者家族の圧力に耐えられず刑務所に舞い戻るなど、常に精神状態が不安定だった。

 

            自分は被害者、悪いのは民主化

 

B: 一方「自分こそ被害者」と死ぬまで罪を認めなかった父親アルキメデスも、ある意味、精神を病んでいたのではないですか。軍政が続いて失業しなければ誘拐ビジネスには手を染めなかった、悪いのは民政化という論理です。

A: アイヒマン同様、最後まで自分自身と家族、友人仲間の罪を認めなかったのは驚くに当たりません。箒で自宅前だけでなく反対側の道路も掃いているシーンがありましたが、当時から「箒の変人」という渾名を付けられていた。清掃が目的ではなく警戒と事情蒐集のためだった。近所の人もうすうす気づいていたが、知っていたと言えば、どうして通報しなかったと非難されるのを怖れて白を切っていたとも考えられる。今も昔も無関心は流行ですが、特に当時は蔓延していた。収監中に弁護士の資格を取り、数カ所の刑務所を経て、2008年、浴室設備のない住居指定の条件付きながら釈放、2013年脳血管障害のため、簡易ベッドの上で84歳の生涯を閉じた。

 

        

        (「120歳まで生きる」と豪語していたアルキメデス・プッチオ)

 

B: トラペロ監督は、アルキメデスからインタビューを持ちかけられていたが、海外にいて先延ばしにしていたところ死んでしまい叶えられなかったと語っておりましたが。

A: 脳腫瘍を患っていて精神状態は不確か、ただの下品な老人になっていたらしいから、事件の根幹に関わるような話が聞き出せたかどうか疑問です。2011年、El Clan Puccioの著者ロドルフォ・パラシオスがインタビューしたときでさえ、多くの女性たちとの性的関係を自慢され、呆気にとられたと証言しているほどです。

 

B: 死ぬ4カ月前に離婚していた元妻エピファニア、次男マギラにも接触しようとしたが拒絶されたと語っておりますが、自分たちはアルキメデスの犠牲者、被害者だったと正当化されるのがオチです。

A: エピファニアはアルキメデスの遺骨の受取を拒み、彼は共同墓地に埋葬された。マギラは最後のボリーニ誘拐事件の廉で、199813年の禁固刑を受けていたが、ブラジルやオーストラリアを逃げ回っていた。しかし2011年に刑の正式失効が下され、201311月に舞い戻っていた。司法取引で自由の身になったのでしょうが、実際のところボリーニは生還できたわけですからね。

 

   

              (プッチオ一家、前列が本物)

 

B: 残る家族のうちスポーツ選手だった3男ギジェルモ長女シルビアのその後は?

A: 3男は2回めの自宅軟禁で事件の概要を察知、遠征で訪れたニュージーランドにそのまま亡命して帰国していない。地下の軟禁部屋の階段を上り降りしたと証言した長女も当然嫌疑をかけられたが、母親同様加担した証拠が不十分で釈放されている。52歳でこの世を去っている。

 

       意図的だったBGMのミスマッチ、悲劇を裏切るような選曲

 

B: 当時のブエノスアイレスでは、軍政時代に禁止されていた「ブリティッシュ・ポップス」が流行していた。映像と音楽が齟齬をきたすような選曲は意図的だった。

A: このズレを批判しているブログもありましたが、事情が分かると納得します。スクリーンに現れた人間の二面性同様、ひねり具合というのも難しいですね。

 

B: 監督はフィクションの部分をできるだけ避けたと語っていますが、やはりフィクションです。

A: 新聞記事や残された写真や手紙から家族内の会話を構成するには限界があります。スクリーンで語られたセリフは想像であり創造でもあります。プッチオ関連ではドキュメンタリーの他、アレハンドロの獄中インタビューTV番組、TVミニシリーズHistoria de un clan20159月~11月、11話)がTelefeで放映されている。父親にアレハンドロ・アワダ、母親にセシリア・ロス、長男アレハンドロにリカルド・ダリンの息子“チノ”・ダリンが扮している。

B: アレハンドロ・アワダはこのアルキメデス役でマルティン・フィエロ賞を受賞しており、2015年は「プッチオ・フィーバー」の年でした。 

 

引きつる笑い『名誉市民』*ラテンビート2016 ⑩2016年10月23日 15:53

      故郷を捨てた作家がノーベル文学賞を貰って帰郷するとどうなるか?

 

『ル・コルビュジエの家』の監督コンビ、ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーンが放つアルゼンチン風のブラック・コメディ。冒頭シーンから笑わせますが、これまたあり得ない、少し悪ノリしたストーリーでした。アルゼンチンの観客は、さぞかし居心地悪かったのではないでしょうか。「預言者故郷に容れられず」の諺どおりノーベル賞作家ダニエルも「ただの人」だったと思わせて、最後の最後にどんでん返しがありました。アカデミー賞2017のアルゼンチン代表作品に選ばれました。 

     

            (ガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーン)

 

A: いやはや、この最後のシーンがなければ平凡な筋書きで、それに少しばかり長すぎて「カット、カット」でしたが、最後に一本取られました。

B: 「コメディは90分以内がベター」と言ったのはアルモドバルでしたが、〈118分〉は長すぎました。故郷を捨てた成功者が凱旋すれば、起こるだろうことが起こっただけで、予測の範囲内でした。ホラー・コメディの『ル・コルビュジエの家』の不気味さ、奇抜さにはかないません。

 

A: 故郷に錦を飾るのは難しい。今は親友アントニオの妻になっている元恋人イレネから帰郷したことを詰られていましたが、せっかく忘れていた心の痛みをほじくり返され、あげく跳ねっ返り娘にまで被害が及んで気の毒でした。作家にしては想像力欠如というか、女心の機微が分からない、気難しいわりにはおスケベな小父さんでした。

B: しかし観客サービスも必要ですね。イレネの夫アントニオにしてみれば、遠路はるばるやってきて夫婦仲をかき回され、ただじゃおかないと仕返しのチャンスをヨワいオツムでフル回転させている。

      

          (40年ぶりに会うダニエルとイレネ、映画から)

 

     

    (笑顔だが内心面白くないアントニオと元恋人を取られて忸怩たる思いの作家)

 

A: ダニエルはノーベル賞をもらってから、5年間もスランプ状態、1作も書けないでいる。そんな折に生れ故郷サラスから「名誉市民」賞受賞の知らせが届く。

B: 40年前の母親の死をきっかけに故郷を捨てる。その10年後の父親の葬式にも帰郷しなかった。そんな恥知らずな男が故郷に帰ればどうなるか、ノーベル賞作家でも人間的にはクソったれだ、というわけです。

A: 人気に陰りが見えるサラス市長は、次の選挙に勝てる自信がない。勝利するには豪華な花火を打ち上げねばならない。いささか古いニュースたが、確かノーベル賞を貰った作家がいたはずだ。彼に名誉市民賞をやるのはどうだろう。

 

B: 市長室にペロン大統領とファーストレディのエバ・ペロンの写真が壁に掛かっていた。

A: エビータが死んだのは1952年だから、半世紀以上も時代を遡ることになる。現在でもエビータ人気は根強いらしく、そこらへんを揶揄しているわけですね。ペロニスタが母体となっている正義党、通称ペロン党は最大政党でもある。

 

B: ホルヘ・ルイス・ボルヘスの名前も出てきましたが、「ボルヘスはノーベル賞を辞退した」と言わせている。彼はブエノスアイレス市の「名誉市民」賞は貰っていますが、ノーベル賞は受賞しなかった。

A: というより、自国の独裁者ビデラ将軍やチリの独裁者ピノチェトの体制寄りで、スウェーデン・アカデミーは「ボルヘスにはやらない」と決定していたのだ。ボルヘスは軽い気持ちだったらしいが、後に「最大の誤算だった」と後悔することになった。

 

B: アルゼンチンの観客がどんな反応を示したか、興味深い。もっとも左派の人たちの「ボルヘス嫌い」は徹底していて、いわゆる読まず嫌いのようだ。文学など興味のない庶民には、ノーベル賞作家ガルシア・マルケスと混同している人もいるようです。

A: ダニエルが授賞式に正装して出席するよう依頼されたが「断った」というセリフがあって、チャコールグレーの背広に黒っぽいシャツ、おまけにノーネクタイだった(笑)。ガルシア・マルケスも確か正装じゃなかったですね。 

 

 

                       (受賞スピーチをするダニエル)

 

B: シニカルな受賞スピーチに国王以下全員固まってしまって笑わせます。

A: ダニエルのスピーチは簡潔でなかなか良かったじゃないですか。バルガス=リョサの長い長い受賞スピーチを皮肉っているのかもしれません。

B: 今年の文学賞は、ボブ・デュランが沈黙していてスウェーデン・アカデミーも困惑気味のようですが、欲しくなければ無視しないで、ジャン=ポール・サルトルのように辞退すれば済むことです。

 

A: 他にもいろいろ面白い仕掛けがありますが、これから開催される東京国際映画祭と共催上映なので、ここいら辺で。ブラック・コメディ好きにはお薦めです。ちなみに監督コンビのドキュメンタリーTodo sobre el asado2016,仮訳「バーベキューのすべて」)はサンセバスチャン映画祭2016で上映されました。アルゼンチンの主菜は肉料理、特にアサードだ。70歳まで生きるとすると平均1.5トン食するという。これは如何にも多すぎて健康によくない。

B: しかし、お二人とも世界保健機関WHOの方針がお気に召さないようです。映画にもドでかい焼肉が登場します。

 

 

       (これで3人前です! ダニエル、アントニオ、イレネ、映画から)

 

『名誉市民』の作品紹介は、コチラ⇒20161013


『名誉市民』 アルゼンチン*ラテンビート2016 ⑦2016年10月13日 11:17

         『ル・コルビュジエの家』の監督コンビが笑わせます!

 

 

★ベネチア映画祭2016正式出品、ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン『名誉市民』原タイトルは、El ciudano ilustre”、〈名誉市民〉を演じるオスカル・マルティネス男優賞を受賞しました。東京国際FF「ワールド・フォーカス」部門と共催上映(3回)作品です。『ル・コルビュジエの家』の監督コンビが放つブラック・ユーモア満載ながら、果たしてコメディといえるかどうか。アルゼンチン人には、引きつる笑いに居心地が悪くなるようなコメディでしょうか。

 

   

   (男優賞のトロフィーを手に喜びのオスカル・マルティネス、ベネチア映画祭にて

 

  『名誉市民』El ciudano ilustre”“The Distinguished Citizen

製作:Aleph Media / Televisión Abierta / A Contracorriente Films / Magma Cine

     参画ICAA / TVE 協賛INCAA 

監督・製作者・撮影:ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン

脚本:アンドレス・ドゥプラット

音楽:トニ・M・ミル

美術:マリア・エウヘニア・スエイロ

編集:ヘロニモ・カランサ

衣装デザイン:ラウラ・ドナリ

製作者:(エグゼクティブ)フェルナンド・リエラ、ヴィクトリア・アイゼンシュタット、エドゥアルド・エスクデロ他、(プロデューサー)フェルナンド・ソコロビッチ、フアン・パブロ・グリオッタ他

 

データ:アルゼンチン=スペイン、スペイン語、2016年、118分、シリアス・コメディ、撮影地バルセロナ他、配給元Buena Vista、公開:アルゼンチン・パラグアイ9月、ウルグアイ10月、スペイン11

映画祭・受賞歴:ベネチア映画祭2016正式出品、オスカル・マルティネス男優賞受賞、釜山映画祭、ワルシャワ映画祭、ラテンビート、東京国際映画祭

 

キャストオスカル・マルティネス(ダニエル・マントバーニ)、ダディ・ブリエバ(アントニオ)、アンドレア・フリヘリオ(イレネ)、ベレン・チャバンネ(フリア)、ノラ・ナバス(ヌリア)、ニコラス・デ・トレシー(ロケ)、マルセロ・ダンドレア(フロレンシオ・ロメロ)、マヌエル・ビセンテ(市長)、他

 

解説:人間嫌いのダニエル・マントバーニがノーベル文学賞を受賞した。40年前にアルゼンチンの小さな町を出てからはずっとヨーロッパで暮らしている。受賞を機にバルセロナの豪華な邸宅には招待状が山のように届くが、シニカルな作家はどれにも興味を示さない。しかし、その中に生れ故郷サラスの「名誉市民」に選ばれたものが含まれていた。ダニエルは自分の小説の原点がサラスにあることや新しい小説の着想を求めて帰郷を決心する。しかしそれはタテマエであって、ホンネは優越感に後押しされたノスタルジーだったろう。推さな友達、その友人と結婚した少年時代の恋人、町の有力者などなどが待ちかまえるサラスへ飛びたった。「預言者故郷に容れられず」の諺どおり、時の人ダニエルも「ただの人」だった?

 

    

          (ノーベル文学賞授賞式のスピーチをするダニエル)

 

   

           (サラスの人々に温かく迎え入れられたダニエル)

 

     

           (幼友達アントニオと旧交を温めるダニエル)

 

★ベネチアでは上映後に10分間のオベーションを受けたというが、56分ならエチケット・オベーションと考えてもいいが、10分間は本物だったろう。「故郷では有名人もただの人」なのは万国共通だから、アルゼンチンの閉鎖的な小さな町を笑いながら、我が身と変わらない現実に苦笑するという分かりやすい構図が受けたのだろうか。勿論オスカル・マルティネスの洒脱な演技も成功のカギ、アルゼンチンはシネアストの「石切場」、リカルド・ダリンだけじゃない。人を食った奥行きのあるシリアス・コメディ。

 

  

    (左から、ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン、ベネチア映画祭にて)

 

2度の国家破産にもかかわらず、気位ばかり高くて近隣諸国を見下すことから、とかく嫌われ者のアルゼンチン、平和賞2、生理学・医学賞2,科学賞1と合計でも5個しかなく、文学賞はゼロ個、あまりノーベル賞には縁のないお国柄です。ホルヘ・ルイス・ボルヘスやフリオ・コルタサル以下、有名な作家を輩出している割には寂しい。経済では負けるが文化では勝っていると思っている隣国チリでは、「ガブリエラ・ミストラル(1945)にパブロ・ネルーダ(1971)と2個も貰っているではないか」と憤懣やるかたない。アルゼンチン人のプライドが許さない。そういう屈折した感情抜きにはこの映画の面白さは伝わらないかもしれない。ボルヘスは毎年候補に挙げられたが、スウェーデン・アカデミーは選ばなかった。それは隣国チリの独裁者ピノチェトが「ベルナルド・オイギンス大十字勲章」をあげると言えば貰いに出掛けたり、独裁者ビデラ将軍と昼食を共にするような作家を決して許さなかったのです。これはボルヘスの誤算だったのだが、ノーベル賞は文学賞といえども極めて政治的な賞なのです。

 

オスカル・マルティネス1949年ブエノスアイレス生れ。ダニエル・ブルマンのEl nido vacío08)の主役でサンセバスチャン映画祭「男優賞」を受賞、カンヌ映画祭2015「批評家週間」グランプリ受賞のサンティアゴ・ミトレの『パウリーナ』(ラテンビート)、公開作品ではダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』(エピソード5「愚息」)に出演しているベテラン。ベネチアのインタビューでは、「30代から40代の若い監督は、おしなべてとても素晴らしい」と、若い監督コンビに花を持たせていた。

 

     

            (撮影中のドゥプラット監督とマルティネス)

 

 

『エル・クラン』が公開・パブロ・トラペロ2016年09月20日 12:03

        実話に着想を得て製作された誘拐犯プッチオ家のビオピック

 

 

★ベネチア映画祭2015紹介の折り、「ザ・クラン」の仮題でご紹介していたパブロ・トラペロの“El clan”(2015)が、『エル・クラン』の邦題で今秋劇場公開になりました。カンヌ映画祭の常連でもあり、国際的には高い評価を得ています。ラテンビートでも『檻の中』『カランチョ』『ホワイト・エレファント』と3作上映されていますが、日本公開は7人の監督が参加したオムニバス『セブン・デイズ・イン・ハバナ』だけ、単独での公開は初めて、ベネチアでの監督賞(銀獅子賞)が幸いしたのかもしれません。公式サイトも立ち上がり、かなり詳しい内容が紹介されています。人名の表記は当ブログと若干異なります。

 

   

      (銀獅子賞のトロフィーを掲げるトラペロ監督、ベネチア映画祭2015

 

★鑑賞後に改めてアップしたいと思いますが、ベネチアでのインタビューでは、「フィクションの部分をできるだけ避けた」と監督が語っていましたが、父と家族の会話、特に長男アレハンドロとの確執などはビデオが残っているわけではありませんし、製作段階で誘拐犯の誰とも接触できなかったわけですから、やはり実話を素材にしたフィクション、政治的寓話と考えています。1980年代前半のアルゼンチンの状態をみれば、プッチオ家の誘拐ビジネスが可能だったことは不思議ではありません。民政移管など絵に書いた餅だったことは、その後のアルゼンチンの歴史が証明しています。

 

      

        (手錠姿で現れたアルキメデス・プッチオ、1985823日)

 

★アルゼンチンと言わず、ラテンアメリカ諸国は死刑廃止国ですから、逮捕後の裁判の推移、判決内容が重要なのです。裁いた人はどちら側にいた人か、子供たちがどうして父親の呪縛から逃れられなかったのか、妻の立ち位置、誘拐ビジネスに協力した親戚たち、彼らの「その後」が、民主主義の成熟度をはかる物差しとなる。予告編を見る限りでは、誘拐の仕方、身代金受領後の殺害シーンなどは、むしろ平凡の印象を受けています。

 

      

       (実在の7人と父親役ギジェルモ・フランセージャ以下の出演者)

 

「ザ・クラン」の作品紹介と監督フィルモグラフィーは、コチラ⇒201587

公式サイトは、http://el-clan.jp/

公開情報:新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMA(恵比寿)、2016917日(土)、順次全国展開

 

 

ホライズンズ・ラティノ部門落ち穂拾い*サンセバスチャン映画祭2016 ⑫2016年09月09日 16:37

         二人の女性監督、アルゼンチンとエクアドルから

 

「ラテンビート2016の日程と上映5作品がアップされています。全体像はまだ見えておりませんが、サンセバスチャン映画祭2016のコンペティション部門の目玉としてご紹介したアルベルト・ロドリゲスの新作El hombre de las mil carasが、嬉しいことにエントリーされておりました。公開も決定しているようなので先行上映となります。他の作品も既にご紹介していますが、改めて「ラテンビート2016」としてまとめていきます。その前に「ホライズンズ・ラティノ」部門の落ち穂拾いとして、二人の女性監督作品を簡単にアップしておきます。

 

9La idea de un lago(“The Idea ob a Lake”“Air Pocket”)ミラグロス・ムメンタレル 

データ:製作国アルゼンチン=スイス=カタール、2016年、82分、撮影地アルゼンチンのネウケン州ビジャ・ラ・アンゴストゥラ。グアダルーペ・ガオナの写真入りの詩集“Pozo de Aire”の映画化(ワーキング・タイトル)、2013年スイスで行われた「ヨーロッパ・ラテンアメリカ共同製作」の公開討論会を通じて具体化した作品。ロッテルダム映画祭のヒューバート・バルス基金、INCAAの後援を受けた。

製作Alina Film / Radio Television (RTS) / Rudo Cine

スタッフ:監督・脚本ミラグロス・ムメンタレル、撮影ガブリエル・サンドルゥ

キャストカルラ・クレスポ(イネス)、ロサリオ・ブレファリ(イネスの母)、フアン・グレッピ(トマス)、マレナ・モイロン(少女時代のイネス)、フアン・バルベニリ、ホアキン・ポック、ほか

 

解説:イネスは35歳のプロのカメラマン、初めての子供が生まれる前に写真と詩で綴る個人的なアルバムを完成させたいと考えている。数カ月前に夫とは別れているが、生まれてくる子どもの養育は共有したいと思っている。記憶や思い出を辿るこのアルバムの仕事は、アルゼンチン南部にある彼女の生家に我々を度々誘っていく。ここでの数年間が今のイネスの性格や人格を作り上げたからなのだ。イネスが2歳だった頃、父と一緒に写っているたった1枚の写真もこの同じ場所なのだ。その数カ月後に父は軍事政権の犠牲となり行方不明者デサパレシードになった。過去についての、母親や兄弟、不在だった父親との関係について語るアルバムとなるだろう。過去が未だに過去になっていない女性カメラマンのルーツを探る物語。

 

 

        (イネス役のカルラ・クレスポ、映画から) 

          

 

  

                    (少女時代のイネス、マレナ・モイロン、映画から)

 

監督&フィルモグラフィー紹介1977年アルゼンチンのコルドバ生れ、監督、脚本家。生後3カ月のとき、独裁政権の弾圧を怖れた両親とスイスに亡命、スイスで生育した。19世紀末に曽祖父がスイスからアルゼンチンに移住してきた。独裁政権(197684)が倒れた後も両親と兄弟はスイスに留まり、監督だけが17歳のときアルゼンチンに戻ってきた。家庭での会話はスペイン語を使用していたから流暢、スイスで開催されるロカルノ映画祭はいわば古巣のようなものです。

 

★長編デビュー作Abrir puertas y ventanas2011)が、ロカルノ映画祭を皮切りに次々と国際的映画祭のノミネーションを受け、特にロカルノでは「金豹賞」を含む5(国際批評家連盟賞・エキュメニカル審査員賞&ヤング審査員スペシャル・メンション、女優賞)を受賞した。その他、ハバナ、マル・デル・プラタ(以上2011)、グアダラハラ、ミュンヘン(以上2012)、各映画祭での受賞、サンセバスチャン映画祭にもエントリーされた。

 

     

      (金豹賞のトロフィーを手にした監督、ロカルノ映画祭授賞式、2011年)

 

★第2作に当たるLa idea de un lagoも下馬評では上位につけていたが無冠に終わった。偶然グアダルーペ・ガオナの写真入りの詩集“Pozo de Aire”に出会ったことが製作の動機、ガオナと自分の境遇がよく似ていることに触発された由。従って映画の中の父親と自身の父親の二人をダブらせている。イネスの生家を湖の辺りにしたのは、以前、気に入って撮りダメしていた映像を使用したとロカルノで語っていますした。ああ

 

    

     (イネスの母役ロサリオ・ブレファリと監督、ロカルノ映画祭2016にて)

 

 

10Alba アナ・クリスティナ・バランガン 

データ:製作国エクアドル=メキシコ=ギリシャ、201698分、第1回監督作品、ロッテルダム映画祭2016 Lions賞受賞作品(本映画祭は第2作までが対象)、トゥールーズ・ラテンアメリカ映画祭2016国際批評家連盟賞受賞、撮影地エクアドル、公開オランダ2月、フランス3月、ドイツ4

製作Caleidoscopio Cine (製作者ラミロ・ルイス、イサベラ・パラ

スタッフ:監督・脚本アナ・クリスティナ・バランガン、撮影シモン・Brauer、音楽N/A、美術オスカル・テルジョ

キャストマカレナ・アリアス(アルバ)、パブロ・アギーレ・アンドラーデ(父イゴール)、アマイア・メリノ(母親)、マリア・パレハマイサ・エレーライサベル・ボルへ、他

 

  

 

解説:アルバは大きな目をした11歳の少女、小さな動物が好きな恥ずかしがりやだ。病気のママを世話していたがとうとう入院することになってしまった。3歳のとき別れて以来会ったことのない父イゴールと暮らすことになる。イゴールは家族と別れた後、小さな家に引きこもって一人で暮らしている。アルバと一緒に暮らすことはとても耐えがたいことだった。アルバへのハグも、学校でのイジメの対処も手にあまる。お互いに近づくすべを見つけられないでいるが、やがてイゴールの優しさ、思春期を迎えたアルバ自身の成長が、二人をゆっくり結びつけていく。

 

     

   (アルバ役のマカレナ・アリアス、映画から)

 

   

                       (父イゴールとアルバ、映画から)

 

監督&フィルモグラフィー紹介1987年エクアドル生れ、監督、脚本家。2008年“Despierta”(8分)で短編デビュー。2010年第2作“Domingo violeta”(18分)、第3作“Anima”(20分)、2016年本作で長編デビュー。

 

   

       (アナ・クリスティナ・バランガン監督、ロッテルダム映画祭にて)

 

ホライズンズ・ラティノ部門第4弾*サンセバスチャン映画祭 ⑨2016年08月29日 17:14

       アルゼンチンからダニエル・ブルマンの新作“El rey del Once

 

2年おきくらいに新作を発表しているが、ここ10年ほどは紹介されることがなかった。国内外あまたの受賞歴を誇る、アルゼンチンではベテラン監督の仲間入りをしていると思いますが、『救世主を待ちながら』2000、東京国際映画祭TIFF)と『僕と未来とブエノスアイレス』200406公開)を含むいわゆる「アリエル三部作**」、NHK衛星第2で放映された『アル・シエロ 空へ』01)が、字幕入りで見ることができた作品です。なかで『僕と未来とブエノスアイレス』は、ベルリン映画祭の審査員賞グランプリ(銀熊)、クラリン賞(脚本)、カタルーニャのリェイダ・ラテンアメリカ映画祭では作品・監督・脚本の3賞、バンコク映画祭作品賞、他ノミネーションは多数だった。 

  

        (アリエルと父親、『僕と未来とブエノスアイレス』のポスター)

 

原題El abrazo partidoについては、目下休眠中のCabinaさんブログに長いコメントを投稿しています。作品&監督キャリア紹介、特に新作に関係のあるオンセ地区の情報も含んでいます。

Cabinaブログの記事は、コチラ⇒200861

**ブエノスアイレスのユダヤ人地区のガレリアを舞台に、主人公アリエルの青年から父親になるまでの成長を描いた作品。3作目がDerecho de familia06)である。

 

6El rey del OnceThe Tenth Man) 

製作:BD Cine / Pasto / Television Federal(Telefe) / 後援アルゼンチン映画アカデミーINCAA

監督・脚本・製作:ダニエル・ブルマン

撮影:ダニエル・オルテガ

編集:アンドレス・タンボルニノ

美術:マルガリータ・タンボリノ

録音:ミゲル・テニナ、カトリエル・ビルドソラ

衣装デザイン:ロベルタ・ペッシPesci

メイクアップ:マリエラ・エルモ

プロダクション・マネージメント:デルフィナ・モンテッチア(モンテッキアMontecchia)、

セシリア・サリム

製作者(共):バルバラ・フランシスコ(エグゼクティブ、グスタボ・タレット『ブエノスアイレス恋愛事情』)、ディエゴ・ドゥボコフスキー(『救世主を待ちながら』『僕と未来とブエノスアイレス』)、ルシア・チャバリ(セスク・ゲイ「トルーマン」)、セシリア・サリム、ほか

 

データ:製作国アルゼンチン、言語スペイン語・ヘブライ語・イディッシュ語、2016年、コメディ、82分、撮影地ブエノスアイレス、公開アルゼンチン211日、ブラジル55日、ウルグアイ519日、米国(限定)729

映画祭・受賞歴:ベルリン映画祭2016パノラマ部門オープニング作品、トライベッカ映画祭インターナショナル部門男優賞(アラン・Sabbagh)、韓国チョンジュ全州市映画祭、シアトル映画祭、いずれも2016年開催  

  

                   (プレス会見のアランと監督、ベルリン映画祭2016

 

キャスト:アラン・Sabbagh(アリエル)、フリエタ・ジルベルベルグ(エバ)、ウシェル・バリルカ(アリエル父ウシェル)、エルビラ・オネット(スージー)、エリサ・カリカッホCarricajo(モニカ)、アドリアン・ストッペルマン(マムニェ)、ダニエル・ドロブラス(エルクレス)、ダルミロ・ブルマン(アリエル11歳)、ほか

 

    

解説:アリエルはニューヨークを拠点にして働くエコノミスト、彼なりにハッピーだがモニカと連れ立ってブエノスアイレスに戻る準備をしている。モニカはバレリーナを夢見ているガールフレンドだ。まず父親に電話で打診する、父はユダヤ人が多く住んでいる活気あふれるオンセ地区でユダヤ人コミュニティの慈善団体を設立、あまり裕福でないユダヤ教徒に薬品や宗教的規則に従って調理した食品カシェールの配給をしている。オンセはいわばアリエルが青春時代を過ごしたホームタウンだ。戻ったアリエルは生地屋や物売りのスタンドで混雑しているガレリアで迷子になり、そこで好奇心をそそる女性を見かける。再びプーリムPurimというユダヤのお祭りで出くわすことになるその女性エバは、団体で働く独立心旺盛な、それも正統派のユダヤ教徒だった。アリエルは子供のときに捨ててしまった宗教的世界を取り戻すことができるだろうか。

 

  

            (エバの後を付けるアリエル、映画から)

 

★過去を振りはらうことの不可能性は誤りか、失われた信仰の探求、ブルマン好みの父親と息子の葛藤劇、ユダヤ文化の哲学と伝統、信じる信じないは別として「信仰は山をも動かす」というコメディ。テーマ的には「アリエル三部作」の続編(?)のようですが、ブルマン映画でも最もユダヤ教の影響の強い印象を受けます。ユダヤ教徒が一番多い米国、3番めに多いアルゼンチン(イスラエルは2番め)という二つの国の文化がテーマになっている。プーリムPurimというお祭りは、ユダヤ暦アダルの月14日(2月末~3月初め)に行われる移動祝祭日です。


★既にコンペティション部門ではないが、2月のベルリンでワールド・プレミアされ、何カ国かで公開されてもいる作品がエントリーされるのは珍しいのではないか。サンセバスチャン映画祭には、製作国にスペインも参加しているからかEl nido vacío08)がコンペに正式出品されただけです。映画祭以後に公開もされDVDも発売されています。比較的ユダヤ文化が希薄ということもあるかもしれない。 

(ダニエル・ブルマン監督)

 

★アリエル役のアラン・Sabbaghは初登場ですが、エバ役のフリエタ・ジルベルベルグは、ディエゴ・レルマンの『隠された瞳』10TIFF)、ダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』の第2話ウエイトレス(14,公開15)で紹介しております。

 

(アリエルとエバ、映画から)

 

 ★トライベッカ映画祭は、アメリカ同時多発テロ事件911以降、被害を受けた復興のためロウアー・マンハッタン地区のトライベッカで2002年から始まった春の映画祭(2016413日から)、米国作品とインターナショナルに分かれている。代表発起人はロバート・デ・ニーロなど。ブルマン監督は新作のほか、La suerte en tus manos12)で審査員(脚本)賞を受賞しており、ベルリン同様、相性のいい映画祭である。

 

ニューディレクターズ部門ノミネーション*サンセバスチャン映画祭2016 ④2016年08月14日 17:55

         スペイン語映画はスペインの他アルゼンチンから2作品

 

   

 

★スペインからはネリー・レゲラのMaría (y los demás)1作のみ、アルゼンチンからフェデリコ・ゴッドフリードのPinamar、モロコ・コルマンのFin de semana2作です。長編映画デビュー作になるわけですが、脚本家、助監督としてのキャリア、短編映画やドキュメンタリー製作など、かなり経験を積んだ監督が多い部門でもある。

 

    ニューディレクターズ部門

María (y los demás) ネリー・レゲラ スペイン 2016 

人生の岐路に立つマリアの物語。35歳になったマリア(バルバラ・レニー)は、母親が亡くなったことで、介護が必要な父親(ホセ・アンヘル・エヒド)の世話と弟妹たちの面倒をみることになる。というのもマリアが家族の大黒柱だったからだ。しかし父親が介護師のカチータ(マリア・スケル)と結婚したいと言い出したことで、今までの人生観が脆くも崩れ去った。マリアはこれからの生き方を変える必要に迫られる。

 

 

*作品データ:製作Avalon / Frida Films 他、監督・脚本ネリー・レゲラの初監督作品、2016年、ガリシア・テレビTVGが参画、撮影地ガリシア州ア・コルーニャ県の自治体クジェレード、スペイン公開107日が決定している。

*キャストバルバラ・レニー(マリア)、ホセ・アンヘル・エヒド(父アントニオ)、ロシオ・レオン(フリア)、ビト・サンス(トニ)、マリナ・スケル(カチータ)、ルイサ・メレラス(ロサリオ)、パブロ・デルキ、フリアン・ビジャグラン、アイシャ・ビジャグラン、ほか多数

 

(マリア役のバルバラ・レニー)

 

ネリー・レゲラNery Reguera、カタルーニャ出身の脚本家、監督。短編Ausencias02)でデビュー、同Pablo09)、マル・コルがゴヤ賞新人監督賞を受賞した『家族との3日間』09、“Tres dias con la familia”)の第1助監督を務めた。本作は東京国際女性映画祭2010のオープニング作品、まだデータが少ないかんとくだが、追い追い増えていくと思います。

 

(撮影中の監督とバルバラ・レニー)

     

    

*トレビア:撮影地クジェレードは、ア・コルーニャ県でも1213世紀の建築物が残っている美しい町、人口は現在3万人に満たないが、有名レストランパソ・デ・ビラボアでの結婚式など観光地として人気が高い。ガリシア語話者85パーセント以上と高率です。バルバラ・レニーによると、「こんな素晴らしい土地での撮影は初めて」と感激、北スペインはサンセバスチャンだけでなく魚貝類料理が美味しいようです。「暗い悲劇のようにみえますが、決してそうではない」とも語っている。『エル・ニーニョ』や『マジカル・ガール』出演により日本でも知名度が高くなりつつある。共演者のホセ・アンヘル・エヒドやパブロ・デルキは、短編Pablo”にも出演しているベテランです。個人的には来年のゴヤ賞新人監督賞が楽しみになってきました。

 

 

Pinamar フェデリコ・ゴッドフリード アルゼンチン 2016

母親が亡くなり、パブロとミゲルの兄弟がピナマルに帰ってくる。母親との別離の他に相続、つまり家族所有のアパートを売却するためだった。パブロはできる限り早く片付けて帰りたい、一方ミゲルは滞在をゆっくり楽しみたい。期せずしてこの旅は彼らの関係を見つめなおすことになる。

*フェデリコ・ゴッドフリードFederico Godfridは、アルゼンチンの監督、脚本家、俳優。2008年、フアン・サシアインとの共同監督の長編デビュー作La Tigra, Chacoはロマンチックコメディ。本作が初の単独での監督。俳優としては、アドリアン・Szmuklerの“Prepotencia de trabajo”(11)に出演している。

 

 

Fin de semana モロコ・コルマン アルゼンチン 2016 77

カルラ(マリア・ウセド)は数年ぶりにマルティナ(ソフィア・ラナロ)と過ごすために山間のサンロケ湖にやって来る。二人の関係がどこかよそよそしいのは、互いに語られない何か秘密があるようだった。マルティナにはディエゴ(リサンドロ・ロドリゲス)という人目を忍ぶ相手がおり、二人は激しいセックスゲームから抜けだせないでいた。カルラはこの関係を知ると、ディエゴと対決しようとする。 

(映画から)

    

 

   

 (左から、ソフィア・ラナロ、マリア・ウセド、モニカ役エバ・ブランコ、撮影現場から)

 

*モロコ・コルマンMoroco Colmanは、アルゼンチンのコルドバ出身の監督、脚本家、製作者。1990年代からコルドバでは有名なDJとして活躍している。2010年に同タイトルの短編Fin de semanaがサンセバスチャ映画祭2010で上映されている。俳優も別ならストーリーも母娘の関係になっている。しかし舞台が都会でなく山に囲まれた湖に設定するという大枠は、短編を踏襲している。監督によると「山間の湖を舞台にすることが重要だった」と語っている。2011年に短編Lauraを撮っている。 

(モロコ・コルマン監督)

  

パールズPerlas / Pearls)部門

★チリ=仏=アルゼンチン=西合作、パブロ・ララインNeruda(「ネルーダ」)1作のみです。カンヌ映画祭と並行して開催される「監督週間」にノミネーションされた折に、監督フィルモグラフィー並びにキャスト、ストーリーを紹介しております。尚、今年のトロント映画祭でも「スペシャル・プレゼンテーション」部門にエントリーされております。

主な監督&作品紹介の記事は、コチラ⇒2016516


『エルヴィス、我が心の歌』 *アルマンド・ボー ②2016年06月26日 12:56

           根っこのない人間、インパーソネーターの危機

 

A: 誰でもある程度は他人を真似て生きているわけですが、主人公カルロスのようにピッタリ重なってしまうと救済できない。恐ろしい社会派ドラマです。自分で拵えた壁だから壊すこともできたのだが、愛が壊れると残るのは喪失感だけです。孤独には幻滅も付いてくるから、現実は地獄と化す。

B: アイデンティティーの喪失とか自己否定とかではすまない。「そっくりさん」をやっているうちに誇大妄想に陥り、コチラとアチラの境界が消滅してしまう。

 

A: かろじてコチラに踏みとどまっていられたのは、妻や娘への愛だった。最初カルロスは、エルヴィスとして自分を完結させるか家族を選ぶか、二つの間で揺れていた。しかし家族が壊れてしまえばコチラに未練はない。プレスリーは妻プリシラが娘のリサ・マリーを連れて新しい男に走ってから急激に崩れていった。

B: 監督はモデルの人生に、そっくりさんの人生を重ねていく。

A: モデルは妻が新しい男に走ったことで苦しむが、そっくりさんの方は、妄想にとり憑かれ現実を受け入れない夫に同情しながらも一緒に暮らすことができなくなった妻の方が苦しむ。ここが二人の大きな違いです。

 

B: 自分に根っこがないと境界は無きが如しだから、行き来している自覚もやがて消えてしまうことになる。

A: 自分も含めて周りはそういう人が溢れている。アルマンド・ボー監督もこの映画は「狂気のメタファー」だと語っています。

 

B: インパーソネーターはただの「そっくりさん」ではなく、モデルの内面に深く入り込み、完全一体化していかなければならない。カルロスはそれを実践した。

A: スペイン語映画ファンなら、『トニー・マネロ』08)を思い出す観客が多かったはず、主役を演じたアルフレッド・カストロの狂気にショックをうけた。パブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」の第一部を飾った作品、監督、俳優とも二人をおいて現代チリ映画は語れない。

B: 大抵の方はハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』07)でしょうか。パリに住むアメリカ青年役にディエゴ・ルナが扮し、マイケル・ジャクソンのそっくりさんを演じた。マリリン・モンロー、マドンナ、ジュームス・ディーンなどのそっくりさんも登場する。結末は本作とは異なりますが。 

  

               (『トニー・マネロ』のポスター)

 

A: マイケル・ジャクソンのインパーソネーターNo.1NAVIは、マイケル自身のお墨付きをもらっていた。本人没後はツアーを組んで大忙しだとか。しかしエルヴィスにしろマイケルにしろ、若くして亡くなっているから、モデルの享年が近づくにつれインパーソネーターに危機がやってくる。

B: まさにカルロスがそうでした。カルロスにとって42歳の誕生日は、41歳とはまるで違う。

 

        ちりばめられた伏線の貼り方、メタファーとしての選曲

 

A: 昼は「お前の代わりなんか直ぐ見つかる」と馘首をちらつかせ、カルロスの誇りをズタズタにする現場主任のもとで働いている。ここは自分の居場所ではない。夜はエルヴィスのトリビュート・アーティストとして取替不可能な存在、大きな野心が生れてくる。

B: ここでは自分を〈エルヴィス〉と呼ばせ、音響設備が悪いとぶちギレしてステージを下りてしまう。「俺は神様から素晴らしい声を授けられたエルヴィス」なのだから。

A: このとき歌っていたのが最後のシーンに流れる「アメリカの祈り」、だからゆめ疎かにできないのです。それが最後に分かる。しかし出演料は安く、おまけに滞りがち、これでは間に合わない。映画の早い段階で帰宅途中に飛行場の側を通るシーンが映りますが、これもいずれメンフィスにあるエルヴィスの聖地に飛ぶ伏線でしょう。

 

    

             (「ザ・キング」エルヴィス・プレスリー)

 

B: 老母が入所しているケアハウスでギターを手に弾き語る「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」は、喪失感を象徴する曲、母に最後の別れを告げる伏線になっている。

A: シンガーの田中タケル氏が「カタログ」に寄せた紹介文によると、カルロスが決行前夜クラブでピアノの弾き語りをしながら熱唱する「アンチェインド・メロディ」は、死別を象徴する曲、カルロスが着ていた衣装もエルヴィスにとっては死装束だそうです。

B: エルヴィス・ファンには、選曲のすべてがメタファー、伏線だと分かる仕掛けになっている。勿論、そんな知識がなくてもジョン・マキナニーの歌に酔うことができます。

 

         奇跡は結構起きる、ジョン・マキナニーとの出会い

 

A: 工場の制服を焼却し、スケート場で親子三人の最後の時を過ごす。準備万端整ったところで、妻が交通事故で意識不明の重体となる。ここから実は本当のドラマが始まると思う。

B: これ以前は予想通りの筋書き、しかし疎遠だった娘との距離が次第に縮まるにつれ、もしかして娘の愛の力で正気に戻るのか。不安で眠れない娘に子守唄代わりにカルロスが歌った「ハワイアン・ウェディング・ソング」は心に沁みた。

 

  

           (妻アレハンドラ、娘リサ・マリー、カルロス)

  

A: プレスリーが主演した『ブルー・ハワイ』で歌われた曲、娘との距離の縮め方は自然でとてもよかった。奇跡的にアレハンドラの意識が戻り、二人で面会にいくシーンでは、監督は二人に手を繋がせていた。奇跡はめったに起こらないと言いますが、結構起きるのです(笑)。

 

B: プレスリーの音源は一切使用されていない、すべてジョン・マキナニーが歌っている。

A: ボー監督がトリビュート・バンド「エルビス・ビベ」のジョン・マキナニーに接触したのは、当時構想していた主役の演技指導を打診するためだった。ところが会った瞬間、主役が目の前に立っていた、というわけです。奇跡は起こるのですね。

B: しかし、この逸話は眉唾だね。マキナニーはエルヴィスのトリビュートとして有名だったから、最初から彼に白羽の矢を立てていたにちがいない。声や体型は言わずもがな、マイクを握る太い指、歌唱中に吹きでる汗までそっくりだった。

 

    

     (トリビュート・バンド「エルビス・ビベ」で歌うジョン・マキナニー)

 

A: どちらにしろ彼の人生は変わってしまった。テレビのトーク番組のゲストに呼ばれたり、ガストン・ポルタルが監督したTVミニシリーズ“Babylon”(12)に1話だけですが出演した。

B: エルヴィスとはまったく関係ない刑事ドラマでした。

 

              親の「七光り」もラクではない

 

A: 前回アルマンド・ボーのキャリアについては簡単にご紹介しましたが、祖父と姓名が同じのため二人はごちゃまぜに紹介されています。父親のビクトルがミドルネームを付けなかったせい、アルゼンチンでは「nieto孫」を付けて区別しています。ミューズだったイサベル・サルリが出演している作品は祖父の監督作品です

 

B: ボー監督は現在6歳になる長男にも同じアルマンドを付けた。日本では戸籍法があるからこういう自体はあり得ない(笑)。

A: 有名人の「○○の子供」「××の孫」は七光りの反面重荷になることもある。彼は勉強嫌いだったらしく、特に数学がダメだった。16歳から広告業界で働き始めたのもそれがあるね。ニューヨーク・フィルム・アカデミーも父親に行かされたと語っている。たったの4ヶ月在籍しただけ、縛られるのが嫌いなのでしょう。

B: 本作を共同執筆したニコラス・ヒアコボーネはエルサルバドル大学で学んでいる。アルマンド・ボーの長女の子供、というわけで従兄弟同士です。

 

A: 前回も書きましたが、現在はロスアンゼルスの閑静なベニス地区に転居している。理由はコマーシャルの仕事にはアメリカのほうがいいから。それもあるでしょうが、何につけ祖父や父親と比較されるのが重荷になっているのかもしれない。

B: 脚本を共同執筆した『バードマン』がアカデミー賞を受賞したことも大きい。ガラではジョージ・クルーニーと一緒にコーヒーを飲み、ミック・ジャガーと歓談し、ベッカムが「見たなかではバードマンが一番面白かったよ」と言うために近寄ってきたとか。

A: 「受賞したから言うわけじゃないが、息子を誇りに思う」父親も我が子の晴れ舞台にアルゼンチンから駆けつけた。「私の父も私も成し遂げなかった快挙」と興奮気味のビクトル、妻ルチアナともどもボー一家は興奮の渦に巻き込まれた。たかが映画ですが、これがオスカーなのです。

 

B 他にも祖父のミューズだったイサベル・サルリの逆鱗が理由の一つだったのでは?

A: 「私のことを祖父のアマンテだったと言ったけど、私は彼の祖父のアモールだったのよ。彼の祖父が死んだとき、孫は赤ん坊だった。私についてよくも知らず、あんな発言をするのは恩知らずの碌でなしがすること。ボー一族について話すのは気分が良くない。私にはボーという姓はアルマンドの死とともに終わったの。まったく○×△☆・・・」

B: もう女優は引退していると思うが意気軒昂、やはりボー一族とは確執があったようですね。

A: 孫も悪気があって言ったわけではないが、口は禍いの門、狭い世界です。

 

         映画だけでは食べていけない―今後の活躍

 

B: 一生制作するとは思わないが、コマーシャルを制作するのは映画だけでは食べていけないから。映画は34年かかる。両方やってみて分かったことだが、映画とコマーシャルを同時に進行させるのは無理だと語っている。

A: 広告と映画はとても異なった世界、素晴らしい広告を制作できたからといって素晴らしい映画が作れるわけではない。すべての映画監督に当てはまるわけではないけど、その逆も同じ、とインタビューに答えている。

 

B: 家では映画があふれていたけど、若い時は映画を見なかった。見ていたのはサッカーだったとか。アルゼンチンの普通の若者像です。

A: 無意識のうちに祖父や父の重圧に反発していたのかも。好きだった映画は196070年代のハリウッドやヨーロッパ映画、コッポラの『ゴッド・ファーザー』、キューブリックの『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』、キューブリックは今でも無敵を誇る存在とか。

B: 『2001年宇宙の旅』に使用されたリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が本作にも登場していた。

 

A: より若い監督作品では、ポール・トーマス・アンダーソンの群像劇『マグノリア』、スパイク・ジョーンズ『マルコヴィッチの穴』、スティーブン・ソダーバーグ『セックスと嘘とビデオテープ』を挙げている。ベン・スティーラーが自作自演した『ズーランダー』も大好きだそうです。

B: 自国の映画はお呼びでないようです。

 

A: 新作Lifeline16)は30分の中短編、来年には『バードマン』のスタッフが再びチームを組んで10話構成のTVミニ・シリーズThe One Percent(“1%”)が始まる。エド・ハリスやエド・ヘルムズ、ヒラリー・スワンクなどが出演する。ボー監督は脚本と製作の一翼を担うことになる。

  

『女体蟻地獄』(1958El trueno entre las hojas”、1962公開)、脚本をアウグスト・ロア・バストスが執筆したもので高評価だった。またミス・ユニヴァースのアルゼンチン代表、セックス・シンボルだったイサベル・サルリ(1935~)のデビュー作でもある。『裸の誘惑』(1966Naked Temtation”、1967公開)はイギリス映画、『獣欲魔地獄責め』(1973Furia infernal”、1974公開)には、息子ビクトルが初めて出演した。祖父の映画はセックスを売り物にしたploitation映画と言われ、邦題もそれに準じて付けられておりますが、かなり表層的な見方と思います。最後の作品となる“Una viuda descocada”(仮題「厚かましい未亡人」80)は、エロティック・コメディながら裏に皮肉な社会批判が込められている。豊かな胸を武器に次々にエロおやじを餌食にして墓石のコレクターになる未亡人にサルリが扮した。当時のアルゼンチンは「恐怖の文化」が支配した軍事独裁政権時代、こういう映画を見ると複雑です。翌年脳腫瘍のため67歳で没したとき、孫アルマンドは未だ2歳でした。

 

『エルヴィス、我が心の歌』*模倣の人生を生きる ①2016年06月22日 18:29

       エルヴィスのトリビュート・アーティスト、カルロスの生き方

 

      

2012年と大分前のアルゼンチン映画『エルヴィス、我が心の歌』が劇場公開された。これも偏にアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン』2015年アカデミー作品賞を受賞したお陰です。アルマンド・ボー監督が脚本の共同執筆者の一人だったからです。『エルヴィス、我が心の歌』がサンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティノ」部門のグランプリ、トゥールーズ映画祭「シネラティノ」部門の批評家賞、UNASUR映画祭の脚本賞などなどを受賞しただけでは公開されなかったでしょう。それと同胞ダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』が後押ししてくれたかもしれない。

 

     『エルヴィス、我が心の歌』(原題“El ultimo Elvis”、英題“The Last Elvis”)2012

製作:Anonymous Content / K&S Films / Rebolucion / Kramer & Sigman Films

      協力:INCAA / Telefe

監督・脚本・編集・製作者:アルマンド・ボー

脚本():ニコラス・ヒアコボーネGiacobone

美術:ダニエル・Gimeleberg

音楽:セバスティアン・エスコフェ

撮影:ハビエル・フリア

録音:マルティン・ポルタ

編集():パトリシオ・ペナ

衣装デザイン:ルチアナ・マルティ

メイクアップ:アルベルト・モッチャMoccia

特殊効果:クラウディオ・ラングサム

製作者:ビクトル・ボー

 

データ:製作国アルゼンチン=米国、スペイン語・英語、201291分、撮影地ブエノスアイレス、公開アルゼンチン2012426日、フランスとスペイン20131月、他ブラジル、オランダ、ポルトガルなど。

映画祭・受賞歴:サンセバスチャン映画祭2012ホライズンズ賞、2012年アルゼンチン・アカデミー賞6部門(作品賞・新人監督賞は逃す)、UNASUR(南米諸国連合)映画祭2012美術・衣装・脚本の3賞、トゥールーズ映画祭シネラティノ批評家賞、チューリッヒ映画祭監督賞、イースト・エンド映画祭作品賞、2013年コンドル賞(アルゼンチン批評家賞)などを受賞。2012年のサンダンス、ビアリッツ「ラテンアメリカシネマ」などの映画祭で上映された。

 

キャスト:ジョン・マキナニー(エルヴィス/カルロス・グティエレス)、グリセルダ・シチリアニ(プリシラ/妻アレハンドラ・オレンブルグ)、マルガリータ・ロペス(娘リサ・マリー・グティエレス)、コリナ・ロメロ(秘書)、ロシオ・ロドリゲス・プレセド(ニナ)、他

 

   

プロット:エルヴィス・プレスリーの幻影を生きたカルロス・グティエレスの人生が語られる。カルロスはブエノスアイレスの貧しい労働者地区の工場で働きながら、夜は〈エルヴィス〉のトリビュート・アーティストとしてステージに立っている。妻アレハンドラをプリシラと呼び、一人娘にはリサ・マリーと名付けた。自分は神から素晴らしい声を授かった特別な人間、エルヴィスの化身なのだ。だからエルヴィスと同じ体型を維持するため彼の好物ピーナッツバター・バナナサンドを毎日食べているのではないか。妻は妄想にとり憑かれた夫の言動に耐えられず、娘を連れて遠の昔に家を出てしまっていた。しかし彼の心を占めているのは、自分が間もなくエルヴィスの旅立った年齢に近づいていること、カルロスに〈その後〉はないのだった。仕事を辞めてグレースランドへの準備を始めた矢先、思わぬ事故が起きて娘を引き取ることになったカルロス、計画は頓挫してしまうのだろうか。自己否定がゆえに他人の人生を選んでしまった男の物語。

 

    

         (ジョン・マキナニー、グリセルダ・シチリアニ、監督)

 

監督紹介アルマンド・ボーArmando Bo/Bó (nieto)1978年ブエノスアイレス生れ、脚本家、監督、製作者、編集者。父親ビクトル・ボーは俳優、製作者、本作の製作者の一人。祖父アルマンド・ボー(191481、脳腫瘍のため死去、享年67歳)は伝説的なシネアスト、俳優、脚本家、監督、作曲家。アルゼンチンで〈アルマンド・ボー〉といえば、1939年にデビューした美男俳優、50年代半ばから監督もした祖父のことを指した。それで「アルマンド・ボーの孫」、またはJr.ジュニアを付けたり、愛称のアルマンディートと呼ばれている。いわゆる親の「七光り」派、未だ10代の終わり、何も発表していない頃からデビュー作の受賞が期待されていた。

 

★ブエノスアイレスのベルグラノ地区の私立高校で学ぶ。俳優デビューは12歳の頃、父ビクトルが製作したコメディ“Ya no hay hombres”(1991、監督アルベルト・Fischerman)に経費節減のため無料で出演した。1997年、アンドレス・ペルシバレ他によって制作したTeleganasのゲーム・プログラムに参加する。

その後、制作会社「La Brea」に入社、多数のコマーシャルに携わる。撮影はぶつ続け30時間と殺人的な作業だったが、ここでの経験が後で役に立った。しかし監督という家業を継ぐのは運命と思い定め、3年ほどで退社、ニューヨークの映画学校で本格的な映画製作の勉強を始める。

 

  

 (お洒落ではないが身だしなみには気をつけているという最近の監督、20161月撮影)

 

2005年、パトリシオ・アルバレス・カサドと一緒にコマーシャル制作会社「Rebolucion」(本部はアルゼンチンとブラジル)を設立、イベロアメリカの優秀なプロデューサーの一人となった。制作した120のコマーシャルのうち、50作近くが国際的な賞を受賞している(これには祖父や父親の「七光」を割り引かねばならないが)。2010年、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『ビューティフル』の脚本をN・ヒアコボーネ、監督と共同執筆し、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。2014年、同監督の『バードマン』が第87回アカデミー賞の作品・監督・脚本・撮影の4賞を受賞、脚本の共同執筆者の一人として授賞式に出席した。

 

   

    (左から、N・ヒアコボーネ、AG・イニャリトゥ、アレクサンダー・ディネラリス、

   今宵のために新調したタキシード姿のA・ボー、アカデミー賞2015授賞式にて)

 

★脚本の共同執筆者ニコラス・ヒアコボーネは従兄弟、脚本家、作家、製作者、短編映画も撮っている。A・G・イニャリトゥの最新作『レヴェナント 蘇りし者』の製作にも参加している。衣装デザインを担当したルチアナ・マルティは妻、既に6歳と2歳の息子がいる。20151月よりロスアンゼルスのベニス地区に転居、仕事の本拠地をアメリカに移している。

  

「ある視点」にはアルゼンチンの新人二人*カンヌ映画祭2016 ②2016年05月11日 12:56

       開けてビックリ玉手箱、ブエノスアイレスからカンヌへ一直線

 

★アンドレア・テスタ&フランシスコ・マルケスの新人二人の“La larga noche de Francisco Sanctis”がノミネーション、この朗報が飛び込んできたのはブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭(BAFICI)開催中でした。チケットは完売、カンヌの威力を見せつけました。カンヌがワールド・プレミアなんて信じられない二人です。兄妹のようによく似ていますが夫婦です。1984年に出版された故ウンベルト・カチョ・コスタンティーニ(192487)の同名小説の映画化、そういうわけでBAFICIには作家の夫人が馳せつけました。「ある視点」にノミネーションされたことでニュースが入り始めていますが、ここではアウトラインだけにしておきます。

 

    

 

  La larga noche de Francisco SanctisThe Long Night of Francisco Sanctis

製作:Pensar con las Manos

監督・脚本・製作者:アンドレア・テスタ&フランシスコ・マルケス

原作:ウンベルト・カチョ・コスタンティーニ

撮影:フェデリコ・ラストラ

編集:ロレナ・モリコーニ

製作者:ルシアナ・ピアンタディナ

データ:アルゼンチン、スペイン語、2016年、78分、軍事独裁時代の政治スリラー

映画祭受賞歴:ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭(BAFICI2016正式出品、最優秀作品賞・最優秀男優賞・SIGNIS賞・FEISAL賞を受賞する。カンヌ映画祭2016「ある視点」部門正式出品、カメラドール対象作品でもあります。カンヌ上映は520

 

キャスト:ディエゴ・ベラスケス(フランシスコ・サンクティス)、ラウラ・パレデスバレリア・ロイス、マルセロ・スビオット、ラファエル・フェデルマン、ロミナ・ピント

 

解説:時代はビデラ軍事独裁政権2年目の1977年、中流階級のフランシスコ・サンクティスは現政権の行政官として政治には無関心な生活を送っていた。ある日、高校時代の昔のクラスメートから1本の電話がかかってくる。今夜二人の若い活動家が逮捕され、たちどころにデサパレシードスになる。彼らを救えるかどうかはあなたの手の内にある。サンクティスは不安と恐怖に襲われる。命令を無視することもできたが、彼のなかに若かりし頃の鼓動が響いてくる。妻と子供と一緒に政治には一切関わらずに過ごしていたフランシスコの内面の葛藤が語られる。

 

     

          (妻と子供たちと食事をするサンクティス、映画から)

 

トレビア

今までの軍事独裁時代(197683)の映画と切り口が違うのは、活動家やデサパレシードスdesaparecidos行方不明者)、またはその家族が主人公ではなく、受け身の小市民的日常を送っていた政治的無関心派の男が、否応なく政治に巻き込まれてしまう点です。テーマは主人公の倫理的ジレンマでしょうか。原作者ウンベルト(・カチョ)・コスタンティーニは詩人、戯曲家でもあり、社会的闘士だったから、独裁者のcivico-militarと言われる市民の軍隊が組織されてからは亡命を余儀なくされた。帰国できたのは、名ばかりとはいえ民主化後のこと、1984年に本作を発表した。当然小説には作家が投影されているのでしょう。こういう「恐怖の文化」が支配する時代には、亡命が叶わなければ、沈黙して伏し目がちに目立たずに暮らすことが賢い人の生き方、そうでないと生き残れない。

 

100%アルゼンチン資本で製作された作品。昨今はスペイン、フランス、ドイツなどヨーロッパ諸国とのコラボが多いなか珍しいことです。新人にかぎらずカンヌにノミネーションされた作品の殆どが合作、3カ国、4カ国も珍しくない。ほぼ同時代を描いたダニエル・ブスタマンテのデビュー作『瞳は静かに』も製作国はアルゼンチンだけでしたが珍しいケースです。彼は1966年生れ、クーデタのときは10歳ぐらいだったから少しは記憶を辿ることはできた。そのかすかな記憶が彼に映画製作を促した。しかし本作の二人の監督は、フランシスコ・マルケスが1981年、アンドレア・テスタにいたっては1987年、当時を殆ど知らない世代といっていい。彼らのような「汚い戦争」を知らない世代が映画を作り始めたということです。

『瞳は静かに』とその関連記事は、コチラ⇒2015711

 

      
      (フランシスコ・コルテスとアンドレア・テスタ、第18BAFICIにて)

 

監督紹介フランシスコ・マルケス1981年ブエノスアイレス生れ、アンドレア・テスタ1987年ブエノスアイレス生れ、共に監督、脚本家、製作者。アルゼンチン国立映画学校(ENERCEscuela Nacional de Experimentación y Realización Cinematográficaの同窓生。以下のフィルモグラフィーから二人で協力しあって製作していることが分かる。

フランシスコ・マルケスのフィルモグラフィー

2011Imagenes para antes de la Guerra”(短編15分)テスタがアシスタント監督

2014Sucursal 39”(短編13分コメディ)テスタがアシスタント監督

2015Despues de Sarmiento”(ドキュメンタリー76分)

2016La larga noche de Francisco Sanctis本作

アンドレア・テスタのフィルモグラフィー

2007El Rio”(短編7分)

2009Sea una familia feliz”(短編8分)マルケスがアシスタント監督

2010Uno Dos Tres”(短編10分)マルケスがアシスタント監督

2015Pibe Chorro”(ドキュメンタリー90分)マルケスがアシスタント監督

2016La larga noche de Francisco Sanctis本作

 

★二人とも原作者コスタンティーニの愛読者だった由。パルケ・センテナリオ(ブエノスアイレス)で開催された書籍見本市の人から「これは読んで後悔しない小説です」と薦められた本でした。「言うとおりでした。二人ともすごいスピードで読破、映画にしようと即座に思った。つまり小説との出会いは偶然だったのです」と口を揃えた。二人ともいわゆる「物言わね大衆」と称された中流家庭の出身、屋根のある家に住み食べるものもある家庭の「見ざる聞かざる言わざる」で育った世代が物を言い始めたということでしょうか。具体化できたのは「撮影監督のフェデリコ・ラストラとプロデューサーのルシアナ・ピアンタディナが支援してくれたお陰です」と感謝の言葉を述べていました。フェデリコ・ラストラは彼らの短編を手掛けています。

 

    

     (今年2月に誕生した娘ソフィアを抱いて、二重の喜びにひたる両監督)

 

キャスト紹介:主人公フランシスコ・サンクティス役のディエゴ・ベラスケスは、マルティン・カランサ共のAmorosa Soledad08)で映画デビュー、マリアノ・ガルペリン共の100 tragedias08)出演後はシリーズTVドラで活躍、日本登場はルシア・プエンソの『フィッシュチャイルド』(“El niño pez”、ラテンビート2009)の〈エル・バスコ〉役が最初だと思います。他にダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』(第5話「愚息」)に検察官役で顔を覗かせた。夜のシーンがおおいので自然照明だけのグレーがかった色調から浮き上がる複雑な表情、その内面の動きを表現した演技が認められ、BAFICI最優秀男優賞を受賞した。

 

 

(サンクティス役のディエゴ・ベラスケス、映画から)