『聖なる証』セバスティアン・レリオ*Netflix 鑑賞記 ― 2022年12月05日 09:35
痛みと喪失を抱える人々の出会いと再生の物語

★19世紀半ばアイルランドを襲った大飢饉後に起きた「断食少女」の奇跡の記録に着想を得て書かれた同名小説の映画化、原作者エマ・ドナヒューは「小説はフィクションですが、断食少女の記録は古く中世に遡ります」と語っている。作家は共同脚本家としても参加しています。ドナヒューはアナという奇跡の断食少女を登場させ、真実なのか詐欺なのか、はたまた邪悪な陰謀が蠢いているのか、真否を確かめるためクリミア戦争に従軍したイギリス人看護師を、遥かロンドンからアイルランドの小さな村に派遣することにした。セバスティアン・レリオの長編8作目『聖なる証』は、痛みと喪失のトラウマを抱えた3人の登場人物の出会いから再生までを語ったサイコスリラー。

(エマ・ドナヒューの原作 ”The Wonder” の表紙)
★セバスティアン・レリオ・ワット紹介:1974年アルゼンチンのメンドサ生れですが、2歳のとき母親の母国チリのビニャ・デル・マルに移住したチリ国籍の監督。2~3年ごとに引越しを繰り返したので、自身を〈ノマド〉と称している。デビュー作『聖家族』は養父のカンポスを使用したが2作め以降はレリオに戻している。アンドレス・ベロ大学で1年間ジャーナリズムを学んだあと、チリ映画学校を卒業、1995年から短編、ミュージックビデオ、ドキュメンタリーを撮っている。初期の3作はいずれも宗教的信仰をテーマにしている。2017年の『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』も超正統派ユダヤ・コミュニティの厳しい掟社会に生きる2人の女性の愛と信仰がテーマです。チリに長編映画としては最初のオスカー像を運んできた5作目『ナチュラルウーマン』(17)が代表作。『聖なる証』については第70回サンセバスチャン映画祭で金貝賞を競った折りに簡単にご紹介しています。
*「The Wonder」の作品紹介記事は、コチラ⇒2022年08月06日
*『ナチュラルウーマン』の主な紹介は、コチラ⇒2017年01月26日/2018年03月16日
★以下に長編全8作のタイトルだけをアップしておきます。6作目以降が英語映画ということもあって、チリの監督としては日本語字幕入りで鑑賞できる数少ない監督の一人です。
2006「La sagrada familia」(邦題『聖家族』ラテンビート2006)サンティアゴ・カンポス
2009「Navidad」(仮題「クリスマス」)
2011「El año del tigre」(仮題「タイガーの年」)
2013「Gloria」(邦題『グロリアの青春』2014年公開)
2017「Una mujer Fantástica」(邦題『ナチュラルウーマン』2018年公開)
2017「Disobedience」(邦題『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』アイルランド=英=米、
英語・ヘブライ語、2020年2月公開)
2018「Gloria Bell」(邦題『グロリア 永遠の青春』リメイク、チリ=米、英語、2021年12月公開)
2022「The Wonder」(邦題『聖なる証』英語・アイルランド語、Netflix配信)
『聖なる証 あかし』(原題「The Wonder」)2022
製作:Element Pictures / Element / Fis Eireann Screen Ireland
監督:セバスティアン・レリオ
脚本:セバスティアン・レリオ、アリス・バーチ、原作者エマ・ドナヒュー
音楽:マシュー・ハーバート(『ナチュラルウーマン』)
撮影:アリ・ウェグナー
編集:クリスティナ・ヘザリントン
キャスティング:ニーナ・ゴールド
製作者:エド・ギニー、アンドリュー・ロウ、テッサ・ロス、ジュリエット・ハウエル、(エグゼクティブ)エマ・ドナヒュー、以下割愛
データ:製作国イギリス=アイルランド、言語英語・アイルランド語、2022年、歴史ドラマ、サイコスリラー、108分、撮影地アイルランド、2021年8月12日クランクイン、限定公開2022年11月2日、イギリス、アイルランド、米国、カナダ、スペイン、Netflix プレゼンツ、配信11月21日
映画祭・受賞歴:テルライド映画祭2022ワールド・プレミア、トロントFF、サンセバスチャンFFコンペティション部門正式出品、BFI ロンドンFF、リオデジャネイロFF、ベルファストFF、マル・デル・プラタFF、ブリティッシュ・インデペンデント・フィルム賞(オリジナル・スコア賞マシュー・ハーバート受賞)、他作品賞・監督賞・アンサンブル演技賞以下ノミネート多数
キャスト:フローレンス・ピュー(英国人看護師エリザベス・ライト/リブ)、トム・バーク(デイリーテレグラフ記者ウィリアム・バーン/ウィル)、キラ・ロード・キャシディ(アナ・オドネル/ナン)、ニアフ・アルガー(キティ・オドネル/ナレーター)、デヴィッド・ウィルモット(旅籠の主人ショーン・ライアン)、ルース・ブラッドリー(妻マギー・ライアン)、トビー・ジョーンズ(オドネル家の主治医マクブレアティ医師)、キアラン・ハインズ(タデウス神父)、ジョシー・ウォーカー(シスター・マイケル)、エレイン・キャシディ(アナの母ロザリーン・オドネル)、カオラン・バーン(アナの父マラキー・オドネル)、ダーモット・クロウリー(オトウェイ卿)、ブライアン・F・オバーン(オドネル家の家主ジョン・フリン)、メアリー・マレー(訪問客)、ライアンの5人の娘たち他多数
ストーリー:1962年、クリミア戦争に従軍した英国人看護師エリザベス・ライトは、11歳の誕生日以来4ヵ月間も断食しているアナ・オドネルを注意深く観察するよう要請され、アイルランドのミッドランド地方の小さな村に派遣されてくる。アナを一目見ようと巡礼者や観光客が殺到し、ロンドンから新聞記者もやってくる。リブ・ライトは翌日、アナの背後にある真相を突き止めるために結成された委員会に呼び出される。リブ・ライトは故国に敵対的なアイルランドの村に唯一人でいる。一部の人が宗教上の奇跡と見なしている医学的驚異を理解するには、誰が信頼できるのかを判断しなければならない。もしかすると天の恵みで生きている聖女として村人が囲っているのではないか、あるいはもっと邪悪な動機があるのだろうか。19世紀に典型的だった断食少女の奇怪な出来事にインスパイアされたサイコスリラー。オドネル家が封印していた秘密、宗教的集団ヒステリー、医学的仮説(理性と信仰の衝突)、イギリスの優越性とアイルランドの屈折、アナのバックストーリーが明らかになるにつれ、表面からは見えなかった真実が現れてくる。何が起こっているのかではなく、なぜ起こっているのかが語られる。

(フローレンス・ピューに演技指導をするレリオ監督)
偽のオープニング、監督の意図は何でしょうか?
A: 映画のオープニングは実に奇妙で、スタジオセットのようなシーンから始まります。すると女性の声で「こんにちは、これは始り。これから皆さんが出会う登場人物たちは、自身の物語を完全な献身で信じています。私たちは物語あっての存在、だから彼らの話を信じてください」というナレーターの声が聞こえてくる。
B: 観客はこの奇妙なオープニングに「これはいったい何?」とたちまち物語に引きずり込まれていく。結末は「単なるデマでした」で終わるだろうと高を括って見はじめた観客を釘付けにする。
A: カメラが移動すると、薪ストーブの煙が立ちのぼる船中らしい食堂で食事をしている女性が目にはいる、フローレンス・ピュー扮する英国人看護師エリザベス〈リブ〉・ライトの登場です。船に乗り列車に乗りつぎ馬車に揺られて雨のなかやっとアイルランドの小さな村の旅籠に到着する。
B: 旅籠の主人夫婦と5人の娘たち、看護師派遣を決定した村の長老である委員会のメンバー5人、村外れの荒涼とした一軒家に暮らす断食少女の家族、と次々に主な登場人物が手際よく出揃います。
A: 冒頭から看護師役のフローレンスの演技に圧倒されますが、間もなく本作がメタフィクションの構造をもっていることに気づきます。それはともかく私たちは謎を引きずって看護師と一緒に旅をすることになる。

(パフォーマンスが絶賛された看護師リブ・ライト役のフローレンス・ピュー
とセバスティアン・レリオ監督、BFI ロンドン映画祭2022のフォトコール)
B: 委員会のメンバーの一人宿屋の主人ショーン・ライアンは「茶番だと証明してさっさと帰れ」とアンチ奇跡派、反対に医学を学んで理性的であるはずの医師マクブレアティは、未知の栄養分、つまり植物のように日光のエネルギーや香りから栄養を得ているなど途方もない「完全な献身」派、奇跡を信じたい。
A: 地主でオドネル家の家主ジョン・フリンは信心深いが、ここを聖地にして一儲けしたいのか、早く奇跡を証明して欲しい打算的な俗物。タデウス神父は説明するまでもないがオトウェイ卿はやや中立の印象です。
B: ライアンは観光客や巡礼客が増え商売繁盛となるからデマでも歓迎するのかと思いきやそうではない。ここいらが面白い。
A: リブは自分の仕事が看護ではなく、アナが本当に断食しているかどうかの真否を観察することに利用されたと直ぐに理解する。土地の修道女マイケルと1日8時間3交替、観察期間は2週間、二人は相談してはならず別々に報告することが言い渡される。どうして看護師ではないシスターが参加するのか、「シスターが一緒なら家族が安心する土地柄だ」と、村の後進性を宿屋の主婦マギーに言わせている。出番は少ないがこの冷静で洞察力のあるマギーの人格造形がいい。

(長老で構成された委員会、左からドクター、委員長オトウェイ卿、タデウス神父)
B: リブが居間に飾ってある写真から、オドネル家には息子がいたことに気づくところからドラマが俄然動き出す。子供は少し前に原因不明の病気で亡くなったという。しかし母親ロザリーンは淡々と「息子が早く神の元へ行けたからよかった」と語る。
A: 来世は永遠、現世はまたたく間に終わる、と固く信じている。だから死は魂の救済なのです。賢いリブは息子の死とアナの断食に何か繋がりがあると直感する。リブは自分の仕事が基本的に少女を死に至らしめる看護にすぎないと気づきはじめているから早く断食を止めさせたい。水と祈りだけで生きているアナは宗教的信念のため恍惚として元気そうに見えるが、何か秘密があるにちがいない。
B: 観客はアナが彼女には大きすぎるぶかぶかの兄の靴を履いていること、「聖カタリナの神秘の結婚」のカードがお気に入りであること、アナの宝物、聖母マリア像のなかに兄の遺髪が入っていたこと、兄が「地獄、天国のどちらにいるか分からない」と話していたことが伏線だったと観客は気づく。
A: 聖カタリナは〈アレクサンドリアのカタリナ〉のことで、キリスト教の聖人で殉教者です。聖母マリアによって幼子イエスと婚約させられたという、いわゆる「神秘の結婚」をしている。シンボルは花嫁のベールと指輪、アナも「目には見えない指輪をしている」とリブに語っていた。オドネル家の忘れたい過去がおぼろげながら浮き上がってくる。
親が願う子供の緩慢な死、教会の独善性
B: アナは11歳の誕生日以来4ヵ月ものあいだ水以外は口にせず奇跡的に健康である。アナは宗教的な理由で断食をしており「天からのマナ」に支えられているから食べ物は必要ないと言う。
A: では「天からのマナ」とは何か。奇跡に懐疑的な看護師は、家族がマナと称して秘かに食べ物を与えているのではないかと推測する。リブの関心事はアナの健康と幸せだから早く原因を突き止めて断食を止めさせたい。
B: 家族との接触を禁止すると果たせるかなアナは急激に衰弱していく。貧血、浮腫、壊血病の兆候が現れ始める。リブは母親とアナが交わす朝晩のキスにやっと辿りつく。噛み砕いた食べ物を口移しにしていたのではないか。
A: これが「天からのマナ」だった。リブは母親に朝晩のキスを再開するよう懇願するが、母親は「アナの神聖な死後、自分の二人の子供は天国に行ける」と拒絶する。ロザリーンは我が子の緩慢な死を願っているのです。当時では既に少数派になっていたアイルランド語しか解さない父親の存在感は薄く妻に引きずられている。両親は兄妹の関係を察していたに違いない。両親の無知蒙昧を非難することはできない。大飢饉のトラウマは十数年後の今でも村全体に影を落としており、住民は大飢饉の原因はイギリス人のせいだと考えていた。

(アナ・オドネル役のキラ・ロード・キャシディ)
B: リブは敵に囲まれている。19世紀半ばに大ブリテン島を襲った飢饉は、後にジャガイモ大飢饉と歴史書に書かれるようになった。
A: 原因はジャガイモが疫病に罹って枯死したためですが、特にアイルランドが酷かった。それは領主や支配階級がイギリスやスコットランドなどで暮らしていたため対応に遅れをとったからです。だからあながち間違ってはいないのです。1947年がピークで、人口の2割強が死亡したという。
B: コロナどころの話ではないですね。ジャガイモが主食でしたから想像を絶します。しかし、母親が兄妹の罪深い関係を妹のせいにして、アナの死を願うのは別問題です。
A: アナの「自分は妹であり妻だった」という衝撃的な告白に気丈なリブも動揺する。ロザリーンは息子の死は天罰だと信じており、それはアナのせい、地獄で業火に焼かれている息子の魂を救うためにアナを犠牲にすることを躊躇わない。アナも自分の命を犠牲にすることで、地獄で永遠に焼かれつづけている兄を解放できると信じている。
B: 「神聖な行為でなかった」から兄は召されたが、今でも兄を愛しているとも語った。子役と動物にはどんな名優も勝てないと言いますが、アナの迫真の演技には驚くと同時に涙も禁じえなかった。
キティ・オドネルはアナのお姉さんですか?
A: 本作で重要な登場人物にニアフ・アルガー扮するキティ・オドネルが挙げられる。彼女が観客に「私たちは物語あっての存在」と語りかけたナレーターだったことが分かるのですが、いまいち立ち位置が謎めいている。英語版の解説ではアナの姉となっているが家族写真にはいなかった。姉なら写っているはずです。
B: リブと近い年齢に見えるから少なくともロザリーンの子供ではない。ロザリーンあるいはマラキーの妹か、先妻の子供か、そのどれでもない虚構の存在なのか。まだ高価で珍しかった家族写真を撮っていたのも奇異ですね。
A: タデウス神父が家の前でアナを撮るシーンもあり、当時写真は時代の先端を行っていた。キティに戻すと、彼女は学校に行けなかったから聖書も新聞もすらすら読めないが、皮肉屋で鋭い観察力の持主、唐突にあちこちに出没する。メタフィクションの構造をもっていることは先述したが素性がはっきりしない。私たちに情報をばらまきつつ社会規範を乱そうとしている。
B: キティはアナが最後に口にしたものが聖体拝領のパンだったと告げる。それは単なるパンではなくイエスの肉体と血である。小麦粉に過ぎないと考えるリブは「私は物語でなく事実を探す」と応じるが、キティは「あなたは真実を探すというが、あなただって物語が必要」と、リブの弱点をつく。

(「あなただって物語が必要」と語気を強めるキティ・オドネル)
A: キティはトム・バーク扮する「デイリーテレグラフ」の記者ウィリアム・バーンと幼馴染みだという。飢饉でもウィルは町の学校に行けたが自分は行けなかった。彼が寄宿生だったときに家族は一人残らず亡くなった。「尊厳を守るため家のドアを内側から鍵をかけた。道端で野垂れ死にしないように」とリブに告げる。アイルランド人はイギリスの支配下にあるが誇り高い民族だとリブに分からせるためのセリフです。

(忘れたい過去をもつ記者ウィリアム・バーン)
B: 男性優位社会の告発を滲ませながら大飢饉の凄惨さを物語る。キティの口ぶりからウィルに好意を寄せていることを匂わせている。ロンドンからはるばる帰郷してきた記者は、物語に飢えている大衆のためにアナを取材して記事を書かねばならない。しかし会わせてもらえない、そこで情報欲しさにリブに近づいていく。

(最初の出会い、ウィル、リブ、ウィルにもらったソーマトロープで遊ぶアナ)
A: リブはウィルから不躾な言葉を投げかけられて彼を無視していたが、彼が見かけによらず自分と同じ悲しみと喪失を味わっていることに衝撃を受ける。反発しながらも惹かれあっていた二人はやがて結ばれるのだが、この3人はスクリーン上に同時に現れることはない。
B: もしかしてキティは、オドネル家に住みついて観客を揺さぶる一種のトリックスター的役目を果たしているのではないか。映画はリアリズムの手法で進行するが、ストーリー的にはホラーすれすれを滑走している。
A: 飢饉で荒廃したアイルランドの風景を完璧にとらえた撮影のお蔭で、観客はこれが現実であると容易に信じます。しかし監督の方向性は認めますが、後半は少し急ぎすぎで物足りなく、結末はありえない。科学と宗教のどちら側につくかで見方は変わるかもしれず、21世紀に生きる私たちにも物語は必要です。
個人の倫理がコミュニティの信念と衝突するとモラルはどうなるか?
B: 冒頭で看護師には靴を履くことなく旅立った赤ん坊の存在が知らされ、後に3週間と2日の女の子だったことが分かる。リブは医学知識のある看護師でありながら我が子を救えなかったことで自分を罰している。
A: スプーン1杯のアヘンチンキ剤の力を借りなければ眠りにつけない重い不眠症に罹っており、自傷行為をしています。科学を信じ倫理を尊重し、何よりも事実を追及する合理的な人間ですが、忘れたい過去に苦しんでいる。
B: 本作のテーマの一つに、個人の倫理がコミュニティの信念と衝突するとモラルはどうなるかという問題があります。特に未だに飢饉のトラウマに苦しんでいて、イギリスに敵対的なコミュニティと対立するときです。
A: オドネル夫婦の拒否にあい万策尽きたリブは、アナを助けるためモラルを無視した大胆な賭けに出ます。リブは自分の職業倫理が試され、生か死かの選択に直面する。彼女の計画を聞かされたウィルは、最初危険すぎると尻込みする。自身の責任の可能性を懸念したからです。
B: 結局リブの計画にのるのですが、それは彼にも危険でも物語が欠かせなかったからですね。監督が突きつけたのは「モラルとは何ですか」という疑問です。人を救うためとはいえ世間を欺く嘘は悪か、いかなる理由の放火も大罪か。

(証拠隠滅をはかるリブ・ライト)
A: 偽の死亡書類を委員会に提出し、自らも火傷を負ったリブは、下宿で委員会の判断が下るのを待つことになる。シスター・マイケルが初めてリブに話しかける。「幻を与えられて途中でミサを抜け出しました。火事を目撃する前に、天使がアナを馬の背に乗せて走り去るのに出会いました。アナが新しい世界へ行けたと約束してください」とリブに迫ります。
B: リブは約束すると何回もうなずく、シスターも共犯者になったのです。自由意志や公正な社会が宗教的熱狂をどこまで許容するかも投げかけている。

(リブとの会話を避けるシスター・マイケル)
A: さらに医師の道徳的、倫理的義務について、懐疑主義と信仰の必要性もテーマだった思います。宗教の役割について、その乱用の許容限度を考えることは、現代社会にも繋がっている。人々が義務と信念と愛の名の下に行動する混乱は、心の謎として今日的でもある。
B: 焼け落ちた家の残骸にアナの遺体はなかった。委員会は誰も罰せず、リブの雇用を無給として終了する。ダブリンで再会した3人は、エリザベス・チェシャー、ウィリキー・チェシャー、ナン・チェシャーと名乗って、ノーサンバーバラ号でシドニーに向けて出港する。
A: キティがスクリーンに現れ、新聞の委員会報告を読み上げる。観客に冒頭の「私たちは物語あっての存在」を思い起こさせる。
B: 「悲嘆にくれる世界が、聖なる証を求めている」というナレーションのあとに、ニアフ・アルガー扮する黒ずくめの女性が現れ、かつてアナがウィル記者からプレゼントされた小鳥と鳥籠が描かれた玩具ソーマトロープの「中、外、中、外」が繰り返される。
A: キティで始りキティで終わる。リブの粗末なスープの食事で始りノーサンバーバラ号の豪華な食事で終わる。ラテンアメリカ映画の特徴、円環的と移動がここでも採用された。
勇気、愛、そして誰が子供を守るか?
B: 原作者エマ・ドナヒュー(ダブリン1969、アイルランドとカナダ国籍)によると、全くのフィクションだが、「断食少女」は実際に存在した。アイルランドだけでなく16世紀から20世紀にかけてヨーロッパ、カナダを含む北米に数多く記録が残っている。
A: 作家は文芸史家でもあり、時間をかけて調べたということです。特に「19世紀半ばから、苦行の行為としての中世の聖人や現代の拒食症とも異なる事例が増加した。事例は10代の少女に限られた。アイルランドに設定したのは、1840年代からのジャガイモ大飢饉があったこと、そこが生れ故郷だからということもあったとインタビューに答えていた。

(原作者エマ・ドナヒュー)
B: ダーウィンの出現がカトリック信仰への疑いを引き起こした。奇跡と拒食症の分岐点は微妙で、飢饉で食べるものに事欠くと、口減らしのための緩慢な子供殺害が起きた。
A: 餓死をただ待つのではなく、奇跡と称して金儲けの詐欺、地域を巻き込む集団ヒステリーが起きてもおかしくない。本作で看護師をイギリス人にしたのは、現在でも見られる村社会の外国人嫌悪、村人の信仰に対する傲慢さを描きたかったのではないか。同じキリスト教でもイギリスは英国国教会、アイルランドはローマ・カトリック教という違いも浮き彫りにした。
B: 現在のように経済が破綻してもイギリス人がもち続ける優越感は、他国には理解しずらい(笑)。
A: ドナヒューの ”Room”(10)は『ルーム』として映画化され、アカデミー外国語映画賞の最終候補に残った。似てないように見えるが究極的には勇気、愛、そして誰が子供を守るかが語られており、同じテーマに行き着く。
B: レリオ監督は6作以降英語映画が続いています。スペイン語映画紹介ブログとしては枠外の作品ですが、気になる監督です。
A: 長編映画としては最初のオスカー像をチリにもたらした。『ナチュラルウーマン』が受賞したとき、アルゼンチンのマスコミによって「アルゼンチンの監督」と報じられた。しかし監督は「私はアルゼンチンにはよく出かけますが、アルゼンチン人ではありません」と訂正させた。
B: デビュー作の『聖家族』は実父のレリオでなく養父のカンポスを採用した。それで『グロリア』の監督が同一人物とは思わなかった。
A: 作風も違ったし「ラテンビート2013」のカタログの紹介記事で繋がりましたがレリオでなくレイロでした(笑)。チリ映画の認知度はこの程度だった。さて次回作はアメリカ映画の「Bride」(23予定)でまたもや英語です。キャストにスカーレット・ヨハンソンがクレジットされている。早くチリに戻ってきてください。

(左から、ニアフ・アルガー、エレイン・キャシディ、トビー・ジョーンズ、キラ・ロード、
監督、フローレンス・ピュー、ジョシー・ウォーカー、BFI ロンドン映画祭2022にて)
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