ゴヤ賞栄誉賞にマリサ・パレデス*ゴヤ賞2018 ④2018年01月18日 20:36

              「栄誉賞」が初めてのゴヤ賞受賞にびっくり!

 

★栄誉賞受賞の理由は「数多の長年のキャリアと信望・・・・スペインのみならずリスクのともなう海外の映画出演でも競い合い、その無条件の力強さを維持している」からだそうです。受賞の知らせは既にアップしていますが、改めて長い芸歴を纏めてみました。まず驚いたのは、これまでゴヤ賞には全く縁がなかったということでした。1987年にゴヤ賞が始まったころに、女優としてのピークが過ぎていたわけでもないのに逃しており、その長いキャリアとその存在感は皆が認めていたのにです。パレデス本人も「私と同じように幸運に恵まれない人々がたくさんいる」と語ったようです。

     

  

マリサ・パレデスMarisa Paredes194643日マドリード生れの71歳、映画・舞台・TV女優。スペイン、ほかフランス、イタリアでも活躍。ゴヤ賞には縁がなかったが、シネアストの最高賞と言われる映画国民賞(第11980年受賞者カルロス・サウラ)を1996年受賞、2007年芸術文化分野で功績を残した人物にスペイン文化省が与える金のメダル賞Medalla de Oro al Merito en las Bellas Artes)受賞、サンセバスチャン映画祭につぐ老舗映画祭、第62バジャドリード映画祭2017麦の穂栄誉賞を受賞したばかりである。ゴヤ賞以外の女優賞は多数あるが、なかで『私の秘密の花』カルロヴィ・ヴァリー映画祭1996El dios de maderaマラガ映画祭2010、各女優賞、シチリア島のタオルミーナ映画祭2003タオルミーナ芸術賞を受賞している。2000年から2003年までスペイン科学映画アカデミー会長を務めた。少女時代から女優を目指し、音楽学校、マドリードの演劇芸術学校で演技を学んだ。

 

     

      (麦の穂栄誉賞を手に、バジャドリード映画祭2017授賞式にて)

 

1960年当時14歳だったパレデスは子役として、ホセ・マリア・フォルケの091 Policía al hablaで映画デビューしているが、クレジットされていない。翌年コンチータ・モンテス劇団のホセ・ロペス・ルビオの戯曲Esta noche tampocoで初舞台を踏む。以来現在まで二足の草鞋を履いている。6070年代は、概ねその他大勢の脇役、コメディが多かった。フランコ体制当時は、厳しい検閲逃れのコメディが多く製作された。1965年フェルナンド・フェルナン=ゴメス監督・主演のEl mundo sigueでお手伝い役を演じたほか、ハイメ・デ・アルミニャンのコメディCarola de día, Carola de noche69)、アントニオ・イサシ=イサスメンディのEl perro76)に出演している。

 

  

(左、主演のリナ・カナレハス、右マリサ・パレデス、「El mundo sigueから)

 

★フランコ体制が崩壊(1975)、民主主義移行期を経た1980年、フェルナンド・トゥルエバのÓpera primaやエミリオ・マルティネス=ラサロのSus años doradosに出演、1983年アルモドバルの第3作目『バチ当たり修道院の最期』(原題Entre tinieblas仮題「闇の中で」)に尼僧役で出演、カルメン・マウラのように通称「アルモドバルの女性たち」の仲間入りをした。監督もバスの乗客として出演している。1987年ホセ・サクリスタン監督・主演のCara de acelgaで初めてゴヤ賞助演女優賞にノミネートされた。

 

     

    (尼僧に扮したパレデス、『バチ当たり修道院の最期』から

 

1990年代にはアルモドバルの成功作に出演している。例えば『ハイヒール』91)、『私の秘密の花』96ゴヤ賞主演女優賞ノミネート)、『オール・アバウト・マイ・マザー』99)であるが、ゴヤ賞は素通りされた。『ハイヒール』の年は、ビセンテ・アランダの『アマンテス/ 愛人』のビクトリア・アブリルマリベル・ベルドゥの二人、バジョ・ウジョアの「Alas de mariposa」(仮題「蝶の羽」)のシルビア・ムント3人がノミネートされ(1998年まで3名)、受賞者は後者だった。次はアグスティン・ディアス・ヤネスの『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』のビクトリア・アブリルの前に敗れたが、アブリルの受賞は個人的に納得でした。オスカー賞まで取った『オール・アバウト・マイ・マザー』では、該当する助演女優賞に相手役のカンデラ・ペーニャがノミネートされた。作品の重要性からいってパレデスがノミネートされて然るべきだったと思います。結果はベニト・サンブラノの『ローサのぬくもり』のマリア・ガリアナが受賞した。

   

      

 (娘役ビクトリア・アブリル、アルモドバル、母親役パレデス、『ハイヒール』から)

 

   

 (壊れた夫婦を演じたパレデスとイマノル・アリアス、『私の秘密の花』から

    

      

(付き人役のカンデラ・ペーニャとパレデス、『オール・アバウト・マイ・マザー』

 

★パレデス本人が言うように「運に恵まれなかった」感が否めない。この90年代は海外での出演も多く、例えば、イスラエルのアモス・ギタイの『ゴーレム さまよえる魂』92)、スイスのダニエル・シュミットの自伝的映画『季節のはざまで』92、仏・スイス・独、独語)、フィリップ・リオレの『パリ空港の人々』93、仏・西、仏語)、特にメキシコのアルトゥーロ・リプスタインの『真紅の愛』96、メキシコ・仏・西、西語)では、パレデス本人は賞に絡みませんでしたが、アリエル賞以下ハバナ映画祭でも多数受賞した話題作でした。またガルシア・マルケスの同名小説の映画化『大佐に手紙は来ない』99)では、老大佐の妻を演じた。イタリア映画では、ロベルト・ベニーニ監督・主演の『ライフ・イズ・ビューティフル』97)出演も忘れがたい1作、ユダヤ系イタリア人グイドの妻ドーラの母親に扮した。

 

      

    (白髪にして老妻を演じたマリサ・パレデス、『大佐に手紙は来ない』から)

 

2001年、ギレルモ・デル・トロがアルモドバルに招かれスペイン内戦をテーマに撮った戦争ホラー・サスペンス『デビルス・バックボーン』に出演、エドゥアルド・ノリエガやフェデリコ・ルッピが共演した。批評家からは高い評価を得られたものも興行的には成功しなかった。その後は、ベダ・ドカンポ・フェイホーのAmores locos09)でエドゥアルド・フェルナンデスと共演、アルモドバルの『私が、生きる肌』11)ではスペインに戻ってきたアントニオ・バンデラスと共演、ポルトガルのバレリア・サルミエントの『皇帝と公爵』12)ではジョン・マルコヴィッチと共演した。最新作はハイメ・ロサーレスのPetra18)、主役のペトラにバルバラ・レニー他、アレックス・ブレンデミュール、ベテラン演技派ペトラ・マルティネスとの共演である。

 

      

   (右脚を失い義足の役柄に挑んだパレデス、『デビルス・バックボーン』から

 

★私生活ではEl perro」の監督イサシ=イサスメンディと結婚、1975年に生まれた娘マリア・イサシも女優。現在の夫ホセ・マリア・プラド<チェマ>1952年、ルゴ生れ)とは1983年に結婚、現在に至っている。スペイン・フィルモテカ(フィルム・ライブラリー)のディレクターを長年務めており、国内の映画祭のみならず、世界の映画祭、カンヌ、ベネチア、ロカルノ、サンダンス、グアダラハラ、ロッテルダムなどに出向いている。イベロアメリカ・フェニックス賞のディレクター、またフォト・アーティストでもある。

 

(ツーショット)

  

(チェマ・プラド)