混戦模様のドキュメンタリー部門*ゴヤ賞2018 ③2018年01月13日 21:08

               作品賞よりお茶の間を沸かすドキュメンタリー部門

 

     

★本来なら作品賞部門の行方が気になるはずだが、今回はこれと言って特別応援する映画がない。面白そうなのが長編ドキュメンタリー部門である。カルロス・サウラの人生を7人の子供たちに語らせたSaura(s)は以前に紹介済みだが、今お茶の間の話題をさらっているのが、俳優グスタボ・サルメロンが実母フリータの生き方を、14年に亘って撮り続けた初監督作品Muchos hijos, un mono y un castillo(「Lot of Kids, a Monkey and a Castle」)ではないでしょうか。昨年1215日の公開以来、フリータと家族はテレビのショータイム番組に引っ張り凧、このエキセントリックな一族(写真下)が、相変わらず高い失業率にあえぐお茶の間を元気づけている。批評家の評価もおしなべて高くSaura(s)」を超えるのは間違いなさそう。何が魅力なのでしょう?

 

    

  (全員集合、前列は孫たち、中央が両親、背後に控える監督以下子供たちの家族)

 

 Muchos hijos, un mono y un castillo(「Lot of Kids, a Monkey and a Castle」)2017

製作:Sueños Despiertos / Caramel Films(配給)

監督・撮影・プロデューサー:グスタボ・サルメロン

脚本(共):グスタボ・サルメロン、ラウル・デ・トーレス、ベアトリス・モンタニェス

編集:ラウル・デ・トーレス

音楽:ナチョ・マストレッタ

美術:マヌエル・エスラバ・フェハルド

録音:アブラハム・フェルナンデス、ペラヨ・グティエレス、アナ・ベレン・マルティン

 

データ:スペイン、スペイン語、2017年、ドキュメンタリー、90分、カルロヴィ・ヴァリ映画祭201776日)でワールドプレミア、ベスト・ドキュメンタリー賞受賞、トロント映画祭(9月)出品、カムデン映画祭(米ニュージャージー州)ハレルHarrell賞受賞、サンセバスチャン映画祭サバルテギ部門出品、ハンプトン映画祭ゴールデン・スターフィッシュ賞受賞、他チューリッヒ、ロンドン、ストックホルム、マル・デル・プラタ、各映画祭出品。マドリード限定プレミア1212日、一般公開1215日。間もなく開催される2018年ゴヤ賞(ドキュメンタリー部門)、フォルケ賞(同部門)、フェロス賞(コメディ部門)などにノミネートされている。

 

     

     (トロフィーを手に、家族全員が呼ばれたカルロヴィ・ヴァリ映画祭の授賞式)  

 

出演者:グスタボ・サルメロン(監督)、フリア・サルメロン(母親フリータ)、アントニオ・ガルシア(父親)、他ガルシア・サルメロン一家

 

プロット:フリータは三つの夢を叶えることができた。それはたくさんの子供に恵まれること、モンキーを飼うこと、城に住むことの三つだった。しかし世界を震撼させた2008年の経済危機に見舞われ、目下一家は苦境に立たされている。この堂々たる城を維持していくだけのお金がないのだ・・・グスタボ・サルメロンが俳優の仕事をしながら14年間に亘って、突飛で優しさあふれた思索家でもある母親を主人公に、エキセントリックな一族を撮り続けた、ちょっと物悲しいコメディ。

 

    「私の母はスペインのジーナ・ローランズ、太めのメリル・ストリープ」と監督

 

★「なんて素晴らしい母親なんだろう! 記録しておかなくちゃ」というわけで20033月に撮影が開始された。監督によると、「14年間格闘してきた。1日として撮影しなかった日はなかった。大プリニウスの教え『1本の線を引かない日は1日もない』をモットーとしていたからだ」と。これは古代ローマの博物学者大プリニウスが、古代ギリシャの画家アペレスの不断の努力を讃えた言葉である。「出演者、つまり私の家族と私、私と私の家族の甘酸っぱい、匙加減をしない、ありのままの姿を明らかにすることだった」とも。「へこんだり、うんざりしたり、途方にくれたりしたが、とにかく14年間謙虚に作業をした」と語っています。本格的にドキュメンタリーにまとめようとしたのは後のことだったようです。

 

  

(スペイン家庭の定番朝食、ビスケットをオーレにひたしながら食べるフリータを撮る監督)

 

★中流家庭のガルシア・サルメロン家は、常に混沌としていたが子供たちには創造力と自由が許される環境に包まれていた。6人兄姉の末っ子グスタボが学齢に達しても、誰も学校に行かせようとは考えなかった。子供たちの長所を見つけて過度に励ましてくれるコツを心得ていた。「私たち兄弟はサルと一緒に育った。80年代にサルを家で飼うことなど全く無責任なことでした。母は80歳でも少女のようでした」と。子供たちのなかには将来、工業デザイナーになった兄、幼稚園の園長になった姉がいる。一家は城を買い入れ、やがて鎧や絵画、動物たちが溢れだしてきた。フリア・サルメロンはいわゆるディオゲネス症候群(ため込み症候群)の持ち主だった。自由奔放すぎる女性のようです。

 

 (家で飼っていたサル)

      

2004年の9月、「ねえ私、祖母の脊椎骨を持ってるのよ」と母フリータはのたまう。―「何だって、いい加減なこと言って」と監督。「ほんとよ、私の祖母の」―「ちょっと待ってくれ、ぼくの曾祖母のかい?」―頭が真っ白になった監督「どこにあるんだい?」―「どこかにあるはずよ」。つまり場所が分からなくなっていた。俄然見たくなった監督、本当にあるなら見つけて埋葬してやりたかった。すぐさま脊椎骨探しが始まった。この曾祖母は1936年スペイン内戦のさなかに姪とともに殺害されたということだった。本格的にドキュメンタリーにしようと決心した瞬間だったようです。だから最初のタイトルは「En busca de la vértebra perdida」(仮訳「失われた脊椎骨を探して」)だった。監督にとってこの脊椎骨探しはスペイン探しでもあったからである。

 

    

   (絵画や動物に囲まれた、かなり太めのスペインのメリル・ストリープ

 

★撮影開始10年目を迎えた20123月、母親がどんな状況でもカメラを回しつけたが、どこか具合が悪いのか元気がなく、「ねえグスタボ、私たちを撮ることで俳優の仕事ができないのじゃないの」とフリータ、いつもは強がりの父親も、「私たちはもう役立たずの二人の年寄りなんだよ」。カメラを取りに急いで書斎に入り、これは心理学者に相談しに行かねばと決心する。2008年のリーマンショックが一家を追い詰めつつあったようで、結局2014年、銀行の負債が返済できなくなり城を手放した。いいことばかりじゃなかった。城は失ったが代わりに映画が完成して大成功をおさめたのだから。 

          

         (フリータ最愛の夫「忍耐の天才」アントニオ・ガルシア)

 

         「自由についてのレッスン」とエルビラ・リンド

 

★トータルで撮影に14年間、最後の2年間はカメラを回しながら同時に編集作業をした。脚本はとても難しく、二人のプロフェッショナル、ベアトリス・モンタニェスラウル・デ・トーレスの協力を仰いだ。400時間を88分に編集してくれたのもラウル・デ・トーレスだった。別の人の視点が必要だったし、とても勉強になったと語っている。本作は個人史ではあるが「

  

  

             (脚本家ベアトリス・モンタニェスと監督)

 

★各紙の批評家がこぞって「この並外れて素晴らしい女性に観客は夢中になるだろう」とエールを送っています。『メガネのマノリート』の作者エルビラ・リンドの批評を要約すると、「どうして映画館がいっぱいになるのか? それは素晴らしい本物の女性に会えるからだ。このドキュメンタリーは自由についてのレッスンであり、傷つけあわずに共に生きることを知っている一家に会える純粋なコメディだからです」と述べています。マドリード限定のプレミア上映には、アルモドバルを筆頭に、サンティアゴ・セグラフェルナンド・コロモフアンマ・バホ・ウジョアの監督たち、カルロス・アレセスエレナ・アナヤナタリエ・ポサなど大勢の俳優たちが応援に馳せつけた。間もなく発表になるフォルケ賞が受賞ならゴヤ賞が射程にはいってくる。

 

   

 (鎧と脊椎骨を両側にセットした椅子に座る両親と監督、マドリードの映画館カジャオにて)

 

★グスタボ・サルメロンは、1970年マドリード生れの47歳、俳優、監督、脚本家、製作者。俳優としてのキャリアは、1993年フリオ・メデムの『赤いリス』でデビュー、2001年短編Desaliñadaで監督デビュー、翌年のゴヤ賞2002短編映画賞を受賞している。詳しい紹介は受賞したら特集いたします。

 

                

               (俳優グスタボ・サルメロン)