米アカデミー新会員に招待されたイベロアメリカのシネアスト2017年07月03日 11:09

 

        新会員候補者774人のなかで断るシネアストは何人くらい?

 

★ホワイト男性の牙城ハリウッドも国内外からの批判を浴びて、重い腰を上げたということでしょうか。2016年「♯OscarsSoWhite」の政治的キャンペーン以来、従来のアカデミー会員規則の変更を迫られた。会員の92%以上が白人男性で平均年齢が62歳という具体的な数字を挙げられてみれば、これはやはり異常な「老人クラブ」だと今更ながら驚きます。シェリル・ブーン・アイザック会長によれば、昨年は683人、今年は59か国774人に招待状を送ったということです。新会員のうち非白人が30%、女性が39%、一番若い会員はエル・ファニングの19歳、これで少しは平均年齢が下がるでしょうか(笑)。勿論会員になりたくなければ招待を断ってもいいわけですが、世界で最も選り抜きの映画クラブですから損得を計算する必要がありそうです。90年前に設立者293人で始まった米アカデミーの会員は、約7500を数える大所帯になったわけです(アカデミーはこれまでも正確な構成員数は明らかにしていない)。

 

★日本からも三池崇史監督、真田広之、昨年母親になった菊地凛子など、米国で比較的認知度のある人の名前が報道されていましたが、スペイン、ラテンアメリカ諸国でも同じ傾向のようです。スペイン映画出演では、エレナ・アナヤパス・ベガヴィゴ・モーテンセンダニエル・ブリュールエドガー・ラミレス、ロドリゴ・サントロなどの俳優、当ブログ未紹介のロドリゴ・サントロはブラジルで絶大な人気を誇る大スター、ウォルター・サレスの『ビハインド・ザ・サン』、エクトル・バベンコの『カランジル』や最近ではパトリシア・リヘンの『チリ33人の希望の軌跡』ほか、米国映画にも多く出演している。

 

(エレナ・アナヤ)

  

 

★撮影監督では、ホセ・ルイス・アルカイネアフォンソ・ベアトキコ・デ・ラ・リカエルネスト・パルドなど。アフォンソ・ベアトは、ブラジル出身ですがアルモドバルの『ライブ・フレッシュ』や『オール・アバウト・マイ・マザー』を手掛けている。メキシコのエルネスト・パルドは主にドキュメンタリーを撮っている撮影監督、最近ではタティアナ・ウエソの "Tempestad" でフェニックス賞ドキュメンタリー部門の撮影賞を受賞、これから発表になるアリエル賞2017でもノミネートされています。

 

(エルネスト・パルド)

 

 

★監督では、アドルフォ・アリスタラインパトリシア・カルドソアレハンドロ・ホドロフスキーエクトル・オリベラアルトゥーロ・リプスタインパブロ・トラペロなど、当ブログに登場してもらった名前を挙げておきます。アドルフォ・アリスタライン2003年にスペイン国籍を取得、アルゼンチンとの二重国籍です。サンセバスチャン映画祭やゴヤ賞のノミネーションでよく目にする監督、オスカーでは1992年のUn lugar en el mundo が最終候補に選ばれた。2004年の『ローマ』がラテンビートで上映されている。アルトゥーロ・リプスタインはメキシコ出身だが、アリスタライン同様2003年にスペイン国籍をとり、現在は夫人で脚本家のパス・アリシア・ガルシア・ディエゴとサンセバスチャン在住。『真紅の愛』(96)や『大佐に手紙は来ない』(99)などが公開されている。友人でもあったルイス・ブニュエルの後継者と言われている。

 

   

     (アルトゥーロ・リプスタインと夫人パス・アリシア・ガルシア・ディエゴ)

 

パトリシア・カルドソも当ブログ未紹介の監督(日本表記はカルドーゾ)、コロンビアのボゴタ出身だが、1987年米国に移住している。2002年のサンダンス映画祭で Real Women Have Curves が観客賞・審査員賞を受賞しており、2010年の Lies in Plain Sight が『見えない真実』という邦題で紹介されているようだが未見です。米国での活躍が選定の一つになっている。

 

               メキシコはハリウッドを目指す?

 

★メキシコは隣国ということもあって、上記のアルトゥーロ・リプスタイン、エルネスト・パルドを含めて6人が招待を受けました。メキシコはますますハリウッドを目指すのでしょうか。ほかの4人は、『エリ』のアマ・エスカランテ監督、カナナ・フィルムの中心的プロデューサー、『選ばれし少女たち』や『ミス・バラ』を企画したパブロ・クルスベルタ・ナバロ(日本表記はバーサ・ナヴァッロ)、デル・トロのホラー『クロノス』(93)、『デビルズ・バックボーン』(01)、続いて『パンズ・ラビリンス』などをプロデュースしている。監督・脚本家のナタリア・アルマダは、第40代メキシコ大統領プルタルコ・エリアスの曽孫、ドキュメンタリー作家としてスタートした。代表作は、Al otro lado05)、曾祖父の足跡をたどったEl general09)、El Velador11)など。最新作の初フィクションTodo lo demas16)が高評価、ヒロインのアドリアナ・バラッサがアリエル賞女優賞にノミネートされている。2012年にマッカーサー奨学資金を受けている。メキシコの6人は既に招待受諾の意思を表明している。

 

(アマ・エスカランテ)

 

              

  (パブロ・クルス)

 

 (ベルタ・ナバロ)

          

 

(ナタリア・アルマダ)

           

 

★昨年既に招待されている監督に、カルロス・レイガダスカルロス・カレラパトリシア・リヘンがいる。ブニュエルの『ビリディアナ』や『皆殺しの天使』で知られるシルビア・ピナル1931)は、まだテレドラに出演している現役だが投票の権利を行使しないと表明している。いずれにしてもシネマニアには大して関係ないことですから、ここいらへんで。


パブロ・ベルヘルの新作コメディ「アブラカダブラ」*いよいよ今夏公開2017年07月05日 18:37

           大分待たされましたが84日スペイン公開が決定

 

   

『ブランカニエベス』の成功で国際的にも知名度を上げたパブロ・ベルヘルの第3Abracadabra がいよいよ公開されることになりました(84日)。どうやら9月開催のサンセバスチャン映画祭を待たないようです。昨年の初夏にクランクイン以来、なかなかニュースが入ってきませんでしたが、YouTubeに予告編もアップされ笑ってもらえる仕上りです。モノクロ・サイレントの前作は、2012年のトロント映画祭を皮切りにサンセバスチャン、モントリオール、USAスパニッシュ・シネマ、ロンドン・・・と瞬く間に世界の各映画祭を駆け抜けました。サンセバスチャン映画祭では金貝賞こそ逃しましたが、審査員特別賞他を受賞、翌年のゴヤ賞は作品賞の大賞以下10冠を制覇、米アカデミーのスペイン代表作品、アリエル賞などなど受賞歴は枚挙に暇がありません。ということで2013年、はるばる日本にまでやってきてラテンビート上映後、公開に漕ぎつけたのでした。新作は果たして柳の下の二匹目のドジョウとなるのでしょうか。

 

 Abracadabra  2017

製作:Arcadia Motion Pictures / Atresmedia Cine / Persefone Films / Pegaso Pictures / Movistar +  Noodles Production(仏)/ Films Distribution(仏)

監督・脚本・音楽:パブロ・ベルヘル

撮影:キコ・デ・ラ・リカ

音楽:アルフォンソ・デ・ビラジョンガ

編集:ダビ・ガリャルト

衣装デザイン:パコ・デルガド

美術:アンナ・プジョル・Tauler

プロダクション・デザイン:アライン・バイネエAlain Bainee

キャスティング:ロサ・エステベス

メイクアップ&ヘアー:Sylvie Imbert(メイク)、ノエ・モンテス、パコ・ロドリゲス(ヘアー)他

製作者:サンドラ・タピア(エグゼクティブ)、イボン・コルメンサナ、イグナシ・エスタペ、アンヘル・ドゥランデス、ジェローム・ビダル、他

 

データ:スペイン=フランス、スペイン語、2017年、ブラック・コメディ、ファンタジー、サスペンス、カラー。公開:スペイン84日、フランス111日、配給ソニー・ピクチャー

 

キャスト:マリベル・ベルドゥ(カルメン)、アントニオ・デ・ラ・トーレ(カルロス)、ホセ・モタ(カルメンの従兄ペペ)、ジョセップ・マリア・ポウ(ドクター・フメッティ)、キム・グティエレス(ティト)、プリスシリャ・デルガド(トニィ)、ラモン・バレア(タクシー運転手)、サトゥルニノ・ガルシア(マリアノ)、ハビビ(アグスティン)、フリアン・ビジャグラン(ペドロ・ルイス)他

 

プロット:ベテラン主婦のカルメンとクレーン操縦士のカルロス夫婦は、マドリードの下町カラバンチェルで暮らしている。カルロスときたら寝ても覚めても「レアル・マドリード」一筋だ。そんな平凡な日常が姪の結婚式の当日一変する。カルロスが結婚式をぶち壊そうとしたので、アマチュアの催眠術師であるカルメンの従兄ペペが仕返しとして、疑り深いカルロスに催眠術をかけてしまった。翌朝、カルメンは目覚めるなり夫の異変に気付くことになる。霊が乗り移って自分をコントロールできないカルロス、事態は悪いほうへ向かっているようだ。そこで彼を回復させるための超現実主義でハチャメチャな研究が始まった。一方カルメンは、奇妙なことにこの「新」夫もまんざら悪くないなと感じ始めていた。果たしてカルロスは元の夫に戻れるのか、カルメンの愛は回復できるのだろうか。

 

        

             (カルメンとカルロスの夫婦、映画から)

 

★大体こんなお話のようなのだが、監督によれば「新作は『ブランカニエベス』の技術関係のスタッフは変えずに、前作とは全くテイストの違った映画を作ろうと思いました。しかし、二つは違っていても姉妹関係にあるのです。私の全ての映画に言えることですが、中心となる構成要素、エモーション、ユーモア、驚きは共有しているのです」ということです。キコ・デ・ラ・リカパコ・デルガドアルフォンソ・デ・ビラジョンガなどは同じスタッフ、キャストもマリベル・ベルドゥジョセップ・マリア・ポウラモン・バレアなどのベテラン起用は変わらない。『SPY TIMEスパイ・タイム』のイケメンキム・グティエレスの立ち位置がよく分からないが、カルロスに乗りうつった悪霊のようです。監督はそれ以上明らかにしたくないらしい。コッポラの『地獄の黙示録』のカーツ大佐が手引きになると言われても、これでは全く分かりませんが「映画館に足を運んで確かめてください」だと。若手のプリスシリャ・デルガドは、アルモドバルの『ジュリエッタ』でエンマ・スアレスの娘を演じていた女優。

 

  

       (撮影中の左から、ホセ・モタ、マリベル・ベルドゥ、ベルヘル監督)

 

★マリベル・ベルドゥ以下三人の主演者、アントニオ・デ・ラ・トーレ、ホセ・モタの紹介は以下にアップしています。アントニオ・デ・ラ・トーレは、マヌエル・マルティン・クエンカの『カニバル』やラウル・アレバロのデビュー作『物静かな男の復讐』で見せた内省的な暗い人格、デ・ラ・イグレシアの『気狂いピエロの決闘』の屈折した暴力男とは全く異なるコミカルな男を演じている。多分ダニエル・サンチェス・アレバロのコメディ『デブたち』のノリのようだ。どんな役でもこなせるカメレオン役者だが、それが難でもあろうか。デ・ラ・イグレシアの『刺さった男』のホセ・モタについては、「アブラカダブラ」で紹介しております。

 

         

               (ペペ役のホセ・モタ、映画から)

 

「アブラカダブラ」の監督以下スタッフ&キャスト紹介は、コチラ2016529

マリベル・ベルドゥの紹介記事は、コチラ2015824

アントニオ・デ・ラ・トーレの紹介記事は、コチラ201398


元気印のバルセロナの女性監督たち*カルラ・シモン、ロセル・アギラル・・・2017年07月10日 15:53

     カタルーニャに押しよせる魅惑的な新しい波―独立プロダクションの活躍

 

★どこの国にも当てはまるのが女性監督の圧倒的な少なさです。特にヨーロッパでも東欧では格差が顕著です。しかしカタルーニャではいささか様子が違うようです。というのも独立系プロダクションで映画作りをしている女性監督の活躍が目覚ましいのです。最近1か月間にカルラ・シモン1986)のVerano, 1993ロセル・アギラル1971)のBravaエレナ・マルティン1992)のJúlia ist の新作が次々に公開されることになり話題を呼んでいます。3人ともバルセロナ出身、先月末バルセロナのバルセロ・サンツ・ホテルで行われた鼎談の様子をエル・パイス紙が報じていました。この背景にはESCACで映画を学んでいる女性が40%を超えているという現実を見逃すわけにいきません。

  

  

(左から、カルラ・シモン、ロセル・アギラル、エレナ・マルティン、バルセロ・サンツにて)

 

ESCAC : Escuela Superior de Cinema i Audiovisuals de Catalunya カタルーニャ・シネマ・オーディオビジュアル高等学校。1993年バルセロナ大学の付属校としてバルセロナで設立、翌年開校した。現在は同州のタラサTarrasa(テラッサTerrassa)にあり、現校長はSergi Casamitjanaである。同校の卒業生には、当ブログでもお馴染みのフアン・アントニオ・バヨナ(『怪物はささやく』17)、キケ・マイジョ(『ザ・レイジ 果てしなき怒り』15)、マル・コル(『家族との3日間』09)、ハビエル・ルイス・カルデラレティシア・ドレラなどバルセロナ派の優れた監督を輩出している。

 

★同じバルセロナで仕事をしているが、シモンとアギラルは初顔合わせだった。それは年齢差の他に、映画を学んだ出身校の違いもありそうです。例えばシモンはバルセロナ自治大学オーディオビジュアル・コミュニケーション科を卒業後、映画はロンドン・フィルム・スクールで4年間学んでいる。アギラルがバルセロナ自治大学でジャーナリズムを学んでいるときは、ESCACはまだ設立前だった。マルティンはバルセロナのポンペウ・ファブラ大学(1990設立)を卒業、この公立大学で学ぶ女子学生数は74%に達しており、スペイン全体では51%と男子学生を逆転してしまっている。女性シネアストの活躍にはこのような裾野の広がりがあるようです。

 

      「ロンドンでの4年間が私を映画作りに駆り立てた」とカルラ・シモン

 

カルラ・シモン(バルセロナ1986)の監督、脚本家。Verano 1993(カタルーニャ語題 Estiu 1993)でデビュー、ベルリン映画祭2017ジェネレーション部門の第1回作品賞・国際審査員賞、マラガ映画祭2017では作品賞「金のビスナガ」とドゥニア・アジャソ賞を受賞した。この賞はガン闘病の末に2014年鬼籍入りしたドゥニア・アジャソ監督の功績を讃えて設けられた賞。第7回バルセロナD'Autor映画祭正式出品。他にブエノスアイレス・インディペンデント映画祭監督賞、イスタンブール映画祭審査員特別賞などを受賞している。選考母体が欧州議会の第11回ラックス賞のオフィシャル・セレクション10本にも選ばれています。プロットは紹介記事を読んでもらうとして、「両親がエイズで亡くなったため叔父さん夫婦と従妹と一緒に暮らさねばならなくなった6歳の少女の一夏の物語」です。観客にも批評家にも好感度バツグン、両方に評価されるのは、易しそうでいてなかなか難しいものです。主役の少女フリーダは監督自身に重なります。つまり監督のビオグラフィーがもとになっていて、6歳にしてはちょっとおませな少女像です。

 

       

      (養父を演じたダビ・ベルダゲルとフリーダ役のライア・アルティガス)

 

★ロンドンでの4年間が私を映画作りに駆り立てた。というのもロンドン時代に「内に抱いている、心を動かされる物語を語りたいと強く突き動かされた」からです。バルセロナに評判の高い独立プロダクションが本当に存在するかどうか具体的に答えるのは難しいが、「カタルーニャの女性監督の数がここにきて急に増えたことは確かなことです。要するにカギはこうしたいという意思表示や本当にやる気があるかどうかです。とても小さい世界ですから、お互いに刺激やエネルギーのやり取りがしやすい。ロンドンでは誰とも親しくしなかった。マル・コル監督やプロデューサーのバレリエ・デルピエレと交流し、結果彼女がプロモートしてくれた」。バレリエ・デルピエレは本作のエグゼクティブ・プロデューサーの一人です。 本作を支えてくれたスタッフの80%が女性だったことも明かしていた。  

 

        

          (ライア・アルティガスに演技指導をするシモン監督)

 

 Estiu 1993 とカルラ・シモンの紹介記事は、コチラ2017222327

 

     「マドリードよりバルセロナのほうが自由がある」とロセル・アギラル

 

ロセル・アギラル(バルセロナ1971)の監督、脚本家。Brava2017)は第2作、3人のうち一番年長のロセル・アギラルの Brava は、マラガ映画祭の記事で作品と監督のキャリアを紹介しております。新人とは言えませんが、国際的にも高い評価を受けたデビュー作 La mejor de mí 2007年と10年前になり、女性監督のおかれた地位の険しさを改めて感じさせられます。「第2作をクランクインさせるまで長くて曲がりくねった道を辿りましたが、撮りたい映画を作れるわけではありません。胎児を引っ張り出す助けをする助産婦さんのようなものです」と生みの苦しみをのぞかせた。それでも「マドリードは産業的だが、反対にバルセロナの独立プロダクションはより自由に伸び伸びと作らせてくれる」とカタルーニャのindieの柔軟さを語っていた。

 

  

         (ヒロインのライア・マルルを配したポスター)

 

★「20年前には、フェミニズムや男女平等について語ることは恥で、それは映画でさえ僅かでした。今日でも相変わらず男尊女卑が大手を振るっていますから、声を張り上げなければなりません」と。ESCAC内には「観客を置き去りにしない多くの独立プロダクションがあって、決まりきった事柄を回避する良い方法が得られます」とも。「私たちが望むのは現在の不均衡を是正して欲しいだけです。というのも私たちは男性が作るあまりに単純化された一方向性の世界観に馴らされてしまっているからです」と警鐘を鳴らしておりました。

 

 

             (ロセル・アギラル監督)

 

Brava とロセル・アギラルの紹介記事は、コチラ2017311

 

     「映画史は学ばなかった。学んだのは男性映画史だった」とエレナ・マルティン

 

エレナ・マルティン(バルセロナ1992Júlia ist2017)はデビュー作、マラガ映画祭2017ZonaZine部門の作品賞、監督賞を受賞している他、第7回バルセロナD'Autor映画祭に正式出品された。自ら主役ジュリア(フリア)を演じた自作自演のデビュー作。新世代の代表的監督の一人、映画と舞台、監督と女優と二足の草鞋を履いている。バルセロナのポンペウ・ファブラ大学UPFの学生時代に仲間4人と共同監督したLas amigas de Agata(15)でも主役のアガタに扮した。本作は「ポンペウ・ファブラ大学の最終学年に閃いた作品、公立大学のUPFにはESCACのような制作会社がないので常に資金不足、コストを下げるために、およそ持てるもの全てにについて議論し励ましあい、グループで作っている」とマルティン。彼女の仲間たちにとって「アメリカ映画、例えば『今日、キミに会えたら』(Like Crazy2011)を見ることはヒントになった。なぜなら若人たちの会話とか状況が似通っていたからです」と語っている。まだ経験不足でバルセロナの映画産業について語る立場にないが、「大学では映画史は学ばなかった。学んだのは男性映画史だった。コンペティションも男性優位、女性が作る映画は取るに足りないと遠ざけられる」とも語っている。

 

    

          (ヒロインのエレナ・マルティンを配したポスター

 

★当ブログ初登場作品、脚本はエレナ・マルティン、ポル・レバケマルタ・クルアニャスマリア・カステリビの共同執筆、撮影はポル・レバケ。キャストはエレナ・マルティン、オリオル・プイグラウラWeissmahrほか、90分、スペイン公開616日。プロット「ジュリアはバルセロナ建築大学の学生、深く考えたわけではないがベルリンにエラスムスに行こうと決心する。初めて家を離れるのも冒険なのだ。ところがベルリンでは、どんよりとして冷たい想像を超えた凍てつくような寒気という手痛い歓迎を受けてしまった。期待と現実の落差に立ち向かうことになるが、どう見ても新しい人生はバルセロナで考えていたようなものとはかけ離れ過ぎていた」。エラスムスに行くというのはEU域内を対象にした留学奨励制度を指していると思うが、あるいは世界各国に対象を広げたエラスムス・ムンドゥスかもしれない。

 

   

          (ジュリアを演じたエレナ・マルティン、映画から)

 

★意を尽くせませんでしたが鼎談のあらあらを総花的にご紹介いたしました。バルセロナはマドリードよりindie独立プロダクションで製作する監督が多く、その中にはイサキ・ラクエスタ&イサ・カンポ夫婦(La proxima piel マラガ映画祭16)、カルロス・マルケス=マルセ10.000 KMマラガ映画祭14)、マルク・クレウエトEl rey tuerto マラガ映画祭16)などもおり、当ブログでもご紹介しております。

 La proxima piel マラガ映画祭2016の紹介記事は、コチラ2016429

 10.000 KM マラガ映画祭2014の紹介記事は、コチラ2014411

 El rey tuerto マラガ映画祭2016の紹介記事は、コチラ201655

 

アリエル賞2017*メキシコ・アカデミー賞の結果発表2017年07月15日 16:30

        メキシコ未公開映画が最優秀作品賞以下10冠の不思議

 

★デビュー作(が目立った今年のアリエル賞711日に発表になりました。カテゴリーはまた増えて28個、うち10冠(ノミネート20個)を制したLa 4a compañíaが、未だにメキシコでは公開されていないのに受賞しました。グアダラハラ映画祭201636日)で上映こそされましたが、アカデミー会員の多くはスクリーンでは観てないはずです。今後の公開を期待したのかもしれませんが、配給会社はまだ決まっていないようです。受賞カテゴリーは、作品・男優(アドリアン・ラドロン)・クアドロ男優(エルナン・メンドサ)・編集・視覚効果・特殊効果・美術デザイン・録音・衣装・メイクアップの10個です。Tempestadがドキュメンタリーということからある程度は予想されていましたが、未公開作品が作品賞を取るという結果になりました。

 

           

              (La 4a compañíaのポスター)

 

★アリエル賞はメキシコの社会情勢を反映して、政治的メッセージの強い映画が選ばれる傾向にあると思います。2016年ダビ・パブロスの『選ばれし少女たち』2015年アロンソ・ルイスパラシオスの『グエロス』2014年ディエゴ・ケマダ=ディエスの『金の鳥籠』と、切りこむ角度は違ってもメキシコやラテンアメリカの闇を抉るという意味では同じでした。今年の受賞作も実話をベースにした刑務所が舞台になっている。制度的革命党PRIのホセ・ロペス・ポルティーリョが大統領だった時代(197682)、メキシコ・ペソの大暴落で世界を混乱させた頃の物語です。実現までに10年以上もかかったプロジェクト全員が、待ちに待った受賞者のアナウンスに酔いしれた夕べとなりました。

La 4a compañía」ほかノミネーション発表の記事は、コチラ20176月9日

  

 最優秀作品賞(メキシコ)

『夜を彩るショーガール』Bellas de noche)ドキュメンタリー

                        監督マリア・ホセ・クエバス

『彼方から』(ベネズエラ合作)監督ロレンソ・ビガス

『ノー・エスケープ自由への国境』(フランス合作)監督ホナス・キュアロン

Tempestad」ドキュメンタリー 監督タティアナ・ウエソ

Me estás matando, Susana監督ロベルト・スネイデル

La 4a compañía(スペイン合作)

                  監督アミル・ガルバン・セルベラ&ミッチ・バネッサ・アレオラ

El sueño del Mara'akame監督フェデリコ・Cecchetti

 

   

        (ミッチ・バネッサ・アレオラとアミル・ガルバン・セルベラ)

 

 監督賞&長編ドキュメンタリー賞

タティアナ・ウエソTempestad」ドキュメンタリー

女性で監督賞を受賞した第1号となり、当夜のもう一人の華だった。アリエル賞は1947年、16のカテゴリーで始まったメキシコ・アカデミー賞、その長い歴史にもかかわらず、ウエソ監督が初とは驚きを通りこして沈黙あるのみです。女性への暴力が処罰されないメキシコの現在が語られる。パウラ・マルコビッチ監督の自伝的デビュー作「El premio」(メキシコ、仏、独、ポーランド)が、2013年に作品賞を受賞したことがあります。しかし彼女はメキシコで活動しているアルゼンチン出身の脚本家でした。

 

 

        (監督賞のトロフィーを手にしたタティアナ・ウエソ)

 

 オペラ・プリマ第1回作品賞&と音楽賞

El sueño del Mara'akame」監督:フェデリコ・Cecchetti

 

    

                (出演者と一緒に)

 

 男優賞(二人)

アドリアン・ラドロンLa 4a compañía

ホセ・カルロス・ルイスAlmacenados監督:ジャック・サグア・カバビエZagha Kababie確認

若手とベテランが賞を分け合いました。

 

 

      (左から、ホセ・カルロス・ルイスとアドリアン・ラドロン)

 

 女優賞

ベロニカ・ランガー(ランヘル)La calidas監督:マロエイリノ・イスラス・エルナンデス

 

   

               (貫禄の受賞者ベロニカ・ランガー)

 

 助演男優賞

オセHoze・メレンデスAlmacenados

 

 

 助演女優賞

アドリアナ・パスLa calidas

 

  

 新人男優賞

パコ・デ・ラ・フエンテEl alien y yo監督:ヘスス・マガニャ・バスケス

 

 新人女優賞

マリア・エボリTenemos la carne」監督:エミリアノ・ロチャ・ミンター

  

 

 クアドロ男優賞

エルナン・メンドサLa 4a compañía

 

 

 クアドロ女優賞

マルタ・クラウディア・モレノ 「Distancias cortas」

 

 

 

 オリジナル脚本賞

ホアキン・デル・パソルシー・PawlakMaquinaria Panamericana監督ホアキン・デル・パソ

 

 脚色賞

ダビ・デソラAlmacenados

 

 撮影賞

エルネスト・パルドTempestad

 

 編集賞

ミッチ・バネッサ・アレオラフランシスコ・リベラカミロ・アバディアLa 4a compañía

 

   

  (欠席したカミロ・アバディアのトロフィーも手にアレオラ、フランシスコ・リベラ)

 

 視覚効果賞

リカルド・ロブレスLa 4a compañía

 

 特殊効果賞

ルイス・エドゥアルド・アンブリスLa 4a compañía

 

 美術デザイン賞

ジェイ・エロエスティカルロス・コッシオLa 4a compañía

 

 

 音楽賞

エミリアノ・モッタEl sueño del Mara'akame

 

 衣装賞 

ベルタ・ロメロホセ・グアダルーペ・ロペスLa 4a compañía

 

 

 メイクアップ賞

カルラ・ティノコアルフレッド・ガルシアLa 4a compañía

 

 

 録音賞2作)

ハビエル・ウンピエレスイサベル・ムニョスLa 4a compañía

フェデリコ・ゴンサレス・ホルダンカルロス・コルテスTempestad

 

 短編賞(フィクション)

El ocaso de Juan監督:オマル・デネド・フアレス

 

 

 短編賞(ドキュメンタリー)

Aurelia y Pedro監督:オマル・ロブレスホセ・ペルマル

 

 

 短編アニメーション(長編は該当作なし)

Los aeronautas監督:レオン・ロドリゴ・フェルナンデス

 

    

 イベロアメリカ映画賞

『セカンド マザー』(ブラジル)監督アナ・ミュイラート

笑う故郷(アルゼンチン、スペイン)監督ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン

Anna」(フランス、コロンビア)監督ジャック・トゥールモンド・ビダル

Sin muertos no hay carraval」(エクアドル、メキシコ、 監督セバスティアン・コルデロ

『物静かな男の復讐』(スペイン)監督ラウル・アレバロ

(ブラジルとアルゼンチンが分け合いました)

 

 ゴールデン・アリエル賞(二人)

イセラ・ベガ(女優、脚本家、製作者、シンガー・ソング・ライター)

1939年生まれ。アリエル賞では、女優賞を1984年にアルトゥーロ・リプスタインのLa viuda negra」で受賞しているが、本作は1977年製作、メキシコ公開が1983年でした。他に2000年「La ley del Herodes」でも受賞、他に助演女優賞も受賞している。サム・ペキンパーの米国メキシコ合作映画『ガルシアの首』に出演、これは1975年公開されている。

 

 

ルセロ・イサック(美術監督)

 

 

 

La 4a compañía10個、Tempestad4個、Almacenados」が3個、「El sueño del Mara'akame

La calidas2個ずつ、他は1カテゴリーという結果になりました。既に公開、映画祭上映、ネットフリックスなどで見ることのできる作品もありますが、この他どのくらい日本で見られるでしょうか。マリア・エボリが新人賞を取ったホラー・ファンタジーTenemos la carne」(エミリアノ・ロチャ・ミンター)あたりは期待できそうです。

  

バルガス=リョサvsガルシア・マルケス*40年間の沈黙を破る2017年07月20日 14:14

            ガルシア・マルケスとの親密な友情関係の始まり、1967

 

★毎年恒例となっているマドリード・コンプルテンセ大学の夏期講座が、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリア市で始まった。世界各地から受講者を集めるスペインでも有数の夏期講座です。ペルーのノーベル賞作家マリオ・バルガス=リョサ(1936)は本講座のプログラム編成をしています。この度コロンビアのエッセイスト、カルロス・グラネスをインタビューアーに迎えて、作家本人が対談形式でガルシア・マルケス(1927-2014)についての講義を行いました。しかしこの授業の目玉の一つは、1967年に始まったガルシア・マルケスとの幸せだった10年間が、1976年いかにして決裂するに至ったかだったにもかかわらず、新たなデータを掘り起こすまでにはいかなかったいんしょうです。結局、謎は謎のまま、コロンビアの作家同様、ペルーの作家も秘密を墓場まで持って行くつもりのようです。

 

 

 (バルガス=リョサとカルロス・グラネス、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリア、75日)

 

★後にノーベル賞作家となる二人にとって、1967はカラカスの飛行場で初めて顔を合わせ、それに続く幸せの友情が始まった年でした。またガルシア・マルケスにとっては友人から可能な限りの借金をし、家財道具まで売り払って家族に極貧を強いて完成させた『百年の孤独』が、530日に刊行された年でもありました。どうしてカラカスだったのかと言えば、ペルーの作家の『緑の家』が第1ロムロ・ガジェゴス賞を受賞し、コロンビアの作家がそのプレゼンターだったからです。ベネズエラの小説家で政治家でもあったガジェゴスを記念してベネズエラ政府によって創設された文学賞(スペイン語で書かれた作品を5年ごと1作選ぶ)。1972年、第2回目の受賞作品はマコンドの作家の『百年の孤独』でした。

 

 

 

★バルガス=リョサVLによると、ガルシア・マルケスGMの『大佐に手紙は来ない』(1961年、コロンビア刊)が自分のところにやってきたのは前年の1966年だったという。当時フランス・ラジオ・テレビジョンでラテンアメリカの新刊紹介のような番組を担当していた。本作の翻訳書がパリに現れたのが1966年だったというわけです。厳正なリアリズムと老大佐の明快な描写がとても気に入った。そしてガルシア・マルケスという作者に是非とも会いたいと思うようになった。それから二人の間で熱心な手紙のやり取りが始まり、実際に会う前に既に二人は友人関係を築いており、カラカスを去るころには大の親友になっていたという。

 

★対談にありがちなことだが、会話はあっち飛びこっち飛びしたようだが、例えばカミュ、サルトル、トルストイ、ドストエフスキー、フォークナーやヴァージニア・ウルフの影響など、すでに多くのことは書かれていることですが、VLによると、ウルフの影響が大きいことをよく口にしていたという。カミュは別としてサルトルのようなフランス実存主義の作品は読んでいなくて、どちらかというと英国系の文学をより好んで読んでいたという。これもまた周知のことでしょうか。ごく個人的な二人の共通点、それは母方の祖父母に育てられ、それぞれ両親とは確執があり対立関係にあったこと、二人が若かった時代には、今日のラテンアメリカとは違って文化的連帯が存在しなかったこと、ボゴタやリマでは不可能な何かを求めてヨーロッパに向かったこと、これまた周知のことであり、受講生の多くが期待したテーマは、どうしてこの親密な友情関係が壊れたかということだったに違いありません。

 

       ガルシア・マルケスとの決裂――キューバと「パディーリャ事件」

 

1971のキューバ、ラテンアメリカの<ブーム>の作家たちを政治的に分断した「パディーリャ事件」が起こった。320日、詩人エベルト・パディーリャは妻で詩人のベルキス・クサ=マレと一緒に逮捕された。理由は一言でいえば革命に害悪をもたらす反革命的な作家ということです。妻は2日後に釈放されたが、エベルトは38日間拘留され、427日にキューバ作家芸術家連盟UNEACのホールに集められたメンバーを前に「自己批判文」を読まされるという拷問の末、解放された。この吐き気を催す自己批判文には、反革命的な態度をとる彼の友人作家たちの華麗なリストが含まれていた。すなわち妻ベルキス・クサ=マレ、レサマ=リマ、ビルヒリオ・ピニェラ、セサル・ロペス、ディアス=マルティネス、ノルベルト・フエンテス・・・レサマ=リマのように欠席した人は難を逃れることができたが、名指しされた人々は恐怖にひきつって各自マイクの前で釈明しなければならなかった。冷戦時代のハリウッドを吹き荒れた「赤狩り」を想起させ、パディーリャにエリア・カザンが重なった。

 

(エベルト・パディーリャ)

 

★パディーリャの逮捕の報は、革命を支持していた当時の知識人たちに激震が走った。パリに住んでいたフリオ・コルタサルが自宅にフアン・ゴイティソロを呼んで、後に「フィデル・カストロへの最初の書簡」となる抗議文を作成した。賛同して署名した数は54名に達し、その中にはジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、マルグリット・デュラス、カルロス・フエンテス、オクダビオ・パス、フアン・ルルフォ、スーザン・ソンタグ、アルベルト・モラヴィア、勿論バルガス=リョサやコロンビアのジャーナリストで親友プリニオ・アプレヨ=メンドサも署名した。ただはっきりしないのがガルシア・マルケスであった。彼はパディーリャ逮捕を知ると、当時住んでいたバルセロナを急いで離れ、連絡の取れないカリブのどこかへ雲隠れしてしまった。そこで同じバルセロナにいたアプレヨ=メンドサが自分が責任を取ると言って友人の名前を書き加えたのである。当然マコンドの作家は署名しなかったと言い張り、コロンビアのジャーナリストは作家を庇い、他のものは署名したがフィデルの反応を見て撤回した、と真相は闇に紛れてしまった。当のプリニオにとってさえ謎なのである。

 

    

 (ガルシア・マルケス、バルガス=リョサ、フリオ・コルタサル、事件が起きる前の1971年)

 

★以上が大体のいきさつであるが、VLの証言はこの内容と若干ずれるようだ。「パディーリャがCIA のスパイだと告発され逮捕されたとき、バルセロナの私の家にフアンとルイス・ゴイティソロ兄弟、ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーなどが集まり、抗議の書簡を練った。この書簡には多くの知識人が署名した。プリニオがガルシア・マルケスの名前も入れるべきだと言ったが、私たちは本人に相談してからだとコメントした。当時彼の所在は全く不明で確認を取ることができなかったのだ。しかしプリニオが署名すると決断した。これが私が知ってることです。ガルシア・マルケスは激しくプリニオに抗議した。自己批判文の後、パディーリャが解放された後の54日に書かれた抗議文「第二の公開書簡」には、ガルシア・マルケスは署名しなかった」と語った。

 

★多分、バルセロナ在住のバルガス=リョサたちが作成した草案をフアン・ゴイティソロがパリのコルタサルのところに運び込み完成させたということかもしれない。他にもう一人署名しなかったのが、キューバ革命の熱心な擁護者だった当のコルタサルである。世界を歩き回る作家として有名な彼は、1981年にキューバ、ニカラグア、プエルトリコ歴訪計画を中止したが、死の前年の1983年に知識人常任委員会Comité Permanente de Intelectualesの会議出席のためハバナを訪れている。

 

★ペルーの作家によると、「この事件を境に私たちの間に壁ができた。当時私は革命を熱烈に支持していたが、彼はそれほどではなく、それに関しては常に慎重だった。友人のプリニオ・アプレヨと一緒にプレンサ・ラティノで働いていたとき、既に共産党によって排除されていたからだ。「慎重だったのにフィデル・カストロとのツーショット写真に納まるようになったのは、彼に何が起こったのでしょうか?」との質問には、「分からない。彼の生き方は実に現実的で、反キューバより親キューバのほうが自分に有利だと判断したからだと思う」と。もはや立ち位置をキューバ革命賛美に変えた彼を党が再び粛正する心配はなく、ガルシア・マルケスは最期を迎えるまでフィデルとの親密な関係を保ちつづけた。(下の写真は権力で結びついた、コミュニストでなくフィデリストだった二人) 

 (1982年)

   

 

    

★「パディーリャ事件のあと彼とは音信不通だったから、彼に何が起こったかは正確には知らない。プリニオの意見では、彼はキューバが悪い方向に進んでいることは分かっていたが、将来的にはラテンアメリカは団結するという考えをもっていた」という。「ガルシア・マルケスは権力をもつ人間に非常に魅了されており、それは文学に止まらず人生にも不可欠なものだった。いい意味でも悪い意味でも同じく、権力があらゆることを可能にしてくれると考えていた。魅力的で活力のある権力者、例えばメキシコの麻薬王エル・チャポ(ホアキン・グスマン)やパブロ・エスコバルのような人物を主人公に創作したいと考えていた。またフィデル・カストロやトリホス(パナマの最高司令官オマル・トリホス、軍事政権を率いた)のような政治家の完全な虜だった」と、『ヤギの祝宴』の作家は断言した。そう言えばコルタサルも1979年、にオマル・トリホスに会いに当時の妻キャロル・ダンロップとパナマを訪れている。

 

★フアン・ルルフォやアレホ・カルペンティエル、マルケス自身のような作家たちは、「醜悪さ」の美やラテンアメリカの「後進性」を引き出す術に長けていた。「ラテンアメリカ出身の作家たちが想像力豊かな文学を生み出したのは幸運だったということですか」と尋ねられると、「分からないけど、私たちの大陸は優れた文学を生み出すのにいいところだよ。いやいや、そうじゃない。どこの国もそこに相応しい文学があるよ」と訂正した。

 

★バルガス=リョサのガルシア・マルケス殴打事件は1976212日、メキシコ国立芸術院(ベジャス・アルテス宮殿)で起きた。先述したようにその理由は語られることはなかった。いろいろ噂が飛び交っているが、多分それが事実に近いのではないか。互いに不名誉なことだから沈黙は金なのだ。完全に決裂した後でも、今でも『百年の孤独』以下の文学的価値は変わらないとも語った。

  

    

            (左目に大きな痣ができてしまったガボ、1976年)

 

「彼の訃報を知ってどう受け止めましたか」の質問には、「寂しかった。コルタサルやカルロス・フエンテスのときと同じように、一つの時代が終わったと感じた。彼らは大作家というだけでなく親友だったからね。ラテンアメリカ文学の存在を世界に知らしめた世代です。直ぐにこの世代の最後の一人が自分だと思って、少し悲しかった」と。

 

  

 (新婚ホヤホヤのバルガス=リョサと新夫人イサベル・プレイスラー、2016年ゴヤ賞ガラで)


プリニオ・アプレヨ・メンドサの紹介記事は、コチラ⇒2016年3月27日

第4回イベロアメリカ・プラチナ賞2017*結果発表2017年07月25日 18:36

         作品賞は『笑う故郷』、アルモドバルが『ジュリエッタ』で監督賞!

 

★ノミネーション発表(531日)から大分時間が空いて気が抜けてしまっていた授賞式が、去る722日にマドリードのカハ・マヒカで開催されました。作品賞は予想通り、本作はラテンビート上映時の邦題『名誉市民』が『笑う故郷』と笑えないタイトルになって公開されます。監督賞J.A.バヨナアルモドバルか迷いましたが、後者に軍配が上がりました。当夜いちばん光が当たった人がアルモドバルでした。彼の授賞式参加は初めて、つまりガラでの発言は皆無でした。「この受賞を市民戦争中に行方不明になった家族を探し続けている人々に」捧げるとスピーチした。えっ『ジュリエッタ』ってそんな映画でした? これにはかなり説明が必要なので別にアップいたします。というのもフランコ時代に無実の罪で23年間服役していた詩人マルコス・アナ(19202016)の回想録の映画化と関係があるからです(アルモドバルはこの回想録の映画化権を持っている)。いずれアップします。

 

   

★ドラマ部門の女優賞はブラジルのソニア・ブラガ、本作で第3回イベロアメリカ・フェニックス賞でも女優賞を受賞している。なお彼女は第1回プラチナ賞の栄誉賞受賞者でもありました。観客賞部門の女優賞ナタリア・オレイロは、ウルグアイ出身であるが主にアルゼンチンで活躍している。前回ウルグアイで開催された第3回ではサンティアゴ・セグラと総合司会者を務めました。ということで今回はベテラン女優が気を吐きました。男優賞のオスカル・マルティネスについてはもう書きすぎました。

 

作品賞(ドラマ部門)

Aquarius アクエリアス」(ブラジル)監督:クレベール・メンドンサ・フィリオ

『笑う故郷』(アルゼンチン、スペイン)監督:ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン

『スモーク・アンド・ミラーズ』(スペイン)監督:アルベルト・ロドリゲス

『ジュリエッタ』(スペイン)監督:ペドロ・アルモドバル

「ネルーダ」(チリ・アルゼンチン・スペイン)監督:パブロ・ラライン

 

  

 (左から、アンドレス・ドゥプラット、ガストン・ドゥプラット、オスカル・マルティネス、

  マリアノ・コーン、受賞者一同)

 

監督賞

フアン・アントニオ・バヨナ『怪物はささやく』(スペイン)

クレベール・メンドンサ・フィリオ「Aquarius」(ブラジル)

ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン『名誉市民』(アルゼンチン・スペイン)

パブロ・ラライン「ネルーダ」(チリ・アルゼンチン・スペイン)

ペドロ・アルモドバル『ジュリエッタ』(スペイン)

 

(ペドロ・アルモドバル

             

脚本賞

アルベルト・ロドリゲス&ラファエル・コボス『スモーク・アンド・ミラーズ』(スペイン)

アンドレス・ドゥプラット『笑う故郷』(アルゼンチン、スペイン)

セルソ・ガルシアLa delgada línea amarilla」(メキシコ)

ギジェルモ・カルデロン「ネルーダ」(チリ・アルゼンチン・スペイン

パベル・ヒロウド&アレハンドロ・ブルゲス他「El acompañante

 (キューバ、ベネズエラ、コロンビア)

 

 

女優賞

アンジー・セペダLa semilla del silencio」(コロンビア)

エンマ・スアレス『ジュリエッタ』(スペイン)

フアナ・アコスタAnna」(コロンビア・フランス)ジャックToulemondeビダル監督

ナタリア・オレイロGilda, no me arrepiento de este amor」(アルゼンチン)

          ロレナ・ムニョス監督

◎ソニア・ブラガAquarius」(ブラジル)

 

 (ソニア・ブラガ)

  

男優賞

アルフレッド・カストロ『彼方から』(ベネズエラ、チリ)

ダミアン・カサレスLa delgada línea amarilla」(メキシコ)

エドゥアルド・フェルナンデス『スモーク・アンド・ミラーズ』(スペイン)

ルイス・ニェッコ「ネルーダ」(チリ・アルゼンチン・スペイン)

オスカル・マルティネス『笑う故郷』(アルゼンチン、スペイン)

 

 (オスカル・マルティネス)

 

 

オペラ・プリマ(第1回監督作品、ドラマ部門)

『彼方から』(ベネズエラ、チリ)ロレンソ・ビガス

La delgada línea amarilla」(メキシコ)セルソ・ガルシア

Rara」(アルゼンチン、チリ)ペパ・サン・マルティン

Viejo calavera」(ボリビア)キロ・ルッソ

『物静かな男の復讐』(スペイン)ラウル・アレバロ

 

音楽賞

アルベルト・イグレシアス『ジュリエッタ』

ゴヤ賞の胸像を10個、オスカー賞ノミネーション3回、今回プラチナ賞をゲットして、トロフィーのコレクター。アルモドバル作品を一手に引き受けている。

 

美術賞

エウヘニオ・カバジェロ『怪物はささやく』

 

撮影賞

オスカル・ファウラ『怪物はささやく』

 

編集賞

Bernat Vinapiana / Jaune Marti『怪物はささやく』

 

録音賞

Peter Glossop / Marc Orts / オリオル・タラゴ『怪物はささやく』

『怪物はささやく』は言語が英語のため、作品賞から外されました。興行的にはナンバーワンの功労者でしたが残念でした。バヨナ自身は監督賞を逃しましたが、技術部門4個を制しました。 

 

 (フアン・アントニオ・バヨナ)

 

  

ミニシリーズ&テレビシリーズ賞

Cuatro estaciones en La Habana(西、キューバ)監督:フェリックス・ビスカレット

キューバの推理作家レオナルド・パドゥラのマリオ・コンデ警部補が活躍する「四季シリーズ」がベースになっている。

 

ドキュメンタリー賞

2016, Nacido en Siria(スペイン)監督:エルナン・シン

現在ヨーロッパで起きている、各政府が目を背けている証言で綴られている。よりよい生活を求めて旅を続けるシリアの子供たち20人と14か月間、監督は行を共にして作ったドキュメンタリー。

 

アニメーション賞

Psiconautas, los niños olvidados (スペイン)監督:アルベルト・バスケス&ペドロ・リベロ

 

意義のある教育賞

Esteban(キューバ、スペイン)

 

 

作品賞(観客賞部門)

『笑う故郷』(アルゼンチン、スペイン)

 

女優賞(観客賞部門)

◎ナタリア・オレイロ Gilda, no me arrepiento de esta amor

 

 (ナタリア・オレイロ)

     

  

男優賞(観客賞部門)

オスカル・マルティネス『笑う故郷』

 

ポスター賞(観客賞部門)

『ジュリエッタ』アルモドバル

 

プラチナ栄誉賞

エドワード・ジェームズ・オルモス

EGEDA会長エンリケ・セレソがプレゼンターでした。1947年ロサンゼルス生れのメキシコ系アメリカ人俳優。スペインUSA合作『ロルカ、暗殺の丘』(1997、監督マルコス・スリナガ)、代表作は『ブレードランナー』、TVドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』(198489)のマーティン・キャステロ主任警部役がもっとも有名でしょうか。本作で1985年にゴールデングローブ賞、エミー賞を受賞している。531日にロスで開催されたノミネーション発表会のプレゼンターを務めていた。   

 

★記者会見では「時差ボケで睡眠がとれずくたくたです。・・・国ではラテン芸術の理解に奮闘しています。彼らは私たちラテン系に恐怖をもっているのです」と、今や国民の20パーセントを占めるに至ったヒスパニック系アメリカ人に対する差別が増加していると語っていた。トランプが演出する反オバマ政策を支持する一部の人々が存在していること、そういう米国人はアフロ系大統領には我慢できなかった。「しかし私はオプティミストです」と希望も語っていた。

 

★第5回イベロアメリカ・プラチナ賞2018はラテンアメリカに戻って、メキシコのリビエラ・マヤで、4月開催がアナウンスされました。有名なリゾート地カンクンより南へ車で90分ほどにある、外国人セレブに人気のあるリゾート地です。

4回イベロアメリカ・プラチナ賞ノミネーション発表の記事は、コチラ201765

 

アルモドバルとスペイン市民戦争*プラチナ賞2017授賞式2017年07月28日 10:05

       スペイン内戦の失踪者家族に捧げられたアルモドバルの受賞スピーチ       

      

★プラチナ賞2017監督賞を受賞したペドロ・アルモドバルの受賞スピーチの続きです。監督はトロフィーを「戦争中に失踪した人を今もって探し続けている何千何万という家族へ」捧げたという献辞の真意について簡単に説明したい。スペインは第二次世界大戦には参戦していませんから、戦争と言えばスペイン内戦193639)を指します。ざっと80年前の戦争です。プレス会見でアルモドバルは、「受賞作『ジュリエッタ』は、失踪した娘アンティアが母親に残した痛みについての物語」と語った。18歳になった娘の失踪の理由が理解できず、ずっと苦しみ続ける母親の話です。かつては夫の過去が許せず家を出た自分と娘をダブらせる話。失踪には死の臭いがただよう。「内戦の失踪者とタイプは異なるが、スペインでは失踪者を探し続ける家族は多い。自分の受賞スピーチは政治的な意味合いはなく、あくまでも人間的な要請から発せられたもの」と強調したようです。

 

    

   (受賞スピーチをするアルモドバル、マドリードのカハ・マヒカにて、722日)

 

★「ついこの間も、80年間閉められていた墓を掘り出したら、傷痕が幾つもある遺体が発見されたというニュースに接した」ことをあげ、内戦が終わっていない家族の存在を語った。「失踪者に関するテーマで映画を撮りたいと考えているが、相応しい脚本がまだ完成していない。それで生死が分からないとか、失踪者のいる家族に接触して取材している。スペインではこのテーマはとても重要だと考えている」とも。スペインにとどまらず、隣国ポルトガルは言うに及ばず、アルゼンチン、チリ、ドミニカ共和国、キューバ、パラグアイ、ペルーなど中南米諸国で軍事独裁を経験しなかった国はないのではないでしょうか。コロンビアやメキシコのように麻薬がらみの失踪者が現在も進行中のイベロアメリカ諸国が一堂に会したフェスティバルであってみれば、あながち唐突なスピーチでもなかったかもしれない。

 

       コミュニスト詩人マルコス・アナの回想録の映画化が実現する?

 

★アルモドバルは、詩人マルコス・アナの回想録 Decidme cómo es un árbol. Memoria de la prisión y la vida (バルセロナUmbriel 2007)の映画化権を2008年に取得している。当時スペインのランサローテ島で暮らしていたジョゼ・サラマーゴの序文が付いている。ポルトガルに初のノーベル文学賞をもたらした作家。どうやらこれと関係しているようです。まずマルコス・アナ(サラマンカ1920~マドリード2016)の紹介から。フェルナンド・マカロ・カスティーリョが本名だが、父親からとったペンネームのマルコス・アナで知られている詩人で作家。内戦終結後の1939年に19歳で逮捕された。容疑は内戦初期の1936年に司祭以下3人殺害の罪。本人は無実を主張したが、第一級殺人罪で死刑宣告、その後禁固30年に減刑され政治犯が収容される刑務所に収監されていた。1961年、設立されたばかりのNGOアムネスティ・インターナショナル、ラファエル・アルベルティやパブロ・ネルーダなどの海外の著名人の尽力によって自由の身になった。この獄中23年間を含む回想録が上記の本である。サラマーゴ、アルベルティ、ネルーダの3人は共にコミュニストでした。

   

       

                (回想録とマルコス・アナ) 

   

★アルモドバルは、『抱擁のかけら』完成後に、計画中の映画4本ほどを挙げていた。その中にマルコス・アナの回想録の映画化も入っていた。しかし2年おきに新作を発表しているのに一向に具体化せず、もう中止したのかと思っていました。というのも詩人も鬼籍入りしたことだし、冤罪ではないというフランコ支持者も多くいるなかで、映画化は難しいのではないかと考えていたからです。当時アルモドバルは「1939年に出所してからの詩人を描くことから始めたい」とインタビューに答えていた。詩人がアルモドバルに、「自由の身になってマドリードに放り出されたとき、私は42歳の幼児だった。痛みは肉体的なものより精神的なほうが辛かった。長いあいだ暗くて狭い空間に閉じ込められていたので広場恐怖症になり、灯りが怖く、車に乗ると酔って嘔吐した。同じように若い女性たちの存在にも慣れることができず、子供のようなリアクションをした」と告白していたそうです。

 

   

           (アルモドバルとマルコス・アナ、2014328日)

 

★映画化が決まったわけではありませんが、詩人のプロフィールを簡単に補足すると、父親は貧しい日雇い労働者、4人姉弟の末っ子としてサラマンカで生まれた。家計を助けるため12歳か13歳で店員として働き始めたから、日本でいう義務教育を最後まで受けられなかった。16歳で共産党に入党、19364月に結成された統一社会主義青年JSU193661)というスペインの共産主義青年同盟に加入している。内戦が始まると前線で戦い、内戦終結後の1939年に19歳で逮捕されたのは、上記の通りです。 

      

                     (フェルナンド・マカロ・カスティーリョ青年)

 

      

 (ラファエル・アルベルティとマルコス・アナ)

 

★刑務所内の巡回図書でスペインの古典、ケベド、ロペ・デ・ベガ、カルデロンなどに触れ、1950年代には禁書だったラファエル・アルベルティ(当時亡命)やミゲル・エルナンデス(1942年肺結核で獄死)、ガルシア・ロルカ(1939年射殺)などを、反フランコの地下組織を通じて入手して読んでいた。獄中で書き始めた詩は海外で出版され、スペイン国内より外国での知名度が高かった。それが釈放に繋がったようです。1961年釈放後はパリに脱出、スペインに戻ったのはフランコ死後の1976年である。200912月、社会労働党のサパテロ政府からゴールド・メダルを授与されたが、勿論フランコ支持者からは非難の矢が飛んだ。翌2010年、フランスの法学者ルネ・カサン(1968年ノーベル平和賞)の功績を讃える「ルネ・カサン人権賞」を受賞した。20161124日、合併症のため96歳で死去、谷あり山ありの波瀾万丈な一生でした。

 

  

  (バスク自治政府パチ・ロペス首相からルネ・カサン人権賞を受け取るマルコス・アナ)

 

★映画化がされるなら、元スパイのフランシスコ・パエサのビオピックを描いたアルベルト・ロドリゲスの『スモーク・アンド・ミラーズ』のように面白くなりそうですが、どんな切り口にしろ物議をかもすのは目に見えています。今は取りあえずお蔵入りしたわけでないことを喜びたい。

ガルシア・ロルカの死に関する記事は、コチラ⇒2015年9月11日

 

第70回ロカルノ映画祭2017*ノミネーション発表2017年07月30日 17:26

    

         古稀を迎えた小規模ながら世界有数の国際映画祭ロカルノ

 

   

             (82日水曜日、いよいよ開幕されます)

 

70回目で思い出すのは、戦後間もない1946年に始まったカンヌ映画祭です。ロカルノ映画祭もカンヌと同じ年に生まれました。カンヌやベネチア、ベルリンやトロントのような大規模な映画祭ではありませんが、芸術と商業のバランスを上手く取りながら、今では夏本番8月に開催される世界有数の国際映画祭としてレベルAに成長しました。ベネチアやトロント、サンセバスチャンなど秋開催の先陣を切って開催され、特に新人監督に広く門戸を開いています。スイス南部イタリア語圏のロカルノ市という立地条件の良さ、世界最大の野外スクリーン「ピアッツア・グランデ」(7500席)の上映などで人気を集めています。しかしどの映画祭も直面しているのが資金難と若い人の映画に対する考え方の変化です。今年のカンヌでも感じたことですが、未来に向けての新しい戦略が待たれるところです。

 

   

    (1968年よりグランプリ作品には、トロフィー金豹が授与されるようになった)

 

★第1回のオープニング作品は、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(Roma, Citta Aperta 1945)だったそうです。既にカンヌ映画祭でワールド・プレミアされていたが、特別賞を受賞しました。グランプリはルネ・クレールの『そして誰もいなくなった』で、ロッセリーニ自身も1948年に戦争三部作の第3作目『ドイツ零年』で受賞しています。彼のネオレアリズモと言われる映画手法は、スペインの若手シネアスト、ガルシア・ベルランガやアントニオ・バルデムにも大きな影響を与えました。日本も1954年に衣笠貞之助の『地獄門』が受賞しています。スペインは非常に遅くアルベルト・セラのHistoria de la meva mort2013、カタルーニャ語)が初めて受賞しました。

アルベルト・セラの金豹賞受賞の記事は、コチラ2013825

 

    

          (金豹賞のトロフィーを手にしたアルベルト・セラ)

 

★さて2017年のコンペティション部門には、ブラジル映画、フリアナ・ロハスマルコ・ドゥトラ As boas maneirasGood Manners 仏合作)と、チリのラウル・ルイスバレリア・サルミエント La telenovela erranteThe Wandering Soap Opera1990)の2作がノミネーションされています。後者の監督ラウル・ルイスは2011年に亡くなっており、サルミエントはルイス監督夫人で編集者だった。1973年のピノチェトの軍事クーデタ以降フランスに亡命しており、ピノチェト失脚後に帰国した。その帰国後の第1作が本作である。199011月にたったの6日間で撮影したままの未完成作品をこの度サルミエントが完成させた。米国やチリなどにばらばらに保管されていたネガを編集したようです。多作家だったラウル・ルイスの第121番目の作品になるはずです。彼はロカルノでは、長編第2作となる1968年の Tres tristes tigres が、翌年金豹賞を受賞している。そんな経緯もあって今回ノミネーションされたのかもしれない。

 

   

  (ラウル・ルイスとバレリア・サルミエント)

 

 (本作撮影中のルイス監督)

      

                         

 

(出演のパトリシア・リバデネイラ、フランシスコ・レイェス、ルイス・アラルコン、映画から)