『エルヴィス、我が心の歌』 *アルマンド・ボー ②2016年06月26日 12:56

           根っこのない人間、インパーソネーターの危機

 

A: 誰でもある程度は他人を真似て生きているわけですが、主人公カルロスのようにピッタリ重なってしまうと救済できない。恐ろしい社会派ドラマです。自分で拵えた壁だから壊すこともできたのだが、愛が壊れると残るのは喪失感だけです。孤独には幻滅も付いてくるから、現実は地獄と化す。

B: アイデンティティーの喪失とか自己否定とかではすまない。「そっくりさん」をやっているうちに誇大妄想に陥り、コチラとアチラの境界が消滅してしまう。

 

A: かろじてコチラに踏みとどまっていられたのは、妻や娘への愛だった。最初カルロスは、エルヴィスとして自分を完結させるか家族を選ぶか、二つの間で揺れていた。しかし家族が壊れてしまえばコチラに未練はない。プレスリーは妻プリシラが娘のリサ・マリーを連れて新しい男に走ってから急激に崩れていった。

B: 監督はモデルの人生に、そっくりさんの人生を重ねていく。

A: モデルは妻が新しい男に走ったことで苦しむが、そっくりさんの方は、妄想にとり憑かれ現実を受け入れない夫に同情しながらも一緒に暮らすことができなくなった妻の方が苦しむ。ここが二人の大きな違いです。

 

B: 自分に根っこがないと境界は無きが如しだから、行き来している自覚もやがて消えてしまうことになる。

A: 自分も含めて周りはそういう人が溢れている。アルマンド・ボー監督もこの映画は「狂気のメタファー」だと語っています。

 

B: インパーソネーターはただの「そっくりさん」ではなく、モデルの内面に深く入り込み、完全一体化していかなければならない。カルロスはそれを実践した。

A: スペイン語映画ファンなら、『トニー・マネロ』08)を思い出す観客が多かったはず、主役を演じたアルフレッド・カストロの狂気にショックをうけた。パブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」の第一部を飾った作品、監督、俳優とも二人をおいて現代チリ映画は語れない。

B: 大抵の方はハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』07)でしょうか。パリに住むアメリカ青年役にディエゴ・ルナが扮し、マイケル・ジャクソンのそっくりさんを演じた。マリリン・モンロー、マドンナ、ジュームス・ディーンなどのそっくりさんも登場する。結末は本作とは異なりますが。 

  

               (『トニー・マネロ』のポスター)

 

A: マイケル・ジャクソンのインパーソネーターNo.1NAVIは、マイケル自身のお墨付きをもらっていた。本人没後はツアーを組んで大忙しだとか。しかしエルヴィスにしろマイケルにしろ、若くして亡くなっているから、モデルの享年が近づくにつれインパーソネーターに危機がやってくる。

B: まさにカルロスがそうでした。カルロスにとって42歳の誕生日は、41歳とはまるで違う。

 

        ちりばめられた伏線の貼り方、メタファーとしての選曲

 

A: 昼は「お前の代わりなんか直ぐ見つかる」と馘首をちらつかせ、カルロスの誇りをズタズタにする現場主任のもとで働いている。ここは自分の居場所ではない。夜はエルヴィスのトリビュート・アーティストとして取替不可能な存在、大きな野心が生れてくる。

B: ここでは自分を〈エルヴィス〉と呼ばせ、音響設備が悪いとぶちギレしてステージを下りてしまう。「俺は神様から素晴らしい声を授けられたエルヴィス」なのだから。

A: このとき歌っていたのが最後のシーンに流れる「アメリカの祈り」、だからゆめ疎かにできないのです。それが最後に分かる。しかし出演料は安く、おまけに滞りがち、これでは間に合わない。映画の早い段階で帰宅途中に飛行場の側を通るシーンが映りますが、これもいずれメンフィスにあるエルヴィスの聖地に飛ぶ伏線でしょう。

 

    

             (「ザ・キング」エルヴィス・プレスリー)

 

B: 老母が入所しているケアハウスでギターを手に弾き語る「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」は、喪失感を象徴する曲、母に最後の別れを告げる伏線になっている。

A: シンガーの田中タケル氏が「カタログ」に寄せた紹介文によると、カルロスが決行前夜クラブでピアノの弾き語りをしながら熱唱する「アンチェインド・メロディ」は、死別を象徴する曲、カルロスが着ていた衣装もエルヴィスにとっては死装束だそうです。

B: エルヴィス・ファンには、選曲のすべてがメタファー、伏線だと分かる仕掛けになっている。勿論、そんな知識がなくてもジョン・マキナニーの歌に酔うことができます。

 

         奇跡は結構起きる、ジョン・マキナニーとの出会い

 

A: 工場の制服を焼却し、スケート場で親子三人の最後の時を過ごす。準備万端整ったところで、妻が交通事故で意識不明の重体となる。ここから実は本当のドラマが始まると思う。

B: これ以前は予想通りの筋書き、しかし疎遠だった娘との距離が次第に縮まるにつれ、もしかして娘の愛の力で正気に戻るのか。不安で眠れない娘に子守唄代わりにカルロスが歌った「ハワイアン・ウェディング・ソング」は心に沁みた。

 

  

           (妻アレハンドラ、娘リサ・マリー、カルロス)

  

A: プレスリーが主演した『ブルー・ハワイ』で歌われた曲、娘との距離の縮め方は自然でとてもよかった。奇跡的にアレハンドラの意識が戻り、二人で面会にいくシーンでは、監督は二人に手を繋がせていた。奇跡はめったに起こらないと言いますが、結構起きるのです(笑)。

 

B: プレスリーの音源は一切使用されていない、すべてジョン・マキナニーが歌っている。

A: ボー監督がトリビュート・バンド「エルビス・ビベ」のジョン・マキナニーに接触したのは、当時構想していた主役の演技指導を打診するためだった。ところが会った瞬間、主役が目の前に立っていた、というわけです。奇跡は起こるのですね。

B: しかし、この逸話は眉唾だね。マキナニーはエルヴィスのトリビュートとして有名だったから、最初から彼に白羽の矢を立てていたにちがいない。声や体型は言わずもがな、マイクを握る太い指、歌唱中に吹きでる汗までそっくりだった。

 

    

     (トリビュート・バンド「エルビス・ビベ」で歌うジョン・マキナニー)

 

A: どちらにしろ彼の人生は変わってしまった。テレビのトーク番組のゲストに呼ばれたり、ガストン・ポルタルが監督したTVミニシリーズ“Babylon”(12)に1話だけですが出演した。

B: エルヴィスとはまったく関係ない刑事ドラマでした。

 

              親の「七光り」もラクではない

 

A: 前回アルマンド・ボーのキャリアについては簡単にご紹介しましたが、祖父と姓名が同じのため二人はごちゃまぜに紹介されています。父親のビクトルがミドルネームを付けなかったせい、アルゼンチンでは「nieto孫」を付けて区別しています。ミューズだったイサベル・サルリが出演している作品は祖父の監督作品です

 

B: ボー監督は現在6歳になる長男にも同じアルマンドを付けた。日本では戸籍法があるからこういう自体はあり得ない(笑)。

A: 有名人の「○○の子供」「××の孫」は七光りの反面重荷になることもある。彼は勉強嫌いだったらしく、特に数学がダメだった。16歳から広告業界で働き始めたのもそれがあるね。ニューヨーク・フィルム・アカデミーも父親に行かされたと語っている。たったの4ヶ月在籍しただけ、縛られるのが嫌いなのでしょう。

B: 本作を共同執筆したニコラス・ヒアコボーネはエルサルバドル大学で学んでいる。アルマンド・ボーの長女の子供、というわけで従兄弟同士です。

 

A: 前回も書きましたが、現在はロスアンゼルスの閑静なベニス地区に転居している。理由はコマーシャルの仕事にはアメリカのほうがいいから。それもあるでしょうが、何につけ祖父や父親と比較されるのが重荷になっているのかもしれない。

B: 脚本を共同執筆した『バードマン』がアカデミー賞を受賞したことも大きい。ガラではジョージ・クルーニーと一緒にコーヒーを飲み、ミック・ジャガーと歓談し、ベッカムが「見たなかではバードマンが一番面白かったよ」と言うために近寄ってきたとか。

A: 「受賞したから言うわけじゃないが、息子を誇りに思う」父親も我が子の晴れ舞台にアルゼンチンから駆けつけた。「私の父も私も成し遂げなかった快挙」と興奮気味のビクトル、妻ルチアナともどもボー一家は興奮の渦に巻き込まれた。たかが映画ですが、これがオスカーなのです。

 

B 他にも祖父のミューズだったイサベル・サルリの逆鱗が理由の一つだったのでは?

A: 「私のことを祖父のアマンテだったと言ったけど、私は彼の祖父のアモールだったのよ。彼の祖父が死んだとき、孫は赤ん坊だった。私についてよくも知らず、あんな発言をするのは恩知らずの碌でなしがすること。ボー一族について話すのは気分が良くない。私にはボーという姓はアルマンドの死とともに終わったの。まったく○×△☆・・・」

B: もう女優は引退していると思うが意気軒昂、やはりボー一族とは確執があったようですね。

A: 孫も悪気があって言ったわけではないが、口は禍いの門、狭い世界です。

 

         映画だけでは食べていけない―今後の活躍

 

B: 一生制作するとは思わないが、コマーシャルを制作するのは映画だけでは食べていけないから。映画は34年かかる。両方やってみて分かったことだが、映画とコマーシャルを同時に進行させるのは無理だと語っている。

A: 広告と映画はとても異なった世界、素晴らしい広告を制作できたからといって素晴らしい映画が作れるわけではない。すべての映画監督に当てはまるわけではないけど、その逆も同じ、とインタビューに答えている。

 

B: 家では映画があふれていたけど、若い時は映画を見なかった。見ていたのはサッカーだったとか。アルゼンチンの普通の若者像です。

A: 無意識のうちに祖父や父の重圧に反発していたのかも。好きだった映画は196070年代のハリウッドやヨーロッパ映画、コッポラの『ゴッド・ファーザー』、キューブリックの『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』、キューブリックは今でも無敵を誇る存在とか。

B: 『2001年宇宙の旅』に使用されたリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が本作にも登場していた。

 

A: より若い監督作品では、ポール・トーマス・アンダーソンの群像劇『マグノリア』、スパイク・ジョーンズ『マルコヴィッチの穴』、スティーブン・ソダーバーグ『セックスと嘘とビデオテープ』を挙げている。ベン・スティーラーが自作自演した『ズーランダー』も大好きだそうです。

B: 自国の映画はお呼びでないようです。

 

A: 新作Lifeline16)は30分の中短編、来年には『バードマン』のスタッフが再びチームを組んで10話構成のTVミニ・シリーズThe One Percent(“1%”)が始まる。エド・ハリスやエド・ヘルムズ、ヒラリー・スワンクなどが出演する。ボー監督は脚本と製作の一翼を担うことになる。

  

『女体蟻地獄』(1958El trueno entre las hojas”、1962公開)、脚本をアウグスト・ロア・バストスが執筆したもので高評価だった。またミス・ユニヴァースのアルゼンチン代表、セックス・シンボルだったイサベル・サルリ(1935~)のデビュー作でもある。『裸の誘惑』(1966Naked Temtation”、1967公開)はイギリス映画、『獣欲魔地獄責め』(1973Furia infernal”、1974公開)には、息子ビクトルが初めて出演した。祖父の映画はセックスを売り物にしたploitation映画と言われ、邦題もそれに準じて付けられておりますが、かなり表層的な見方と思います。最後の作品となる“Una viuda descocada”(仮題「厚かましい未亡人」80)は、エロティック・コメディながら裏に皮肉な社会批判が込められている。豊かな胸を武器に次々にエロおやじを餌食にして墓石のコレクターになる未亡人にサルリが扮した。当時のアルゼンチンは「恐怖の文化」が支配した軍事独裁政権時代、こういう映画を見ると複雑です。翌年脳腫瘍のため67歳で没したとき、孫アルマンドは未だ2歳でした。