『エルヴィス、我が心の歌』*模倣の人生を生きる ① ― 2016年06月22日 18:29
エルヴィスのトリビュート・アーティスト、カルロスの生き方
★2012年と大分前のアルゼンチン映画『エルヴィス、我が心の歌』が劇場公開された。これも偏にアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン』が2015年アカデミー作品賞を受賞したお陰です。アルマンド・ボー監督が脚本の共同執筆者の一人だったからです。『エルヴィス、我が心の歌』がサンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティノ」部門のグランプリ、トゥールーズ映画祭「シネラティノ」部門の批評家賞、UNASUR映画祭の脚本賞などなどを受賞しただけでは公開されなかったでしょう。それと同胞ダミアン・ジフロンの『人生スイッチ』が後押ししてくれたかもしれない。
『エルヴィス、我が心の歌』(原題“El ultimo Elvis”、英題“The Last Elvis”)2012
製作:Anonymous Content / K&S Films / Rebolucion / Kramer & Sigman Films
協力:INCAA / Telefe
監督・脚本・編集・製作者:アルマンド・ボー
脚本(共):ニコラス・ヒアコボーネGiacobone
美術:ダニエル・Gimeleberg
音楽:セバスティアン・エスコフェ
撮影:ハビエル・フリア
録音:マルティン・ポルタ
編集(共):パトリシオ・ペナ
衣装デザイン:ルチアナ・マルティ
メイクアップ:アルベルト・モッチャMoccia
特殊効果:クラウディオ・ラングサム
製作者:ビクトル・ボー
データ:製作国アルゼンチン=米国、スペイン語・英語、2012,91分、撮影地ブエノスアイレス、公開アルゼンチン2012年4月26日、フランスとスペイン2013年1月、他ブラジル、オランダ、ポルトガルなど。
映画祭・受賞歴:サンセバスチャン映画祭2012ホライズンズ賞、2012年アルゼンチン・アカデミー賞6部門(作品賞・新人監督賞は逃す)、UNASUR(南米諸国連合)映画祭2012美術・衣装・脚本の3賞、トゥールーズ映画祭シネラティノ批評家賞、チューリッヒ映画祭監督賞、イースト・エンド映画祭作品賞、2013年コンドル賞(アルゼンチン批評家賞)などを受賞。2012年のサンダンス、ビアリッツ「ラテンアメリカシネマ」などの映画祭で上映された。
キャスト:ジョン・マキナニー(エルヴィス/カルロス・グティエレス)、グリセルダ・シチリアニ(プリシラ/妻アレハンドラ・オレンブルグ)、マルガリータ・ロペス(娘リサ・マリー・グティエレス)、コリナ・ロメロ(秘書)、ロシオ・ロドリゲス・プレセド(ニナ)、他
プロット:エルヴィス・プレスリーの幻影を生きたカルロス・グティエレスの人生が語られる。カルロスはブエノスアイレスの貧しい労働者地区の工場で働きながら、夜は〈エルヴィス〉のトリビュート・アーティストとしてステージに立っている。妻アレハンドラをプリシラと呼び、一人娘にはリサ・マリーと名付けた。自分は神から素晴らしい声を授かった特別な人間、エルヴィスの化身なのだ。だからエルヴィスと同じ体型を維持するため彼の好物ピーナッツバター・バナナサンドを毎日食べているのではないか。妻は妄想にとり憑かれた夫の言動に耐えられず、娘を連れて遠の昔に家を出てしまっていた。しかし彼の心を占めているのは、自分が間もなくエルヴィスの旅立った年齢に近づいていること、カルロスに〈その後〉はないのだった。仕事を辞めてグレースランドへの準備を始めた矢先、思わぬ事故が起きて娘を引き取ることになったカルロス、計画は頓挫してしまうのだろうか。自己否定がゆえに他人の人生を選んでしまった男の物語。
(ジョン・マキナニー、グリセルダ・シチリアニ、監督)
監督紹介:アルマンド・ボーArmando Bo/Bó (nieto)、1978年ブエノスアイレス生れ、脚本家、監督、製作者、編集者。父親ビクトル・ボーは俳優、製作者、本作の製作者の一人。祖父アルマンド・ボー(1914~81、脳腫瘍のため死去、享年67歳)は伝説的なシネアスト、俳優、脚本家、監督、作曲家。アルゼンチンで〈アルマンド・ボー〉といえば、1939年にデビューした美男俳優、50年代半ばから監督もした祖父のことを指した。それで「アルマンド・ボーの孫」、またはJr.ジュニアを付けたり、愛称のアルマンディートと呼ばれている。いわゆる親の「七光り」派、未だ10代の終わり、何も発表していない頃からデビュー作の受賞が期待されていた。
★ブエノスアイレスのベルグラノ地区の私立高校で学ぶ。俳優デビューは12歳の頃、父ビクトルが製作したコメディ“Ya no hay hombres”(1991、監督アルベルト・Fischerman)に経費節減のため無料で出演した。1997年、アンドレス・ペルシバレ他によって制作したTeleganasのゲーム・プログラムに参加する。
その後、制作会社「La Brea」に入社、多数のコマーシャルに携わる。撮影はぶつ続け30時間と殺人的な作業だったが、ここでの経験が後で役に立った。しかし監督という家業を継ぐのは運命と思い定め、3年ほどで退社、ニューヨークの映画学校で本格的な映画製作の勉強を始める。
(お洒落ではないが身だしなみには気をつけているという最近の監督、2016年1月撮影)
★2005年、パトリシオ・アルバレス・カサドと一緒にコマーシャル制作会社「Rebolucion」(本部はアルゼンチンとブラジル)を設立、イベロアメリカの優秀なプロデューサーの一人となった。制作した120のコマーシャルのうち、50作近くが国際的な賞を受賞している(これには祖父や父親の「七光」を割り引かねばならないが)。2010年、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『ビューティフル』の脚本をN・ヒアコボーネ、監督と共同執筆し、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。2014年、同監督の『バードマン』が第87回アカデミー賞の作品・監督・脚本・撮影の4賞を受賞、脚本の共同執筆者の一人として授賞式に出席した。
(左から、N・ヒアコボーネ、A・G・イニャリトゥ、アレクサンダー・ディネラリス、
今宵のために新調したタキシード姿のA・ボー、アカデミー賞2015授賞式にて)
★脚本の共同執筆者ニコラス・ヒアコボーネは従兄弟、脚本家、作家、製作者、短編映画も撮っている。A・G・イニャリトゥの最新作『レヴェナント 蘇りし者』の製作にも参加している。衣装デザインを担当したルチアナ・マルティは妻、既に6歳と2歳の息子がいる。2015年1月よりロスアンゼルスのベニス地区に転居、仕事の本拠地をアメリカに移している。
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