『真珠のボタン』 水の記憶*パトリシオ・グスマン2015年11月16日 16:31

サンチャゴで公開された『真珠のボタン』

 

★遺骨を探し続けている二人の女性が談笑しながら星の観察をしている。初めて見せる二人の笑顔で前作『光のノスタルジア』は幕を閉じました。かすかな希望を抱いて『真珠のボタン』を続けて見ました。自然が作りだす驚異的な美しさに息をのみましたが、人間のあまりの愚かさ残酷さにスクリーンがぼやけてしまう作品でした。929日、やっとチリの首都サンチャゴで初めて公開されたということは、チリにも一筋の光が射してきたということでしょうか。

 

   

      『真珠のボタン』“El botón de nácar”(“The Pearl Button”)

製作Atacama Productions / Valdivia Film / Mediapro / France 3 Cinema

監督・脚本パトリシオ・グスマン

助監督:ニコラス・ラスにバット

撮影:カテル・ジアン

音響:アルバロ・シルバ、ジャン・ジャック・キネ

音楽:ミランダ & トバル

編集:エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ、フェルナンド・ラタステ、ジャウマ・ロウレス他

データ:製作国フランス、チリ、スペイン、スペイン語、2015年、82分、ドキュメンタリー、主な撮影地:西パタゴニア、チリ公開:929

受賞歴:ベルリン映画祭2015銀熊脚本賞・エキュメニカル審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015山形市長賞、ビオグラフィルム・フェスティバル2015(ボローニャ)作品賞・観客賞ほか、エルサレム映画祭2015ドキュメンタリー賞、フィラデルフィア映画祭2015審査員賞、各受賞。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品、他ノミネーション多数。

 

登場する主な語り部たち

ガブリエラ・パテリト(カウェスカル族の末裔、推定73歳。手工芸品製作者)

クリスティナ・カルデロン(ヤガン族の末裔、86歳。文化・歴史・伝説の伝承者、

  手工芸品製作者)

マルティン・G・カルデロン(クリスティナの甥、古代からの製法でカヌーを製作している)

ラウル・スリタ(拷問を受けた共産党活動家、詩人。2000年国民文学賞を受賞)

ガブリエル・サラサール(アジェンデ政権時の極左派MIRの活動家。チリ大学哲学科・法科の教授、2011年国民賞受賞)

クラウディオ・メルカド(人類学者、実験音楽の作曲家・演奏家、伝統音楽の継承者)

ラウル・ベアス(ボタンが付着したレールを引き上げたダイバー)

フアン・モリナ(197911月のデサパレシード投棄に携わったヘリコプターの元整備士)

アディル・ブルコヴィッチ(ヘリコプターで海中に投棄されたマルタ・ウガルテの弁護士)

ハビエル・レボジェド(遺体を海中に投棄するため胸にレールを括りつける行程を再現したジャーナリスト・作家)

パトリシオ・グスマン<影の声>

パス・エラスリス(写真家、カウェスカル族の写真提供者)

マルティン・グシンデ(写真家・司祭、セルクナム族のモノクロ写真提供者)

 

プロット:大洋は人類の歴史を包みこんでいる。海は大地と宇宙からやってくる声を記憶している。水は星の推進力を受け取って命ある創造物に伝えている。また水は、深い海底で廻りあった二つのミステリアスなボタンの秘密を守っていた。一つはパタゴニアの先住民の声、もう一つは軍事独裁時代の行方不明者の声、水は記憶をもっている。宇宙に渦巻く水の生命力、パタゴニアに吹く乾いた風、銀河系を引き裂く彗星、チリの歴史に残る悲劇的なジェノサイド。チリの片隅から眺めたすこぶる個人的な要素をもつパトリシオ・グスマンの<影の声>は、純粋さと怒りに溢れている。これは記憶についてのエレガントで示唆に富む美的思索のドラマ。      (文責:管理人)

 

         チリの歴史を凝縮した水の言葉―-二つのボタン

 

A: チリの北部アタカマ砂漠から始まった水と宇宙についての物語のテーマは、アンデス山脈に沈み込む最南端の西パタゴニアの水と氷の世界に私たちを導いてゆく。

B: 白ではなくまるで青いガラスの壁のような氷河の映像には息を呑みます。宇宙飛行士ガガーリンのように宇宙に飛びださなくても、地球が水の球体であることが実感できる。

A: 「地球は青かった」は不正確な引用らしいが、とにかく約70パーセント以上は海という球体です。なかでも全長4600キロに及ぶチリの国土は太平洋に面している。だから海洋国家なんですね。でも海の恵みを無視してきた歴史をもつ国家でもある。 

 


B: 自然の驚異を見せるための自然地理学の映画ではない。海に眠っていた二つのボタン、一つは19世紀末にやってきた白人によって祖国と自由を奪われた先住民の声を語るボタン、もう一つはピノチェトの軍事クーデタで逮捕されたデサパレシードの声を語るボタンです。

A: この二つのボタンの発見がなければ、このように理想的なかたちの映画は生れなかったかもしれない。このミステリアスなボタンが語り出すのは、闇に葬られたチリの歴史です。

B: 抽象的で思索的なメッセージなのに分かりやすく、ストレートに観客の心に響いてくる。忘れぽいチリ人に記憶の重要性を迫っていた前作よりずっと深化している。

 

  • desaparecido:広義には行方不明者のことですが、ラテンアメリカ諸国、特にアルゼンチンでは軍事政権下(197684)で政治的に秘密警察によって殺害された人々を指し、航空機・海難事故などの行方不明者は指しません。隣国チリでもピノチェト軍事政権下(197390)の行方不明者を指し、本作でもその意味で使われています。

     

           先住民やデサパレシードたちの墓場は海の底

     

    A: 遺族並びに体験者の最大の苦しみは、差別や迫害ではなく無関心だということです。たくさんの語り部たちの他に、例えば17回も南極大陸に旅し、冒頭シーンの撮影に協力した二人の冒険家、チリの完全な地図を制作した画家エンマ・マリク、先住民の写真を提供してくれた二人の写真家などが本作を支えています。

    B: 19世紀の初めにパタゴニアにやってきたイギリス船に乗せられて、石器時代から産業革命のイギリスに旅をして、ジェミー・ボタンと名付けられた悲劇のインディオ。1年後に戻ってきたが元の自分に戻れなかった。

 

               

                (パタゴニアの先住民)

 

  • A: 船長フィッツロイの任務は土地の風景や海岸線を描くことで、彼の地図は1世紀にわたって使用された。つまり白人の入植者に役立ったことが、皮肉にも先住民の文化破壊や、ひいてはジェノサイドにつながった。

    B: 当のフィッツロイ船長に悪意はなかったが、150年後に押し寄せた入植者には、先住民の存在は邪魔で目障りだったということです。

     

    A またヘリコプターから太平洋に投棄され、1976912日にコキンボ州の海岸に打ち上げられたマルタ・ウガルテ、レールが外れて浮上した。海底を捜索したらもっとレールは見つかるはずだと監督。

    B: 殺害された人数は約3000人、うち1200人から1400人が海や湖に沈められたからですね。

     

  •         

  •          (軍事独裁時代の犠牲者を船中から探すグスマン監督)

     

    A: 800個所もあったという強制収容所の一つ、ドーソン島に収監されていた人々の声を拾っている。逮捕監禁され拷問を受けた人数は35,000人ともその倍とも言われている。アジェンデ派の政治犯や反体制活動家だけでなく、存在そのものが目障りだった先住民、学生、未成年者もいた。アルゼンチンと傾向は同じです。

    B: 先住民のジェノサイド、18世紀には8000人が暮らしていたという西パタゴニアの先住民は、現在たったの20人しかいない、にわかには信じられない数字です。

     

    A: カウェスカル族の末裔ガブリエラが「神は持たないから、警察は必要ないから」カウェスカル語にはないとインタビューに答えていた。警察がないのは当たり前、聞くまでもないか。『光のノスタルジア』でも言ったことだが、本作にはドキュメンタリーとしてギリギリの演出がありますね。

    B: ヘリコプターからのダミー投棄の再現はいい例です。

    A: フレデリック・ワイズマンとの対談で「ドキュメンタリーが情報伝達だけのメディアにならないように」したかったと語っていましたが。

     

  •     

  •           (カウェスカル族の末裔ガブリエラ・パテリト)

     

          記憶をもたない国にはエネルギーがない

     

    B: 国際映画データバンク(IMDb)にも載っていなかったし、まさかサンチャゴで公開されていたなんて驚きです。現在の政権ミシェル・バチェレ(第2期)が影響してるのか、ベルリン映画祭の銀熊賞を無視できなかったのか()

    A 現在グスマンはパリに住んでおり、彼が創設者である「サンチャゴ・ドキュメンタリー国際映画祭(Fidocs)」で本作がエントリーされ帰国していた。「海を介して過去と和解する映画」と観客に紹介したそうです。「記憶を検証しなければ未来は閉じられる」とも。

     

    B: ベルリンのインタビューでは、チリではデサパレシードをテーマにした映画を作る環境にない、それが唯一できるのはアルゼンチンだけで、ブラジル、ウルグアイなどおしなべてNOだと語っていた。

    A: 「恐怖の文化」が国民を黙らせている。スペインの「エル・パイス」紙が反フランコで果たしたようなことを、チリの「エル・メルクリオ」紙は果たしていない。それは「報道の自由、映像の自由」がないからです。軍事独裁が16年間に及んだこと、民政化は名ばかりで、グスマン監督も「暗黙の恐怖が支配している。政治に携わる人たちは、今もってアジェンデの理想を裏切っている」と語っていた。

     

    B: アルゼンチンの民主主義も脆弱と言われていますが、それでも民生化3年後にルイス・プエンソが『オフィシャル・ストーリー』(86)を撮ることができた。アカデミー賞外国語映画賞を初めてアルゼンチンにもたらし、今や古典といってもいい。

    A: ルクレシア・マルテルのメタファー満載の「サルタ三部作」も軍事独裁時代の記憶をテーマにしている。ここでは深入りしませんが字幕入りで見られる映画が結構あります。

     

    B: チリでもベテランのミゲル・リティンの“Dowson Isla 10”(直訳「ドーソン島1009)アンドレス・ウッドの『マチュカ』(06)や『サンチャゴの光』(08)、若いパブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」**など力作がありますが、アルゼンチンには遠く及ばない。

     

    「サルタ三部作」:『沼地という名の町』(La cienaga 01)、『ラ・ニーニャ・サンタ』(La nina santa 04)、『頭のない女』(La mujer sin cabeza 08

    **「ピノチェト政権三部作」:『トニー・マネロ』(Tony Manero 08)、“Post mortem10、『NO』(12

     

           私の家族はノマドでした―移動もテーマ

     

    A: 監督は「私の家族はノマド(放浪民)」と言うように子供の時から国内をあちこち移動している。チリは旧大陸からの移民国だから彼に限ったことではないが、ラテンアメリカ映画のテーマの一つは移動です。

    B: カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した、セサル・A・アセベドの『土と影』も移動が重要なテーマでした。

    A: 映画仲間もすこぶる国際的、デビュー作El primer año”(1972)にはフランスの友人クリス・マルケル監督のプロローグ入りだった。サンティアゴで公開されたときには、彼も馳せつけ、フランスやベルギーでの上映にも寄与してくれたし、三部作「チリの戦い」(“La batalla de Chile”)の撮影にも協力を惜しまなかった。

    B: 2012年に91歳で鬼籍入りしたが、ゴダール、アラン・レネ、ルルーシュ、アニエス・ヴァルダなどが好きなシネマニアには忘れられない監督です。

     

    A: 「チリの戦い」の編集を担当したペドロ・チャスケル1932年ドイツ)は、7歳のときチリに移民、1952年にチリ国籍を取っている。共にチリの新しい映画運動を担ったシネアスト、軍事クーデタでキューバに亡命、1983年帰国、キューバではICAICで編集や監督の仕事をしていた。

    B: 彼もノマドかな。

    A: 本作には関わっていないが、彼のドキュメンタリーというジャンルの的確な判断の手法が影響しているそうです。「クール世代」と言われる前出のアンドレス・ウッドやパブロ・ララインを育てたカルロス・フローレス・デルピノなども、チリの民主化に寄与しています。彼は1994年設立の「チリ映画学校」の生みの親、2009年まで教鞭をとっていた。

     

                不寛容と偏見に終わりはない

     

    A: 現代のチリでは、ホモセクシャルの人間に権利はないと監督、『家政婦ラケルの反乱』で大成功をおさめながらニューヨークに本拠を移したセバスチャン・シルバなどがその好例です。チリではパートナーと一緒に暮らすなどできない。それに彼は自信家でハッキリものを言うタイプだから、先輩シネアストの心証が良くないのかもしれない。

    B: ラテンビートで『マジック・マジック』と『クリスタル・フェアリー』がエントリーされたが、英語映画にシフト変更です。彼もララインの仲間ですが、現状が続くと才能流出も止まらない。

     

    A: 今ではラテンアメリカ諸国の軍事独裁政は、赤化をなんとしてでもキューバで食い止めたいCIAの指導援助の元に行われたことが明らかです。

    B: 拷問の手口が金太郎の飴だった。ベトナムで培った方法を伝授した。商社や大使館の職員に身をやつしてパナマにある養成機関で教育した。

    A: チリの「No」か「Yes」の国民投票をピノチェトに迫ったのも事態を沈静化したいCIAの思惑で行われたが、結果は逆方向になってしまいました。

     

    B: アンデス山脈を中心に第三部が作られる話が聞こえてきています。

    A: チリは有数の火山国でアンデス山系には多くの活火山がある。火口や火口湖にもデサパレシードを投棄したからじゃないか。アタカマ砂漠、太平洋、アンデス山脈、この三つに犠牲者は弔ってもらうことなく眠っています。

     

    パトリシオ・グスマン監督のキャリア&フィルモグラフィーは、前回の『光のノスタルジア』を参照してください。

     

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