『光のノスタルジア』 星と砂漠*パトリシオ・グスマン2015年11月11日 11:39

★東京国際映画祭で見たホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』を先にアップするつもりでおりましたが、鑑賞しているあいだ最近見たばかりの『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の寡黙でありながら雄弁な語り口が思い出され、ゲリンになかなか入りこめなかった。このパトリシオ・グスマンの作品を先に文字にしないと先に進めない。と言っても語る言葉が容易に見つからないんだが。まずデータでウォーミングアップしよう。

 


     『光のノスタルジア』“Nostalgia de la luz 2010

製作:Atacama Productions () / Blinker Filmproduktion & WDR () / Cronomedia (チリ)

監督・脚本・編集:パトリシオ・グスマン

撮影:カテル・ジアン

音響:フレディ・ゴンサレス

音楽:ミランダ&トバール

編集(共同):エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ

データ:製作国フランス=ドイツ=チリ、言語スペイン語、英語、ドキュメンタリー、90分、カラー(資料映像のモノクロを含む)、チリ公開未定、フランス、ドイツ、USA、イギリス、日本などで公開

受賞歴:ヨーロッパ映画賞2010ドキュメンタリー賞、アブダビ映画祭2010ドキュメンタリー「ブラック・パール賞」、国際ドキュメンタリー協会賞2011IDA賞」、シェフィールド・ドキュメンタリー映画祭2011スペシャル・メンション、ロサンゼレス・ラテン映画祭2011審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011最優秀賞、トロント映画祭2012TFCA賞」などを受賞

映画祭ノミネーション:カンヌ映画祭2010コンペ外正式出品、ほかにメルボルン、トロント、サンセバスチャン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ビアリッツ(ラテン部門)、テッサロニキ・ドキュメンタリーなどの国際映画祭で上映された。

 

登場する主な思索者たち

ビクトリア・サアベドラ(行方不明者デサパレシードの弟ホセの遺骨を28年間探し続けている)

ビオレータ・べりオス(デサパレシードのマリオの遺骨を28年間探し続けている)

ガスパル・ガラス(軍事クーデタ後に生れた若い天文学者、人類と宇宙の過去を探している)

ラウタロ・ヌニェス(数千年前のミイラと遺骨を探す女性たちと語り合える考古学者)

ミゲル・ローナー(強制収容所から生還できた記憶力に優れた建築家)

ルイス・エンリケス(星座を観察することで生き延びた強制収容所体験者、アマチュア天文学者)

ビクトル・ゴンサレス(ヨーロッパ南天天文台のドイツ人技師)

V・ゴンサレスの母(クーデタ後ドイツに亡命、現在は遺族のヒーリングマッサージをしている)

バレンティナ・ロドリゲス(両親がデサパレシード、天文団体の職員、二児の母)

バレンティナの祖父母(誕生したばかりのバレンティナを養育した)

ジョージ・プレストン(人間は星の中に住む宇宙の一部と語る天文学者)

 

プロット:チリの最北端アタカマ砂漠では、天文学者たちが約138億年前に誕生した宇宙の起源に関する答えを求めて星を見つめ続けている。一方地表では、考古学者が数千年前の人類の歴史を探して発掘している。更に女性たちがピノチェト独裁政権時代に殺害され砂漠に遺棄された家族の遺骨を求めて掘り続けている。共に目的の異なる過去への旅をしているが、もう一人の過去の探求者グスマンに導かれ砂漠で邂逅する。                  (文責:管理人)

 

       グスマンを駆り立てた二人の女性のパッション

 

A: フィルモグラフィーを見ると、2005年に「私のジュール・ヴェルヌ」を撮った後、少し長い4年間のブランクがある。テーマははっきりしているのにカチッと鍵が回らない。このブランクは自問しながら格闘している監督の時間です。ところが28年間も家族の遺骨を探し続けている二人の女性に出会って、突然砂漠と星がシンクロする。こういう瞬間を体験することってありますね。

B: 彼は子どもの頃からの天文学ファンで最初のガールフレンドは考古学者だった。しかし天体望遠鏡を通して見える宇宙の過去とか、砂漠を発掘して過去を辿る話を撮りたかったわけではない。

 

A: 付録として最後に簡単なプロフィールを紹介しておいたが、彼の原点は「もう一つの911」と言われる、1973年のピノチェト軍事クーデタにある。常にその原点に立ち戻っている。5年後に撮った『真珠のボタン』も本作に繋がり、テーマは円環的だから閉じることがないのかもしれない。

B: 一応二部作のようだが、「チリの戦い」のように三部作になる可能性もあるね。

 

A: 監督はクーデタ後、逮捕されて2週間国立競技場に監禁されるという体験の持ち主、まかり間違えば行方不明者デサパレシードになる可能性があった。

B: 日本でも多くのファンがいるシンガー・ソング・ライターのビクトル・ハラが監禁されたと同じ競技場ですか。

A: 彼はチリ・スタジアムのほうで、5日後の916日には銃殺されています。サンチャゴの親戚を訪問中に偶然クーデタに遭遇したロベルト・ボラーニョも逮捕監禁された。なんとか友人たちの助けで無事メキシコに戻れましたが、人権などクソみたいな時代でした。

B: 行方不明者の6割が未だに分かっていないそうだから、まだ終わっていない。世界の映画祭で上映され公開もされていますが、本作も『真珠のボタン』もチリ国民は、見ることができません。

 

A: 映画の存在さえ知らないのではないか。30年前に起こったことを教科書は載せていないから、チリの子どもたちが学校で学ぶことはない。ということはクーデタ以後に生れた世代はクーデタがあったことさえ知らないですんでいる。死者の中には先住民、外国人、未成年者も含まれている。逮捕され強制収容所に送られた人数が3万人とも10万人とも言われているのに、チリの夜明けは遠い。

B: アジェンデ大統領の孫娘が撮った『アジェンデ』の中で、「祖父のことを話すことは家族のタブーだった」と監督が語っていたが、家族どころか国家のタブーなんだ。

 


A: 事実の検証はチリ国民が抱える負の遺産だが「あったことをなかったことにすることはできない」。チリの慣例では元大統領は国葬ということですが、2006年当時の大統領ミシェル・バチェレが拒否した。父親が犠牲者だったことや自身も亡命を余儀なくされたのを配慮して見送られたとも。しかし、陸軍主催の葬儀は認めざる得なかった、それが当時の限界だった。

B: 日本でもその盛大な葬儀の模様がニュースで流れたが複雑な感慨を覚えた。遺骸に唾を吐きかける人、チリ国民をアカの脅威から守った偉大な大統領と賞讃する人、対話が始まるのは半世紀先か、1世紀後か。映画から伝わってくるのは今でもチリ社会は暗闇の中ということ。

 

           これはドキュメンタリーですか?

 

A: さて映画に戻して、ドキュメンタリーではなくフィクションを見ていると感じた人が多かったかもしれない。でもドキュメンタリーって何だろうかドキュメンタリーの定義は、一般的には作り手の主観や演出を加えることなく記録された映像作品を指すのだろうが、実際そんなドキュメンタリーは見たことない。この定義だと「できるだけ客観性や中立性を重んじる」報道とどこが違うのか。個人的にはドキュメンタリーもフィクションの一部と思っている。

B: 報道が客観性を欠くとプロパガンダになりかねないから当たり前です。本作はメタファーを媒介して監督の世界観が語られているから、定義を尊重するとドキュメンタリーではないことになるね。

 

A: 世界の代表的なドキュメンタリー作品は、すべて「ドキュメンタリーではない」ことになる。以前、ゴンサレス・ルビオの“Alamar”(2010メキシコ)がトロント映画祭で上映され、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか曖昧だということで、「これはどちらですか」と訊かれた監督、「これは映画です」と返事していた()

B: 蓋し名答だ。役者が台本通りまたは監督の演出通りに演技するかしないかの違いだ。本作でも登場人物の中には監督の意図を慮って発言しているように感じられる人もいた。編集に苦労したんじゃないかと思う。

A: 特に『真珠のボタン』にはその傾向が強かった。例えばヘリコプターから行方不明者を海に投下する映像は再現ドラマだった。事実だから捏造ではないが、もし報道だったら許されないシーンだ。

B: ドーソン島にあった強制収容所の生存者を一堂に集めて、「ドーソン島の方角を指して下さい」というヴォイスが流れると、多くの人が同じ方向を指すシーンなんかも演出があったかも。

 

           過去を語る記憶­―現実は存在しない

 

A: 天文学者のガスパル・ガラスが、「現実で経験することはすべて過去のことです」と語るが、確かに宇宙的時間では現在という時間は存在しないに等しい。彼らは138億前のビッグバンで生れた宇宙の過去を探しているが、二人の女性はおよそ30年前の過去を探している。同じ過去を探しているが、「私は夜になればぐっすり眠れる。しかし彼女たちは朝起きれば苦しみが始まる」とガラス。

B: ここに登場する人々は、おしなべて思索者、寡黙だが心に響く言葉の持ち主だ。グスマン監督を尊敬し、監督も彼らを尊重しているのが伝わってくる。上から目線ではない。

A: 監督が自問しながら、観客に問いかけているのが伝わってくる。これが魅力の一つ。

 

B: 考古学者のラウタロ・ヌニェスの言葉も重い。もし自分の子どもが虐殺されたとしたら遺骨を探し続けるし、決して忘れない。何びとも死ぬ運命に変わりはないが、どこで眠っているのか分からなければ葬ってやれない。

A: まだ答えを見つけていないし、「遺骨を探すのは、マリオを見つけてきちんと葬ってやりたいから」とビオレータ・ベリオス。遺骨がなければ「弟が死んだという事実を受け入れることができない」と語るビクトリア・サアベドラ30年前の家族の骨を探す人々なんか、頭のおかしい人という批判に抵抗している。

B: 軍事政権を支えた人たちには、先住民と同じように彼らは目障りな存在なんだ。

 


   (デサパレシードを探し続ける遺族たち、左端ビオレータ、右から2番目ビクトリア)

 

A: 一番記憶に残った人というのは、孫のバレンティナ・ロドリゲスを育てたという祖父母、ソファに座り失語症になったかのように無言、凄いインパクトだった。

B: バレンティナは「私の両親が高い理想と勇気をもった素晴らしい人たちだったこと、私に人生の喜びを教え、幸せな子供時代を送らせてくれた人」と敬意をこめて語っていた。

 


               (我が子を抱くバレンティナ)

 

A: 建築家のミゲル・ローナーの記憶力には驚かされた。5カ所の強制収容所の体験者、その収容所の図面を正確に記憶して、亡命後そのイラストを本に纏めて出版した。彼が再現した記憶術の方法は「基本のキ」だ。図面を書いたらすぐさま粉々に破り捨ててしまう。処分したので覚えていられたと思う。

B: 発見される危険と語っていたけど。チリ国民が「そんなことあったなんて知らなかった」と言わせたいために記憶した。記憶も本作の主題だね。

A: 映像の美しさは言葉にしても何の意味もありません、スクリーンで見てください。

 


                (建築家ミゲル・ローナー)

 

監督キャリア&主なフィルモグラフィー

パトリシオ・グスマンPatricio Guzmán 1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。彼によると、生れはサンティアゴだが「うちは一個所にとどまって暮らすことがなく遊牧民家族のように放浪していた。そのたびに学校も変わり、ビニャ・デル・マルに住んでいたこともあった」と語っている。1960年チリ大学の演劇学校で歴史学科(61)と哲学科(6265)に所属していたが経済的理由で中途退学した。4年間出版社で働き、その間小説や短編を執筆している。

 

しかし仕事に情熱がもてず映画に転身、8ミリで短編を撮り始める。1965年、カトリック大学の映画研究所とのコラボで短編デビュー作“Viva la libertad”(18分)を撮る。毎年1作ずつ短編を撮りつづけるが満足できず、海外の映画学校を目指す。しかし奨学金が下りず、当時の妻パメラ・ウルスアが家財道具をすべてを売却してマドリードへの切符を調達してくれた。マドリードでは国立映画学校の入学資金を得るため広告代理店で働き、1969年入学、翌年監督科の資格を取得。スペインでも大きい広告会社モロ・スタジオではたらいた後、19713月、前年に誕生していたアジェンデ政権の母国に戻る。 


最初の長編“El primer año”を撮る。1973911日ピノチェトの軍事クーデタが勃発、逮捕される。2週間国立競技場に監禁されるが、妻や友人たちの助けでチリを脱出、ヨーロッパへ亡命する。フランスの友人クリス・マルケル監督と一緒に仕事を開始、フランスのシネアストとの友好関係を維持しながら、キューバのICAICの援助を受けてドキュメンタリーを完成させている。

 

1997年サンティアゴ・ドキュメンタリー映画祭の創設者(Fidocs)、若いシネアスト・グループの援助や指導に当たっている。ヨーロッパやラテンアメリカの映画学校でドキュメンタリー映画の教鞭を執っている。現在は再婚したプロヂューサーのレナーテ・ザクセRenate Sachse(ドイツ出身)とパリ在住。先妻との間に二人の娘がおり共にシネアスト、しばしば父とコラボしている。

 

 

主な長編ドキュメンタリー

1972El primer año”「最初の年」100

アジェンデ政権最初の1年間を描く。友人クリス・マルケル監督のプロローグ入り

197579La batalla de Chile”「チリの戦い」(19757679)長編三部作、270

アジェンデ政権と軍事クーデタで政権が失墜するまでを描くドキュメンタリー

1987En nombre de Dios”「神の名において」100

ピノチェト軍事政権下で人権のためにチリのカトリック教会と闘ったドキュメンタリー

1992La cruz del sur”「サザンクロス」80

ラテンアメリカの庶民の信仰心についてのドキュメンタリー

1997Chile, la memoria obstinada”「チリ、執拗な記憶」58分中編、

チリ人の政治的記憶喪失についてのドキュメンタリー

2001El caso Pinochet”「ピノチェト・ケース」110

元独裁者ピノチェトのロンドンでの裁判についてのドキュメンタリー

2004Salvador Allende”「サルバドル・アジェンデ」102分、私的ポートレート

2005MI Julio Verne「私のジュール・ヴェルヌ」52分中編、フランスの作家の伝記

2010Nostalgia de la luz『光のノスタルジア』90分、省略

2015El botón de nácar『真珠のボタン』82分、省略

多数の短編、フィクションは割愛した。

 

国立映画学校1947年創立の国立映画研究所が、1962年改組されたもの。フランコ没後の1976年にマドリード・コンプルテンセ大学情報科学学部に発展吸収され現在は存在しない。卒業生にアントニオ・デル・アモ、アントニオ・バルデム、ガルシア・ベルランガ、ハイメ・チャバリ、イマノル・ウリベ、ホセ・ルイス・ボラウ、カルロス・サウラ、ピラール・ミロ、ビクトル・エリセなど他多数。スペインの映画史に名を残すシネアストが学んだ映画学校。

 

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