家族がテーマの一つだった*ラテンビート2015 ⑤2015年10月21日 11:10

 

3日間にわたって短編を含めると11本見たことになるのですが、「例年より小ぶりな作品が多いなぁ」と思っていました。しかし前回アップした『ザ・クラブ』のようにぐったり疲れる映画も含めて、結果的には結構楽しめたのではないか。「映画は映画館で」を再認識した映画祭でもありました。

 

★鑑賞した映画のリストは以下の通り(タイトル・監督名はプログラム表記による):

1日目:『選ばれし少女たち』(ダビ・パブロス)、『The Wolfpack』(クリスタル・モーゼル)、『ザ・クラブ』(パブロ・ラライン)

2日目:『アジェンデ』(マルシア・タンブッティ・アジェンデ)、『火の山のマリア』(ハイロ・ブスタマンテ)、『Paco de Lucia』(クロ・サンチェス)、『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』(ピーター・グリーナウェイ)

3日目:『パーカー』(ガブリエル・セラ・アルゲージョ)、『パウリーナ』(サンティアゴ・ミトレ)、『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』(アレックス・デ・ラ・イグレシア)、『ザ・キング・オブ・ハバナ』(アグスティ・ビジャロンガ)

『土と影』(セサル・アウグスト・アセベド)は、東京国際映画祭で鑑賞予定です。

 

 家族vs疑似家族、家族の定義は複雑

 

A 最初の日に見た3作が、期せずして「家族とは何?」というテーマを扱っていた。『ザ・クラブ』のように一つ屋根に閉じ込められている疑似家族もある一方、『選ばれし少女たち』の家族は両親と二人の息子は実の親子でも、息子は少女売春の手先となって餌食となる少女のスカウトに加担している。

B 四、五人いた幼児たちは売春させている女性たちが生んだ子供で、彼女たちの逃亡を防ぐ「人質」に過ぎない。また「しあわせ家族」を演出するための小道具としても利用している。ここにあるのは愛ではなく、欺瞞と暴力と恐怖だ。(中央がソフィア)

 


A 息子ウリセスの挫折は餌食にしようとした少女ソフィアを不覚にも愛してしまったことでした。彼女を救い出すために身代わりになる餌食を探すウリセス、彼は自己改造するには幼なすぎる。苦労が実って救い出せるが、二人のあいだに以前のような愛は永遠に戻ってこない。ソフィアの目にウリセスは両親から自立できない悪の手先にしか映らない。向き合った二人の間には深い谷底が横たわっている。

B ソフィアを働かせるのを渋る息子に「わたしたちは家族なんだから協力し合わなくちゃ」と諭すセリフには背筋が凍った。最後の長閑な一家団欒のピクニックのシーン、幸せ家族がするだろう日常会話にも監督の怒りがにじみ出ていた。画面構成、照明なども優れていました。

 

A カンヌの「ある視点」に選ばれただけあってレベルの高さを感じた。麻薬戦争映画のように実弾こそ飛びかいませんが、メキシコにはびこる裏社会の恐怖を静かに告発していた。さて、ニューヨークはロウアー・イーストサイドのアパートに両親に監禁されていた7人兄妹の<解放物語>は、「子供は親を選んで生れることはできない」ということを、今さらながら恐怖させる映画でした。

B 21世紀のアメリカに『The Wolfpack』のような家族が存在していたとは信じがたい。末娘は知的な障害があるように見えた。ペルー出身の父親の「理想」に固執した手前勝手な哲学、それを疑いながらもアクションを起こさなかったアメリカ人の母親には怒りすら覚えた。
(写真下、監督と6人の兄弟)

 

 

A 「女性は子供を3人生んだら哲学者になれる」と言ったのはバーナード・ショーだが、彼女は7人も生んだのだ()。このドキュメンタリーは子供の視点で作られていたが、問題は両親、とくに父親にあるのだから、もっと父親の主張の掘下げに焦点を当てるべきだった。

B 悪に満ちた社会から子供たちを守るために監禁したと主張する父親、部屋の鍵はこの父親だけが持っていた。この看守でもあった父親への切り込みが中途半端、インタビュアーが未熟の印象を受けた。母親は聡明な片鱗をうかがわせましたが、夫の共犯者として自分を正当化しようとしていた。子供たちは逞しかったが、兄弟の一人が「父を許さない」と語っていた。

 

A 彼の社会復帰は難しそうです。このアパートを出て自立し始めた子供もいましたが、子供の性格、解放された年齢が何歳だったかにも左右されるのでは。刷り込み期間が長いと容易じゃない。父親は社会批判を楯に「働かない」のだが、この9人家族の生活費をどこから得ていたのか分からなかった。集中力を欠いていたから見落としているかもしれない。

B 母親が家庭教師をしていたようだが充分だとは思えないね。サンダンス映画祭2015の受賞作品のようですが、『The Wolfpackその後』みたいな続編を撮るべきです。この家族がどのように変容していくか追跡して欲しい。これは一家族の話ですが、似たような国家もあります。

 

       視点が複眼的になっていく『アジェンデ』の構成力

 

A: 家族を描きながら結果的に国家にも言及したのが『アジェンデ』でした。悲劇の一族アジェンデ大統領の孫娘が撮った、いわゆる家族史です。3月に軽い気持ちで紹介記事を書いたのですが、その後カンヌと並行して開催される「監督週間」に出品され、「ゴールデン・アイ」まで受賞したので「もしかして」と期待していたのです。

B 期待を裏切りませんでした。一族のタブーだった祖父のことが知りたくて始まった極めて個人的な企画が、次第に厚みを帯びチリ現代史になっていく台本が優れていた。

 

A 沈黙の一つの理由が「祖母の名誉を守る」目的だったことが分かる件りに、人間知らなくてもいいことがあるのだという複雑な感慨を覚えさせた。ユーモアに富み、みんなから愛された人でしたが<mujeriego>としても有名な「色を好む」御仁でもあった()。企画から完成まで長い年月を要しているから、監督自身の人間としての成長もあり、家族の重い口を開かせる努力や辛抱強さが監督を成長させたのでしょう。(在りし日の母娘、中央がアジェンデ夫人)

 


B 登場人物で一番変身したのが監督自身でした。視点が複眼的になっていく、優れたインタビュアーでもあった。完成前の祖母の死、その棺を先頭で支えた義母兄の自死という辛い現実にも直面した。

A しかし残された人は生きていくんですね。予告編で母親や伯母たちが笑い転げるシーンがあるのですが、この最後のシーンでは上映会場でも同じことが起こりました。この資料映像はどこにあったのでしょうか。お茶目な大統領でもあった、お薦めドキュメンタリーです。

 

B Paco de Lucia』は息子と娘が撮ったドキュメンタリー。心臓を患っていたのは本人も承知していたようですが、あんなストックでは病気でなくても寿命は縮まります。

A パコはメキシコにも別の家庭を持っていて、スペインとメキシコを行ったり来たりしていた。パコと一緒に映像に出てくるディエゴ少年は監督たちの異母弟に当たる。メキシコで亡くなったのは偶々メキシコに行っていたときだったからです。映画製作中に父親の死にあい、ショックで中断していた。もしそんなことがなければ映画は違う展開をしたかもしれません。

 

B 『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』の主役ラファエルの若いころの映像が出てきたり、二度と現れないだろうと言われるフラメンコ界のキング、カマロンのデビューしたての美声も楽しめます。

A 内気で自分の演奏に厳しかったパコ、音楽ファンでなくても楽しめる構成になっています。是々非々はともかく家族のかたちも変わりつつあるという感慨に浸りました。

 


       (向こうに逝ってしまったフラメンコ界の天才、カマロンとパコ)

 

管理人覚え

『選ばれし少女たち』(カンヌ映画祭2015「ある視点」)の記事は、コチラ⇒2015531

『アジェンデ』の紹介記事は、コチラ⇒201539

Paco de Lucia』(ゴヤ賞2015)の記事は、コチラ⇒2015131