『ヴォイス・オーヴァー』*東京国際映画祭 ②2014年11月13日 21:35

★サンセバスチャン映画祭SIFF 2014「オフィシャル・セレクション」ノミネート作品、クリスチャン・ヒメネス監督は3度目の来日、今回は女性プロデューサー、ナディア・テュランセブとジュリー・ガイエのお二人と一緒でした。SIFFにはスタッフとキャストが揃って参加、話題のジュリー・ガイエさんはパパラッチに追いかけられたようです。TIFFでは2回上映されたうち1025日のQ&Aを織り混ぜて少しお喋りします。 

                      (SIFFでの監督、ガイエ、テュランセブ

 

  * 『ヴォイス・オーヴァー』La voz en OffVoice Over

製作Rouge International / Jirafa Films / 1975 Productions

監督・脚本・撮影・製作者:クリスチャン・ヒメネス 

共同脚本:ダニエル・カストロ

共同撮影:インティ・ブリオネス

製作者:総指揮アウグスト・マッテ/ブルーノ・ベタティ/ナディア・テュランセブ/

ジュリー・ガイエ/ニコラ・コモー他

編集:ソレダド・サルファテ

音楽:アダム・バイト他

 


データ:チリ≂フランス≂カナダ合作、スペイン語、2014年、コメディ、96分 チリ公開2015

出演:イングリッド・イセンセ(妹ソフィア)、マリア・シーバルド(姉アナ)、パウリナ・ガルシア(母マティルデ)、クリスチャン・カンポス(父マヌエル)、マイテ・ネイラ(ソフィア娘アリシア)、ルーカス・ミランダ(ソフィアの息子ロマン)、ニールス・シュナイダー(アナの夫アントワン)クリストバル・パルマ(ソフィアの元夫カリシム)、センダ・ロマン(姉妹の祖母マミ)、バネッサ・ラモス(父の恋人)他 

 

プロット:最近離婚したばかりの美人のソフィアは35歳、2人の子どもを引き取って育てている。最近、彼女の人生は何もかも悪いほうへと転がっていく。父が母を残して出て行ってしまうかと思うと、姉が家族を連れてチリに戻ってきた。彼女流儀の論理でかき回すからイライラは募るばかりだ。ソフィアのベジタリアンは親戚から顰蹙を買っている。成長期の子どもたちに肉を食べさせないのは栄養学的にも間違っていると。更にはふとしたことから父親の不愉快な秘密が次々と明るみに出て、父娘関係もギクシャクしてくる。

 

     「フレームの外」で語られていることが現実

 

: サンセバスチャン映画祭では主役のイングリッド・イセンセより、製作者の一人ジュリー・ガイエが注目を集めてしまいました。

: 新年早々フランス大統領フランソワ・オランドとの不倫疑惑報道があり、「大統領のチャーミングな恋人来る」で、餌食にしようとパパラッチが待ちかまえていた。

: プライバシー侵害として記事を載せた芸能誌を告訴している。プロデューサーの仕事は『盆栽』から参加、監督との出会いはここ東京国際映画祭2009です。監督はデビュー作『見まちがう人たち』、ジュリー・ガイエはシャビ・モリアのデビュー作『エイト・タイムズ・アップ』で来日して知りあった。

 

: 脆弱さとタフさを兼ね備えたヒロインの演技が評価されて最優秀女優賞を受賞したんでした。さて、そろそろ肝心の本題に。冒頭から登場人物がどっと押し寄せて、それもショッキングな出産シーンを家族で見ているところから始まる。

: 最初はアナの出産シーンを家族みんなで見ているのかと錯覚してビックリする。アナの夫アントワンの母親が撮ったビデオと分かるのだが、この「枠・フレーム」に入った映像を見るというのが一つのテーマだった。映画のナレーションのように「枠」に映っていない「枠外」で起きていることに耳を澄ますと言い直してもいいようです。「語られないヴォイス=セリフが重要」だからタイトルは<ヴォイス・オーヴァー>なんですね。

 

            (TIFFでのテュランセブ、監督、ガイエ

 

: Q&Aでは、「見えているもののフレームの外で語られていることが現実」で重要であると話していた。アントワンの母親は「枠外」に、つまり姿を現さないのだが、家族も観客も彼女の視点で撮られたビデオを見ていることになる。

: テレビとかパソコンの映像を見るシーンが繰り返し出てくるが、テレビもパソコンも一種のフレームですね。そしてソフィアに、大分前から映画もテレビもインターネットも読書も遠ざけて暮らすという、相当ラディカルでストイックな選択をさせている。この人格と「枠外」は興味深い。監督のアタマの中は複雑だから、説明してもらわないと分かりにくいね。

 

幼児化してチリで暮らすプチブル階級

 

:「家族の映画を撮ろうとしたとき、場所はバルディビアでなくてもいいと考えた。ただ大都市でないこと、小さい都市でも大学があって知的階層の人が住んでいること、世界と繋がっていることが必要だった」と述べていた。

: チリの都市ならどこでもということなのか、世界のどこの都市でもなのか分からなかったが、要するに生れ故郷バルディビアはぴったりだったというわけです。生活臭の希薄なインテリのプチブル階級が住んでる場所が条件ね。

 

: 「ソフィアとアナの造形には、私の二人の妹たちの人格が流れ込んでいる」と明かしていました。

: サンセバスチャンのプレス・インタビューでも、「ウチの家族はお喋りの才能があって、話をしながら食事をする。そのとき聞いたエピソードを思い出しながら、素材に手を加えたり削ったり、ときには強調もいれてミニ・プロットを作っていく」と語っていました。個人的な家族の経験が流れ込んでいるようです。

: 友人知人から聞いた話をメモして膨らませて行くらしいから、プライバシーを保ちたいなら監督との雑談は要注意です()

 

: 登場人物が多すぎて1回見ただけだと家系図があやふやです。この家族は両親も娘も離婚しているのだが、その理由は「枠外」で分からない。母親は夫が自分を捨てて出て行ってしまったことが信じられない。父親は性懲りもなく、もう一度の青春を夢見ているモラトリアム人間。

: 突然帰国した姉一家は、家探しをするがケチをつけてずっと実家に居座っている。年下らしい夫アントワンもアナのいいなりでお気楽に見える。誰も彼も自分勝手でジコチュウすぎて素直に笑えない。

: 大人は幼児化して観客はなかなか自分を重ねられない。まともなのは両親の離婚のせいであっちこっちと行ったり来たりを強いられる二人の子供だ。子供の視点を入れたことで、前作より視点が複眼的になったかな。

: 子供が釘を踏むシーンは、実は「私自身に起きたこと」と会場を笑わせていた。「私自身」が踏んだ後、痩せ我慢して「痛くない」と言ったので妹さんが踏んだ()。本当は痛い。

 

     苦しみや痛みを語ること・語らないこと

 

: このシーンのメタファーは何かしらね。観客を笑わせるために入れたとは思えない。大体さらっと表層だけ見たら何も残らないコメディだ。色眼鏡をかけなくてもいいが、なにしろチリという国は、独裁者ピノチェトが16年間も君臨した国、彼が没してからでも10年にならない。これを除外してチリの映画を見るのは難しい。

: 現在でも親ピノチェト反ピノチェトが30%ずつ、残りはどちらでもない人です。死者・行方不明者は公式には3196人と少ないが、実際に人権侵害を受けた人は10万人とも、亡命者は当時の人口の10%に当たる100万とも言われている。無視はできない。

 

: 秘密を抱えていない家族は少ないし、口に出しては生き残れなかった人も多かった。メタファー探しなど無意味という意見があってもいいけど、作品が作り手から離れたら判断や解釈は観客に委ねられる。これは映画に限らない、作品は一人歩きを始めるからね。

: この映画はチリで起きている苦しみや痛みのメタファーとして目に見えるようには語られていないが、「語られていないのは事実だけれど、完璧に見えてきてしまう」し、「物事を隠したままにしておかないことが必要です、結局記憶は取り戻されるから」と、サンセバスチャンでイングリッド・イセンセ(ソフィア役)も語っていた。

 

: Q&A最後のほうで監督は、ナチの強制収容所の生存者のドキュメンタリーに触れて「親世代が苦しみを語らなかった家族の子供は、収容所に入ったことがないのにストレスをより多く感じていた」が、「反対に親世代が語った家族の子供は、それほどトラウマを抱えていなかったことが、この映画のアイディアの一つだった」と語っていた。

: 語られていないことが親から子へ伝達され受け継がれていってしまう、語らないことでより強くストレスを感じてしまうと。

: 痛みや苦しみが存在しても、言葉のレベルでそれを伝達せず断絶してしまうと、そこに混乱や苦悩、喧騒や汚染が世代から世代へと受け継がれていくということですかね。しかし伝達は複雑で、糸電話遊びのようにとんでもない方向に行ってしまうから難しい。

 

     チリ映画にはカスティーリャ語字幕が必要―-コミュニケーションの困難さ

 

: 物語はソフィアを中軸に進行する。妹は前進しつづけるには互いに理解しあい、人の話に耳を傾け、きちんと整頓していきたいタイプ。対照的に姉は頭もよく博士号をもっている自立したしっかり者、テキパキと仕事をこなすが強引なタイプ。

: 水と油です。ソフィアは子供がいるから親であり、両親にとっては子供、祖母マミに対しては孫である。そして姉アナの妹です。別れた夫に対しては元妻だ。人間はたいてい何役も兼ねる存在です。この元夫はターバンをしていたから、もしかしたらシーク教徒なのかしら。

: バルディビアでは珍しくないのか、これは意外な設定でした。アナの夫アントワンも外国人で慣れないスペイン語に苦労していた。このコミュニケーションの困難さもテーマの一つですか。


               (水と油の姉アナと妹ソフィア)

: 実際アントワンを演じたニールス・シュナイダーはカナダ人で、少しはスペイン語が喋れたようですが訛りの強い「チリ弁」には四苦八苦したらしい。SIFFではチリ弁も一応スペイン語だから西語字幕は付かなかった()。それでネイティブ観客から苦情が出た。

: 「カスティーリャ語の字幕をつけろ」ですね。映画祭での評価がイマイチだったのには、この苛々も原因だったかもしれない。

: 私たちは英語字幕の翻訳で見たわけで、チリ弁だろうがカスティーリャ語だろうが関係ないと思うでしょうが、重訳で見るわけですから、こんなこと書籍だったら絶対に許されない

 

: 姉妹同士の軋轢というのは、兄弟同士ほどそんなに描かれていないのでしょうか。

: どうでしょうか。アン・リーやエドワード・ヤンの家族をテーマにした映画は見ていたようですが、敢えて参考にしなかったようです。もっと違った切り口にしたかったらしい。

: つまり、アン・リーの『いつか晴れた日に』とは違うものという意味ですか。

: エドワード・ヤンでは『ヤンヤン夏の思い出』などを想像しますが、個人的な自分の家族が関わった映画を作りたかったのではないですか。

 

        チリの若手監督グループ<ジェネレーションHD>の躍進

 

: ラテンビートで上映された、アンドレス・ウッドの『マチュカ』や『サンティアゴの光』、パブロ・ララインの『トニー・マネロ』やNO』、セバスティアン・シルバの『家政婦ラケルの反乱』『マジック・マジック』『クリスタル・フェアリー』など、今年はフェルナンデス・アルメンドラスの『殺せ』がエントリーされ、ジャンルもテーマも多彩になってきた。

: 昨年はセバスティアン・レリオの『グロリアの青春』が話題をさらった。<ジェネレーションHD>と言われる「クール世代」に属しているようです。『殺せ』と本作は方向が違うように見えますが、チリの社会構造、過去の歴史に拘っている点では同じともいえます。本作は配給元もCinema Chileに決まって2015年の公開が決定しました。チリの観客がどんな反応をするのか気にかかります。
関連ブログ:
NO』 ⇒2013・9・21
『家政婦ラケルの反乱』 ⇒2013・9・27
『マジック・マジック』 ⇒2013・9・26/10・26
『クリスタル・フェアリー』 ⇒2013・9・25/10・29
『殺せ』 ⇒2014・10・8/10・30
『グロリアの青春』 ⇒2013・9・12

スタッフ

*クリスチャン・ヒメネスCristián Jiménez 1975年チリのバルディビア生れ。デビュー作『見まちがう人たち』と第2作『Bonsai~盆栽』が東京国際映画祭20092011で上映され、2回ともゲスト出演のため来日した。チリ「クール世代」の代表的な若手監督。

監督フィルモグラフィー

2009『見まちがう人たち』サンセバスチャン映画祭2009、ブラチスラヴァ(スロバキア)映画祭2009でエキュメニカル審査員スペシャル・メンション賞、ケーララ(インド)映画祭2010出品。

2011Bonsai~盆栽』カンヌ映画祭2011「ある視点」出品、ハバナ映画祭2011国際批評家連盟賞受賞、マイアミ映画祭2012グランド審査員賞受賞他。

2014『フラワーズ』トロント映画祭、サンセバスチャン映画祭「オフィシャル・セレクション」、リオデジャネイロ映画祭、チューリッヒ映画祭、ハンブルク映画祭、ストックホルム映画祭、各2014年。 


ジュリー・ガイエ Julie Gayet 1972年フランスのシュレンヌ生れ、女優、脚本家、製作者。公開作品では、エリ・シュラキのコメディ『君が、嘘をついた。』(95)、アルノー・ヴィアールの『メトロに恋して』(04)、パトリス・ルコントのコメディ『ぼくの大切なともだち』(06)などに出演。前述のTIFF2009コンペティション、『エイト・タイムズ・アップ』で最優秀女優賞を受賞した。ヒメネス監督とは『盆栽』に続いてのコラボである。話題提供に貢献したので特別に紹介。 

    (左から、ナディア・テュランセブ、ジュリー・ガイエ SIFF上映後の記者会見

 

キャスト

イングリッド・イセンセ Ingrid Isensee : 1974年チリのサンチャゴ生れ、『Bonsai~盆栽』に脇役で出演、今回主役ソフィアを射止めた。他にマリアリー・リバスの“Joven y alocada”(2012)に出演、本映画祭2012の「ホライズンズ・ラティーノ」部門の上映作品。今年短編“El Puente”で監督デビューした。

マリア・シーバルド María José Siebald : 本作の他、エリサ・エリアシュのコメディ“Aqui Estoy, Aqui No”2011)、ロドリーゴ・セプルベダの“Aurora”2014)など。

パウリナ・ガルシアPaulina García1960年チリの首都サンティアゴ生れ。女優、監督、劇作家。チリ・カトリック教皇大学の演劇学校で演技を学び、のち同校の演劇監督、劇作家の資格を得た。現在は母校で後進の指導にもあたっている。映画デビューが2002年と比較的遅いのは、このような経歴から舞台女優として出発(1983)、合わせてテレドラ出演の成功でお茶の間の人気を博したせい。チリではPaly Garcíaのニックネームで知られている。社会学者の夫とのあいだに3人の子供がいる。セバスチャン・レリオの『グロリアの青春』(2013)国際的な賞を独り占めの圧倒的な演技が記憶に新しい。この凄いバイタリティーは人生を諦めてリングにタオルを投げさせなかったグロリアにも通じている。≪ラテンアメリカのメルリ・ストリープ≫とか。サンセバスチャン映画祭2013の審査員の一人に選ばれた。

 出演フィルモグラフィー

2002Tres noches de un sábadoホアキンEyzaguirre監督Altazor賞ノミネート

2004Cachimbaシルビオ・カイオツィ監督

2007Casa de remoliendaホアキンEyzaguirre監督

2012Gloria”『グロリアの青春』セバスティアン・レリオ監督、リオデジャネイロ映画祭2014、トロント映画祭「コンテンポラリー・ワールド・シネマ」出品、チューリッヒ映画祭2014、他

2013Las analfabetas”モイセス・セプルベダ監督デビュー作

2013I am from Chile”ゴンサロ・ディアス監督デビュー作