『ホドロフスキーのDUNE』*未完の映画「DUNE」をめぐるドキュメンタリー2014年07月08日 17:26

★公開が迫ってきた『リアリティのダンス』と対になって世界を駆け巡っている話題のドキュメンタリー。監督はフランク・パヴィッチ、ニューヨーク生れのクロアチア系アメリカ人、ただし現在はジュネーブ在住(後述)。どうしてホドロフスキーが23年間も沈黙していたのか、「荒唐無稽で壮大なな映画DUNE」がどうしてポシャったかが分かります。カンヌの観客を感動と爆笑で沸かせた“Jodorowsky’s Dune”(2013)は、同年東京国際映画祭ワールド・フォーカスで『ホドロフスキーのDUNE』の邦題で上映され、日本の観客も感動したのでした。それが現在公開中の『ホドロフスキーのDUNEです。 



★公開中の映画と、これから封切られる映画『リアリティのダンス』ですがネタバレさせてます。ではネタバレしていたら面白くないか、いいえ、そんなことありません。それに宣伝チラシ、各界の名士の推薦文などワンサカ出回っていて、結構ネタバレしています。

 

常識ではあり得ないキャストとスタッフ

1974年、アレハンドロ・ホドロフスキーとフランスのプロデューサー、ミシェル・セドゥーは、フランク・ハーバードのベストセラーSF小説『デューン/砂の惑星』の映画化を企画する。世界を股に掛けた二人の奔走でスタッフもキャストも決まり、ストーリーボード集まで完成していたのに、結局1シーンも撮影されることなく終わった。「実現しなかった映画」としては映画史上に残ると言われる所以は、顔ぶれを見て頂くと頷ける。キャスト陣にサルバドール・ダリ、ガラ夫人公認の愛人アマンダ・リア、ミック・ジャガー、ウド・キア、オーソン・ウェルズにデヴィッド・キャラダインと豪華版。スタッフには、コミック作家メビウスことジャン・ジロー(絵コンテ)、画家でデザイナーのH.R.ギガー(建築物デザイン)、画家クリス・フォス(宇宙船デザイン)、特殊効果のダン・オバノン、ピンク・フロイドなど常識ではあり得ない組合せ、既に鬼籍入りしている人も。何しろ今から40年前、1974年の企画ですから当然です。

 

★まだインターネットなどなかった時代のことだから本当にビックリする。二人の映画に賭ける情熱と勇気というより無謀には呆れるが、最後にホドロフスキーが私たち観客に送る「去る者は追わず、来る者は拒まず」、「人間はいくつになっても変わりたければ変われる」というメッセージには勇気を貰える。彼に振り回されて迷惑を被った人がいたかもしれないが、数々の都市伝説でファンを右往左往させた絶滅危惧種のようなアーティストが絶滅せずにいたことに感謝したくなる。

 

10年後、『エレファント・マン』(1980)でアカデミー賞8部門にノミネートされたデビッド・リンチが、『デューン/砂の惑星』(1984)を撮る。「もう辛くて見る気になれない。でも周囲が見なくちゃダメだというのでいやいや見に行った。最初は悲しくて涙がこぼれそうだったが、しかし失敗作だと分かったら嬉しくてだんだん元気が出てきた」と。なんと可愛らしくチャーミングなお爺さんなんだ。それに失敗の責任は監督じゃなく製作会社にあるとリンチを庇う優しさはいいよね。老人はこうでなくちゃあ、見習いたい。 

                                   (フランク・パヴィッチ監督)  

フランク・パヴィッチ監督:1995年、22歳のときにアングラのカルト音楽についてのドキュメンタリーN.Y.H.C.(ニューヨーク・ハードコアシーン)を撮る。2003年、「ダイ・マミー・ダイ」(Die Mommie, Die!)がサンダンス映画祭審査員特別賞を受賞、2013年の本作が初の長編監督作品となる。前述したカンヌ2013の「監督週間」で、ホドロフスキー夫妻隣席のもとプレミア上映された。監督は涙を拭いて「パーフェクト」と一言感想を述べてくれたとパヴィッチ監督。詳しくは映画館で。

 

ホドロフスキー一家のディアスポラ

★このドキュメンタリーをきっかけに35年振りに再会したホドロフスキーとミシェル・セドゥーの二人が中心になって作ったのが『リアリティのダンス』です。これから公開される映画なので控えめにお届けいたします。

 

★アレハンドロ・ホドロフスキー Alejandro Jodorowsky Prullansky 1929217日、チリ北部トコピージャという港町で、ユダヤ系ウクライナ人の父ハイメ・ホドロフスキーとユダヤ系リトアニア人の母サラ・プルランスキーの第2子として生れる(現在はトコピージャ県の県都、人口は約3万人)。カタログ類ではロシア人と紹介されていおります。当時ウクライナは帝政ロシアに組み入れられていたから間違いではありませんし、父親もロシアから移民してきたと監督に話していたようです。厳密にはウクライナ、だからお店の名前が「ウクライナ商店」です。ただチリに移民していたのですからチリ人です。1929年と言えば、1024日のニューヨーク証券取引所の株価大暴落で始まった世界大恐慌元年、不運な年に生れたんですね。『リアリティのダンス』ではアレハンドロの誕生した年が冒頭シーンで象徴的に描かれますから見逃さないで、大きな意味を持っているからです。時代背景となる1920年代後半には、2歳年長の姉ラケル・レアも一緒だったはずですが、映画には登場いたしません。お姉さんは詩人、1950年代からペルーで暮らし、2011年首都リマで死去しています。

 
                

★ユダヤ人なのにどうして<ホドロフスキー>という苗字なのかという謎は、祖父の代まで遡ると解けます。20世紀初頭にチリに移民してきたとあったので190306年に渡って猛威をふるったポグロムに関係ありと睨んだが、予想は的中でした。ポグロムは帝政ロシア政府が国民の鬱積した不満のはけ口として導入した反ユダヤ主義のホロコースト、一種のジェノサイド、民族同化も含む民族浄化のことです。ホドロフスキーの父方の祖父の本名はアレクサンドル・レビAleksandr Leviといい、1873年、ウクライナのエカテリノスラフ(現ドニプロペトロウシク)で生れた。1900年にテレサ・グロイスマンと結婚、翌1901年ヤコブ(つまりハイメ・ホドロフスキー)が誕生した。繰り返されるポグロム、ユダヤ人排斥の風潮に身の危険を感じたレビは、1909年、あるポーランド貴族の苗字<ホドロフスキー>を合法的に買い取った。軍隊に入るのを避けるためというのはタテマエで本当の動機はポグラムだったという。

 

 
                                (『エル・トポ』のホドロフスキー父子)

★しかし第一次世界大戦が終わる前に、フランスの知り合いを頼って結局ウクライナを脱出した。パリからマルセーユを経由して、他のユダヤ人移民一行と南米チリを目指してホドロフスキー親子も船出、祖父は二度とヨーロッパに戻ることはなかった。1901年に生れたハイメが、監督のお父さん、『リアリティのダンス』ではこの規格品外の破天荒な父親<ハイメ>を演じたのが、監督の長男ブロンティスです。1962年メキシコで生れたが、間もなく母親とフランスに移住、6歳のときメキシコに戻ってきた。6カ月後に出演した映画が『エル・トポ』(1970、メキシコ)で、エル・トポの子供になった。もしかして出演させるため呼び寄せたのかな。帽子と靴を履いただけの可愛いトウガラシ坊やがこのブロンティスです。『ホドロフスキーのDUNE』にも顔を出しています。アレハンドロは5人の子供に恵まれ、長女エウヘニア、次男クリストバル、三男テオ、四男アダン1995年テオは24歳で事故死、エウヘニアはフツウの人生を送りたいと離れて暮らしており、フツウでない息子3人は『リアリティのダンス』に出演しています。

 

チリで最も有名になったトコピージャ

★映画はホドロフスキー一家がトコピージャを去るシーンで終わるのですが、この父親ハイメは1970年代に新しい妻を伴って、つまり70歳を過ぎて、イスラエルに移住、彼の地で二人の子供にも恵まれた(!)、2001年に百歳で天寿を全うしたというから、ホドロフスキー家は長命の家系ですね。監督の現在の奥さんパスカル・モンタンドンとは10年前に、つまり70過ぎてから結婚した。ただし子供はいない(笑)。今年四月にプロモーションのため監督と一緒に来日して座禅までした。監督は『ホドロフスキーのDUNE』のなかで、「300歳まで生きたい、・・これは無理かな」とか言ってましたが、オリベイラは100歳超えても映画撮っているから、ホドロフスキーにも頑張ってもらいたい。 

                 (トコピージャを去る三人、『リアリティのダンス』から)

2014619日、R18+指定(¡!)でやっとチリでも公開された(IMDbによると日本はR15+だが、公式サイトにはなかったようだ)。監督も3人息子も不在のまま、カルロス・イバニュス大統領に扮したチリ在住のバスティアン・ボーデンホーファーが出席、子供アレハンドロ役のイエレミアス・ハースコヴィッツも姿を見せた。封切り2週間で14,000人、チリでは今年の最高を記録した。

 

★どうして来チリしなかったかは『リアリティのダンス』をアップしたときに。日本のチラシでは製作国は「チリ≂フランス」となっておりますが、監督に言わせると「フランス≂メキシコ=トコピージャ」だそうです。既に昨年8月、トコビージャでは市営スタジアム(野外)で8000人の観客を前にプレミア上映されました。人口3万人の町で8000人です。チリで最も有名になった町がトコビージャ、『フェリーニのアマルコルド』(1973)がよかった方もどうぞ、フェリーニはファシズム、ホドロフスキーはナチズムと背景は違いますが、両方とも船出します。

 

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