『ブエノスアイレス恋愛事情』グスタボ・タレット ― 2013年12月05日 16:19
監督・脚本:グスタボ・タレット
製作:アルゼンチン=スペイン=独
撮影:レアンドロ・マルティネス
美術:ロメオ・ファッセ、ルシアナ・クアルタウルオロ
編集:パブロ・マリ、ロサリオ・スアレス
音楽:イヴァン・ラクシェ、ピティ・サンス
キャスト:ハビエル・ドロラス(マルティン)、ピラール・ロペス・デ・アヤラ(マリアナ)、イネス・エフロン(アナ)、アドリアン・ナバロ(ルーカス)、ラファエル・フェロ(精神科医のラファ)、カルラ・パターソン(精神科医のマルセラ)、ホルヘ・ラナタ(整形外科医)、アラン・パウルス(マリアナの元恋人)、ロミナ・パウラ(マルティンの元恋人)
プロット:ウェブデザイナーのマルティンと建築家の卵マリアナ、揃ってかつての愛の痛手から立ち直れない。近所住まいだが、マルティンは引きこもり型の乗物恐怖症、マリアナは閉所恐怖症だからなかなか出会いのチャンスが訪れない。ネット社会のチャット恋愛、精神分析、『ウォーリーをさがせ!』、鉄腕アトム、マネキン人形、モノローグ、ウディ・アレンの『マンハッタン』へのオマージュ、プラネタリウム、犬の散歩、不眠症等などキイマン、キイワード満載のブエノスアイレス讃歌。(文責:管理人)
*スタッフ・キャスト紹介、受賞歴は公式サイトに詳しい。
*新宿K’s シネマにて公開中。ネタバレしております。
ウディ・アレンの『マンハッタン』*ニューヨーク讃歌
B:ネタバレと言ってもチラシの宣伝文読めば結末は想像つきそうだから、罪のないネタバレですね。
A:導入部を見ただけで、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」で幕を開けるウディ・アレンの『マンハッタン』のオマージュであることが分かります。アチラがニューヨーク讃歌なら、コチラはさしずめブエノスアイレス讃歌でしょうか。
B;タレット監督は影響を受けたシネアストの一人にウディ・アレンを挙げています。
A:自作自演のウディ映画は、主人公がやたら博識を振りまくのでウンザリするが、この『マンハッタン』は最後がしんみりさせてくれる。
B:コンプレックスや不眠症に悩む主人公ウディが元妻メリル・ストリープの暴露小説に慌てふためき、17歳の現恋人マリエル・ヘミングウェイと友人の愛人ダイアン・キートンを行ったり来たりして、最終的にはマリエルを一番愛していたと気がつくが、時すでに遅し捨てられてしまうお話。PCでこのシーンを見ていたマリアナがティッシュで鼻をかむ。
A:『マンハッタン』を上手く取り込んでいる。他にも冒頭部分の入り方や映画構成の類似性、両方の登場人物に特徴的なコンプレックスのオンパレードなどかなりの部分でカブっている。大道具としてのプラネタリウム(マリアナが大好きな建築物がブエノスアイレス市立プラネタリウム。『マンハッタン』ではウディとダイアンがプラネタリウムを見た後ベッドインする)、小道具としてベンチ、犬に散歩をさせるアルバイトをしている束の間の恋人アナとマルティンが落ち合う場所がベンチ。
B:あるときマルティンが犬のススを連れてやってくるとアナの姿はなくベンチは空っぽ、ラブは儚く終わってしまう。マンハッタンには憩いのベンチが川沿いに設置してあり、ジャケ写にも登場している。
A:結末はまったく違うが、出だしの2人の関係はレオス・カラックスの『ボーイ・ミーツ・ガール』に似ているかも。本作は2005年の短編“Medianeras”(約28分)をベースにして長編に作り替えたものですが、短編ではマルティンも『マンハッタン』を偶然見ていて泣くんです(笑)。もっとも短編では二人はカレとカノジョです。長編では外国語好きの精神科医マルセラが怪しいフランス語で大いに楽しませてくれますが、短編にも俳優は違いますがマルセラで出てくる。ネットの出会いサイトで知り合うのも同じ。骨子は殆ど同じと言っていいかな。
B:製作会社は変わりましたが、スタッフは撮影監督、フィルム編集者以下同じ顔ぶれですね。
A:音楽、録音などが違います。それとキャストはマルティン役のハビエル・ドロラス以外入れ替えです。彼も加齢のせいかちょっと太めになりました。だいたい短編にはカレとカノジョと元カレ(ボイス)、ワンちゃん以外でてこない(犬については後述)。監督によるとカノジョ役のモロ・アンギレリの妊娠が分かって急遽ピラールになったようです。主役が変更になったことで映画の雰囲気も当然変わっている。ヒロインの名前を≪マリアナ≫にしたのは彼女の実名マリアナ・アンギレリから取られたものと思う*。
B:カタログの解説によると、40余りの映画祭で上映された話題作とか。
A:そもそも短編を見ようと考えた理由が二つあった。コメディにしては長すぎること、蛇足というか、特に最後のシーンは描きすぎと感じたことが一つ、要するに短編の結末が知りたくなったわけです。
B:短編という時間的制約から、最後のシーンは当然なかったわけですね。
A:すっきりしていてこの後「二人の運命や如何に」という楽しみを観客に残しておいてくれた。デキの良い短編を下敷きにして長編に膨らますのは冒険だと思いましたね。二つ目は原題にもなった‘medianeras’というラプラタ地域でしか通用しない単語の意味「建物の境界壁、共有部分の壁」(スペイン語では‘medianería’)に穴を開けて窓を作るシーンが短編にもあるのかどうかでした。
B:ガストン・ドゥブラット=マリアノ・コーン共同監督の『ル・コルビュジエの家』**でも壁に穴を開けて窓を作る話が出てきたからですね。
A:時期的に短編と長編の中間に作られた映画だったので、短編になければ『ル・コルビュジエの家』のオマージュかなと思ったのです。壁を壊すシーンはありませんでしたが短編にも笑える場所にURBAN UOMOのロゴ入りパンツの真ん中に窓が開けられていました(笑)。
B:『ル・コルビュジエの家』の主役2人もおかしな人物ですが、脚本が優れていて最後まで観客を引っ張っていきますね。しかし、よくあるケースだとしても家屋やマンションの躯体部分に穴を開けるのだから違法ですよね。窓開けを請け負う会社もあるそうで「開けるが勝ち」なんでしょうか。
「ウサギ小屋」は安全地帯*バーチャル・ラブ
A:映画のテーストは異なりますが、「窓開け」は2作に共通のテーマです。日本で狭い家を「ウサギ小屋」と形容しますが、アルゼンチンでは「靴箱」と称するようです。確かに林立するビル群を見ると靴箱が整然と並んでいるように見える。いわゆるワンルームでも40㎡ぐらいあるから広さ的には一人暮らしなら充分、問題はベランダ無しの窓が1ヵ所しかないことです。‘medianeras’に囲まれている。
B:マルティンもマリアナもそういう「靴箱」で暮らしている。2人とも経済的には自立していて親の脛かじりではないからモラトリアム人間とは言えない。何でもネットで買えるし宅配してもらえるから肩こりや首の痛みを我慢すれば靴箱から出る必要がないから出ない。
A:マリアナは建築家だがまだゼロ、何も建てていない。目下はショーウインドーのデザイナーの仕事をしてもっぱらお友達はマネキン人形。閉所恐怖症でひたすら階段を上り下りしているから足腰は強健。
B:片やマルティンはPCと重いリュックのせいで頚椎に痛みがある。恐ろしい病気を疑って整形外科の門を叩くが、「心配したければ心配してもいいけど」と冷たくいなされる。
A:セックスだってネットで間にあわせられるのだ。バーチャル・ラブで満足なら靴箱から出ていく危険を冒すことはない。でもたまには生身の人間が恋しいなら犬の散歩にかこつけての外出や温水プールで泳ぐのも悪くない。
B:健康のためにも適度の運動は必要。それにどこかに居るはずのお相手にも出会いたい。マリアナの愛読書はマーティン・ハンドフォードの絵本『ウォーリーをさがせ!』***、毎晩ルーペで真剣に探す。
A:ウォーリーを探しているのはマリアナというより監督自身。マルティンもマリアナも監督の分身でしょうね。社会が便利になるということは人間が「退行しても生きていける」とイコールだから厄介です。自分探しに限らずほどほどがいい。
B:アルゼンチンは2001年暮れの財政破綻で世界の信用はガタ落ちドン底を味わったばかり。世界各国から借金の棒引きをしてもらって生き延びた。
A:そのときの恩義は忘れているようで、上がったり下がったりのシーソーゲームが好きな国民だね。最近またもや平価切り下げを早める措置を取るという。マルティンの元カノは、内向き彼氏と内向きワンちゃんススを捨ててアメリカへ行ってしまう。ススが英語を解さないからだ。ちょっとイミシンだね。それにマルティンに似てしまったススなどもうどうでもいい。
B:マリアナがプールで出会った精神科医のラファ、上手くいきそうに見えたがセックスは不首尾、ある日マリアナがプールに行くとラファは現われない。プールの1コースから始まった恋は5コースで終わる。振り出しに戻って熱心にルーペでウォーリーを探すマリアナ。
A:もうお気づきのようにススはウォーリーが飼っている白い小犬ウーフのパロディですね。
長い冬が終わってやっと春が*境界壁に窓を開ける
B:ブエノスアイレスのような大都会でどうやって恋人を見つけたらいいんだろう。
A:2人は交差点ですれ違ったり、マリアナが制作したショーウインドーをマルティンが眺めたりして、観客は接触を何回も目撃しているが本人たちは勿論気がつかない。
B:マリアナが「窓開け」を決意するとマルティンも同じ決心をする。二人がやっと噛み合い始めるまでに既に70分以上も掛かっている(笑)。2人はお互い新しくできた窓越しに相手の存在を偶然知る。
A:場面が変わると二人は偶然『マンハッタン』を見ている。そしてマリアナが泣くんでした。初めてのチャット・ラブに挑戦する。相手はここでも偶然マルティン、上手くいきそうだったが、電話番号の途中でこれまた偶然停電、電気が来なければPCなどただの箱だ。
B:ろうそく買いに雑貨屋でばったりの二人、当たり前だが、チャット相手とは気がつかない。翌朝マリアナが窓から街路を見下ろすと赤白縞のセーターを着たウォーリーとルーフが目に飛び込んでくる。
A:あせって外出の用意をするマリアナ、ここで短編は終わっている。上手い終わり方だと思う。長編ではエレベーターで下りていくマリアナの姿、せめてここで終わると良かった、もう充分でしょ。
B:閉所恐怖症でエレベーターに乗れないはずのマリアナが乗っている、あとは観客が想像すればいい。しかし監督としては幸せなツーショットを入れたかったのではないか。
A:バーチャル時代の30代は子供ではないが大人にしてはいささか幼いですかね。まあ、寿命も長くなったことだし。恋をしたことのある人なら、何の予告もなく自分の恋が偶然から始まったことを実感しているはずです。幸せになりたかったら、自分を肯定して心の窓を開けましょうというお話です。映画『ティファニーで朝食を』のホリーのように鳥籠から出ても、それを背負ったままでは何処に行っても幸せになれない。
★『マンハッタン』は、1979年のヒット作。ハリウッド時代の作品としては成功作でしょうか。短編には二コール・キッドマンが主役を演じた『ステップフォード・ワイフ』(2004、監督フランク・オズ)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ、エピソード4 新たなる希望』(1977)なども出てきます。この手法は多くの監督が取り入れていますから特徴というわけではありませんが、これだけ重ねるのは珍しい。
★この映画の楽しみ方として一連の建築物の散策がある。短編のほうがより鮮明です。高層化する建築が人々にどんな影響を及ぼすか、つまり建築を含めたブエノスアイレスという街そのものが主人公でもあるわけです。『マンハッタン』のマンハッタンも同じでした。先述したようにマリアナが一番好きだという縦物が「ブエノスアイレス市立プラネタリウム、ガリレオ・ガリレイ」、1936年竣工の31階建てカバナビル、正面に彫刻が施された旧アンチョレナ邸(1909年完成、現在は外務省サン・マルティン宮殿)など、かつては南米のパリと謳われたブエノスアイレスの新旧の建築が楽しめる。
*マリアナ“モロ”アンギレリ Mariana“Moro”Anghileri :女優、舞台監督、1977年ブエノスアイレス生れ、映画、テレビドラマに出演。受賞歴は、2005年“Buena vida (Delivery)”で銀のコンドル新人女優賞、2011年“Aballay, el hombre sin miedo”でカタルーニャ・ラテンアメリカ映画祭女優賞を受賞した。同年テレビ・ミニシリーズ“El pacto”でアルゼンチンの最高賞といわれる「マルティン・フィエロ賞」の新人賞にノミネートされている。2007年、エクトル・バベンコの”El pasado”
**『ル・コルビュジエの家』(“El hombre de al lado”--Los vecinos no se eligen)アルゼンチン、2009年、日本公開2012年。ル・コルビュジエが設計したクルチェット邸を舞台にして、壁に窓を「作る作らせない」で隣人同士がいがみ合う。壁の窓は心の窓でもあり笑いの中に思わず戦慄が走るブラックユーモアの利きすぎた作品。まさか劇場公開されるなんて100%思わなかった(笑)。個人的に邦題は感心しない。日本でも有名な建築家ル・コルビュジエにおんぶしたせいか原題が生かされていない。直訳すると「隣りの男:隣人は選べない」だが、例えば「ル・コルビュジエの家」を副題にして『隣りの男は選べない』なんてのはどうか。二人のどちらがオカシイかというと、クルチェット邸に向けて壁に穴を開けようと目論む隣人のように見えて、実はクルチェット邸に住んでる男のほうに問題があることが分かってくる。10点満点で7.5点の高得点です。
***イギリスのイラストレーター、マーティン・ハンドフォーの『ウォーリーをさがせ!』“Where’s Wally ?”1987年刊の絵本。日本版も同年へーベル館から刊行された。赤と白の縞模様のセーター、帽子、メガネ、ステッキが目印。白い犬ウーフが≪友犬≫。当時この絵本を読んでもらったコドモもオトナになってるかな。
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